第95話:ボストンの洗礼
ボストン・ローガン国際空港に降り立つと、そこはすでに秋の気配が漂っていた。
レンガ造りの街並み。アカデミックな空気。
MITやハーバードがあるこの街は、まさに「知の都」だ。
しかし、感傷に浸る間もなく、私たちは**「アメリカの洗礼」**を受けた。
新居のアパート。
鍵を開けると、そこにはアメリカンサイズの巨大なキッチンがあった。
素敵……と思ったのも束の間。
「……冷蔵庫が、動かない」
蓮が呟いた。
「あと、シャワーのお湯が出ない。トイレの水流が弱すぎて流れない」
インフラの脆弱さ。
日本では考えられないトラブルの連続だ。
蓮が管理会社に英語で電話をするが、「明日行く(明日来るとは言っていない)」という適当な対応。
「……これがグローバルスタンダードか」
蓮はため息をつき、ホームセンターへ工具を買いに走った。
「エンジニアだからね。配管修理くらい、構造を理解すれば直せるはずだ」と、頼もしすぎるスキルを発揮してくれた。
その間、私はエマを連れてスーパーマーケットへ買い出しに行った。
そこで私は、真の絶望を見た。
色とりどりのケーキ。
毒々しい青色(Blue No.1)や赤色(Red No.40)のクリーム。
1ガロン(約3.8リットル)単位で売られる甘いジュース。
パン売り場のパンはどれもパサパサで、原材料には「異性化糖(HFCS)」の文字が踊る。
「……ここは地獄?」
私は震えた。
オーガニックコーナーもあるにはあるが、日本の倍以上の価格だ。
「ママ、これたべたい!」
エマが持ってきたのは、蛍光色のシリアルだった。
「ダメよエマ! それは食べ物じゃないわ、砂糖でコーティングされたプラスチックよ!」
私は必死で棚に戻し、キヌアとオートミール、そして牧草牛の塊肉をカートに放り込んだ。
その夜。
修理されたシャワーでお風呂に入り、変圧器経由で炊いた日本米(魚沼産コシヒカリ)を食べた時、私たちは泣いた。
「……うまい。米が、甘い……」
「日本って、すごい国だったんだな……」
私たちは知った。
世界で戦うためには、まずこの「食環境」という強敵と戦わねばならないことを。




