第62話:イクメンの誤算
一ノ瀬蓮、三三歳。
僕は今日から三ヶ月の育児休暇に入る。
会社ではプロジェクトマネージャーとして、数々のデスマーチを鎮火させてきた。育児もまた、一つのプロジェクトだ。タスクを可視化し、効率的に処理すれば必ず攻略できる。
そう思っていた時期が、僕にもありました。
午前一〇時。
美玲には寝室で泥のように眠ってもらっている。
僕の今日のToDoリストは完璧だ。
1.洗濯(ベビー服と大人用を分ける)
2.掃除(ルンバとブラーバ稼働)
3.夕食の下ごしらえ
4.沐浴(一四時予定)
「よし、まずは洗濯から」
洗濯機を回し、キッチンの片付けに取り掛かる。
その時、ベビーモニターから泣き声が。
「はいはい、オムツかな?」
駆けつける。オムツ替え完了。
キッチンに戻る。洗い物を再開。
五分後。再び泣き声。
「今度は何だ? あ、抱っこか」
抱っこしてあやす。一五分経過。
置くと泣く。仕方なく抱っこ紐で固定して家事を再開しようとするが、前屈みになれないので洗い物ができない。
そうこうしているうちに、洗濯終了のブザー。
干そうとするが、エマが泣き叫ぶので中断。
やっと干し終えた頃には、もう次のミルクの時間。
哺乳瓶の消毒が終わっていない。急いで煮沸消毒。
「……あれ? もう一三時?」
気づけば、ToDoリストの1しか終わっていない。
自分の昼食を食べる暇すらない。
そして最大の問題は、**「名もなき家事」**の多さだ。
・オムツのゴミをまとめる
・ガーゼの吐き戻しを手洗いする
・加湿器の水を補充する
・沐浴剤の在庫チェック
細かいタスクが無限に湧いてくる。
僕は、システムのバグ修正に追われるエンジニアのような気分だった。
しかも、この「クライアント(エマ)」は仕様変更(気まぐれ泣き)を連発してくる。
「……蓮、起きた」
一五時。美玲がゾンビのような足取りで起きてきた。
部屋は散らかったまま。洗濯物は山積み。僕は髪を振り乱してミルクを冷ましている最中だった。
「ごめん……全然、予定通りに進まなかった……」
僕は情けなさでいっぱいになった。
仕事ができるつもりでいた自分が、たかが赤ん坊一人に翻弄されている。
美玲はため息をつくこともなく、ただ静かに言った。
「いいのよ。生きてれば合格点。……私、おっぱい張って痛いから、代わるわ」
彼女のシャツに滲んだ母乳のシミを見て、僕は自分の無力さを痛感した。
どんなに頑張っても、僕は「母親」の代わりにはなれないのだ。




