第71話:時短勤務のジレンマ
復職から三ヶ月。エマの体調もようやく安定してきた頃。
私は新たなストレスに晒されていた。
**「時短勤務(一六時三〇分退社)」**に対する、職場の視線だ。
一六時二五分。
私が帰りの支度を始めると、隣の席の独身社員が大きな独り言を呟いた。
「はぁ〜、いいなぁ。一六時半上がり。俺なんてこれから残業確定なのに」
「……」
悪気はないのかもしれない。でも、その言葉は鋭利なナイフのように胸に刺さった。
私は遊んで帰るわけじゃない。
ここからダッシュで保育園へ行き、スーパーで買い物をし、夕食を作り、お風呂に入れ、寝かしつけるという「第二ラウンド」が始まるのだ。
でも、会社から見れば「働いていない時間」であることに変わりはない。
私は「すみません、お先に失礼します」と小さくなって退社するのが日課になっていた。
ある夜、私は蓮に弱音を吐いた。
「私、会社のお荷物なのかな。フルタイムの人に申し訳なくて……」
「美玲、それは違う」
蓮はキッパリと否定した。
「君はこの三ヶ月、目標達成率一〇〇%を維持しているよね? 勤務時間は二割減ったのに、成果は落ちていない。つまり、君の『時間あたり生産性』は以前の1・2五倍に向上しているんだ」
彼は電卓を叩いて見せた。
「ダラダラ残業している社員より、君の方がよっぽど優秀だ。謝る必要なんてない。堂々としていればいい」
翌日。
例の同僚がまた「いいですね、早くて」と皮肉を言ってきた。
私はニッコリ笑って、デスクに分厚い企画書を叩き置いた。
「これ、来月の新商品案です。一週間前倒しで仕上げておきました」
「えっ!?」
「時短勤務ですので、密度を上げて仕事をさせていただいています。何か不備があれば、明日の九時に即対応しますので」
私は颯爽とバッグを肩にかけた。
「お先に失礼します。……あ、残業頑張ってくださいね。エナドリ飲みすぎると肝臓に悪いですよ?」
同僚がポカンとしているのを背に、私はオフィスを出た。
背筋が伸びた。
私は時短社員だけど、半人前じゃない。プロフェッショナルだ。
夕焼けの空が、いつもより綺麗に見えた。




