表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
課金ゲーで推しを育てるより、隣の社畜を「腸活」でイケメンにする方がコスパいい件  作者: 東雲みどり
第1章:深夜のゴミ捨て場と、瀕死の原石(全10話)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/102

第6話:水という名の美容

 私の部屋――1006号室のドアを開ける。

 瞬間、澄み切った空気が私たちを包み込んだ。

 私の部屋は、空気清浄機二台と、調湿機能付きの壁材エコカラットによって、常に森林のような空気に保たれている。

 ゴミ捨て場の淀んだ空気から移動してきた一ノ瀬は、その落差に眩暈めまいがしたようだった。

「うわ……空気が、違う……」

「土足厳禁よ。あ、スリッパは履かないで」

 私は彼が上がりかまちに足を乗せようとしたのを制止した。

 彼の靴下(おそらく三日履きっぱなし)が床に触れるのは許容できない。

「そこにある除菌シートで足の裏を拭いて。それから、このアルコールスプレーで全身を消毒して。髪の毛の一本までよ」

 潔癖すぎる指示に、一ノ瀬は恐縮しながら従った。

 シュッシュッ、とアルコールを吹きかける姿は、まるで汚染区域から帰還した隊員のようだ。

 彼が消毒を終えるのを待たずに、私はキッチンへ向かった。

 アイランドキッチンの上に鎮座するのは、ドイツ製の据え置き型高性能浄水器。本体価格三五万円。

 レバーを捻ると、音もなくクリスタルのような輝きを放つ「水」が流れ出る。

 バカラのグラスに注ぐ。

 ただの水ではない。

 塩素、トリハロメタン、鉛、農薬……あらゆる不純物を〇・〇〇〇一ミクロンレベルで除去し、さらにサンゴフィルターを通してミネラルバランスを整えた「生きた水」だ。

「……飲みなさい」

 リビングに入ってきた一ノ瀬に、グラスを突きつけた。

 彼は震える手でそれを受け取った。

「い、いただきます……」

 彼はグラスに口をつけ、一気に煽った。

 ゴク、ゴク、ゴク。

 静かな部屋に、喉が鳴る音が響く。

 彼の喉仏が大きく上下し、ひび割れた唇が濡れていく。

「……っはぁ!」

 グラスを空にした一ノ瀬が、深く、長い息を吐いた。

 そして、信じられないものを見るような目で、空のグラスを見つめた。

「……甘い」

「砂糖なんて入ってないわよ」

「いえ、味じゃなくて……感覚が、甘いんです。水って、こんなにするっと入ってくるもんでしたっけ? 喉に引っかからないっていうか……」

「それが『クラスター(分子集団)』の小さい水よ」

 私は勝ち誇った気分で腕を組んだ。

 味覚が死んでいる彼でも、本物は分かるらしい。

「普通の水道水やペットボトルの水は、分子が大きくて細胞膜を通りにくいの。でも、この水は細胞のドアをすり抜けて、ダイレクトに浸透する。今、あなたの干からびた六〇兆個の細胞が、歓喜の声を上げているのがわかるでしょう?」

「細胞が……喜ぶ……」

 一ノ瀬は呆然と呟き、自分の掌を見つめた。

 気のせいではない。

 たった一杯の水で、彼の顔色に変化が現れていた。

 ドロドロだった血液に水分が供給され、毛細血管の先まで流れ始めたのだ。土気色だった頬に、うっすらと人間らしい赤みが差している。

 即効性がある。

 やはり、若い男性の基礎代謝は侮れない。三十路とはいえ、腐っても男だ。

 適切なリソースさえ投下すれば、私の肌よりも遥かに早いスピードで再生リカバリーする可能性がある。

(……面白い)

 私の研究者魂が、ゾクゾクと疼いた。

 自分で自分を実験するのは限界がある。遺伝子も生活習慣も、すでに最適化されすぎているからだ。

 だが、この「マイナスからのスタート」である彼なら。

 劇的なビフォーアフターという、最高のエビデンスが取れるはずだ。

 私はソファに座り、まだ立ったままの彼を見上げた。

 獲物を狙う豹のような目つきをしていたかもしれない。

「一ノ瀬さん。もう一杯、飲む?」

 彼はコクコクと首を縦に振った。

 まるで、餌を待つ捨て犬のように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ