第86話:ランドセル論争(ラン活)
年長(五歳)の春。
日本全国の家庭に、ある旋風が巻き起こる。**「ラン活」**だ。
小学校入学の一年前からランドセルを予約しなければ、人気モデルは手に入らないという異常事態。
我が家も、もし日本の小学校に行くなら必要になる。
私たちはデパートの特設会場へ向かった。
そこは戦場だった。
「工房系」「ブランドコラボ」「限定モデル」。
親たちの血走った目と、色とりどりの革の塊。
「エマ、これなんてどう? 本革で、シックなキャメル色。知的に見えるわよ」
私は機能性とデザイン性を兼ね備えた、重厚なモデルを勧めた。
しかし、エマは首を横に振った。
「イヤ。こっちがいい」
彼女が指差したのは、**「パールパープル」のテカテカした合皮に、ハートの刺繍とラインストーンが散りばめられた、いわゆる「キラキラ系ランドセル」**だった。
「……ッ!!」
私は眩暈がした。
私の美的センス(美学)とは正反対の極み。
「エマ、待って。成分分析してみましょう。これは合皮よ? 六年間の耐久性に不安があるわ。それにこの刺繍、汚れが溜まりやすいし……」
「イヤ! これがいい! プリンセスみたいだもん!」
エマは譲らない。
私は蓮に助け舟を求めた。
「蓮、なんとか言って。あの色は高学年になったら恥ずかしいって」
しかし、蓮はランドセルを持ち上げ、真剣な顔で言った。
「美玲、スペックを見てくれ。君が選んだ本革は一四〇〇グラム。エマが選んだこれは一一〇〇グラムだ」
「え?」
「この三〇〇グラムの差は大きい。教科書を入れた総重量が四キロを超えると、子供の脊椎への負担係数が跳ね上がる。**『軽さは正義』**だ」
蓮はエマの頭を撫でた。
「それに、毎日背負うのはエマだ。彼女のテンションが上がる色(UIデザイン)こそが、登校意欲を高める最適解だよ」
論破された。
脊椎への負担と、ユーザーエンゲージメント。
ぐうの音も出ない。
「……わかったわ。そのパープルにしましょう」
私は負けを認めた。
エマは満面の笑みで、その派手なランドセルを背負ってポーズを決めた。
まあいいわ。その笑顔が見られるなら、私の美的感覚くらい犠牲にする価値はある。




