第70話:保育園の洗礼(免疫獲得編)
復職初日。
私は気合を入れて、久しぶりにハイヒールを履き、完璧なメイクで出社した。
エマを保育園に預ける時の涙は、駅のトイレで拭き取った。さあ、バリバリ働くわよ。
――午前一〇時三〇分。
デスクのスマホが震えた。画面には「保育園」の文字。
(……え? まさか。預けてまだ二時間よ?)
「はい、もしもし……」
『あ、エマちゃんのお母さんですか? エマちゃん、今お熱が三八・五度ありまして……すぐにお迎えお願いできますか?』
「保育園の洗礼」。
噂には聞いていたが、これほど即効性があるとは。
私は上司に頭を下げ、PCを閉じてダッシュで退社した。
その日から、地獄のループが始まった。
突発性発疹。ヘルパンギーナ。手足口病。そしてRSウイルス。
保育園に蔓延する感染症の「四天王」が、次々とエマに襲いかかった。
「……解せぬ」
深夜、高熱でうなされるエマの看病をしながら、私は体温計を睨みつけた。
「食事は完璧。ビタミンDも亜鉛も摂取させている。腸内環境も整えている。なのに、なぜ一週間も保育園に通えないの……?」
私の栄養学が、ウイルスという見えない敵に敗北し続けている。
看病疲れでボロボロの私に、蓮がポカリスエットと冷えピタを持ってきてくれた。
「美玲、自分を責めないで。これは『敗北』じゃない。『アップデート』だよ」
「アップデート?」
「エマの身体は今、未知のウイルスというデータをインストールして、免疫システムを構築している最中なんだ。この熱は、システムが正常に稼働している証拠だよ」
……なるほど。
エンジニアらしい慰め方だ。でも、不思議と納得できた。
エマは弱いんじゃない。戦って、強くなろうとしているのだ。
「……わかったわ。じゃあ私は、システム稼働に必要なリソース(水分と愛情)を補給し続けるわ」
「うん。僕も明日は有休取ったから、交代で守ろう」
私たちは「お迎えコール」に怯えながらも、有休と病児保育を駆使して、このデスマーチを乗り越えていった。
冷蔵庫のカレンダーが、小児科の予約シールで埋め尽くされていく。それは、エマが強くなっている証でもあった。




