第69話:復職へのカウントダウン
エマが一歳に近づく頃。
私の育休終了が迫っていた。
**「保活(保育園探し)」**のクライマックスだ。
私と蓮は、有給を使って一〇箇所以上の保育園を見学した。
チェックリストは全五〇項目。
・保育士の配置人数
・給食の産地と献立
・お昼寝用布団の衛生管理
・セキュリティシステムのベンダー
そしてついに、第一希望の園から「内定」の通知が届いた。
万歳三唱すべき場面だ。
激戦区で、奇跡的に勝ち取ったプラチナチケット。
けれど、通知書を見た私は、手が震えて止まらなかった。
「……美玲?」
「……本当に、いいのかな」
私は通知書をテーブルに置いた。
「エマはまだ一歳にもなってない。やっと歩き始めたばかりよ。こんなに小さいうちから、他人に預けて……母親の私がそばにいなくて、本当にいいの?」
「三歳児神話」。
子供は三歳までは母親が家庭で育てるべきだという、古い、けれど強力な呪い。
頭では「科学的根拠はない」とわかっている。
でも、感情が追いつかない。
エマと離れるのが寂しい。私のキャリアのために、エマを犠牲にするような罪悪感。
蓮は私の隣に座り、静かに言った。
「美玲。君は仕事が好き?」
「……好きよ。栄養管理の仕事も、商品開発も、私の誇りだわ」
「じゃあ、復職するべきだ」
彼はエマが遊んでいる方を見た。
「エマにとって、一番の教育はなんだと思う? それは『親が人生を楽しんでいる姿』を見せることだよ。美玲が仕事で輝いている姿は、きっとエマにとっても自慢になる」
「でも、寂しい思いをさせるわ」
「その分、一緒にいる時間は濃密に愛そう。それに、保育園は『かわいそうな場所』じゃない。プロの保育士さんがいて、友達がいて、社会性を育む最高の環境だ。僕たち二人だけじゃ教えられないことを、エマは学んでくるはずだよ」
蓮の言葉に、迷いが溶けていく。
そうだ。私はエマを「最強の遺伝子」として育てたい。
そのためには、私自身が社会で戦い、成長し続ける姿を見せなければ。
「……そうね。私、働くママになる」
私は内定通知書にサインをした。
涙が一粒だけ落ちたけれど、それは後悔の涙ではなかった。
来月からは、ワーキングマザーとしての新しい戦争が始まる。
時短勤務、呼び出し、病児保育。
課題は山積みだけど、私には最強のパートナーがいる。
「よし、蓮。復職に向けて、家事分担の再・最適化を行うわよ!」
「了解。エクセルの表、更新しておくね」
私たちは顔を見合わせ、力強く頷いた。
(続く)




