第58話:バースプラン崩壊
妊娠三九週目の深夜二時。
私は完璧な「入院準備セット」を枕元に置き、優雅に眠っていた。
予定日は三日後。
計画無痛分娩の予約は完璧だ。陣痛が来る前に入院し、麻酔で痛みをコントロールしながら、クラシック音楽を聴いて優雅に出産する。これが私の描いたシナリオ(バースプラン)だった。
――パチン。
体内で、水風船が割れるような音がした。
直後、温かい液体が自分の意志とは無関係に溢れ出した。
「……え?」
飛び起きる。シーツが濡れている。
おねしょではない。破水だ。
なぜ? 陣痛もまだなのに? 「前期破水」の確率は全出産の数%のはず……!
「れ、蓮! 起きて! エマちゃんがフライングした!」
蓮は〇・五秒で覚醒した。
「破水!? 量は? 羊水の色は?」
「クリアよ! でも止まらない!」
蓮は冷静に病院へ電話し、バスタオルを私に巻きつけ、陣痛タクシーを手配した。彼の動きに無駄はない。
ここまではよかった。
問題は、病院に着いてからだ。
診察台の上。当直の助産師さんが無慈悲な宣告をした。
「九条さん、子宮口もう五センチ開いてますね。進みが早すぎます。今から麻酔の処置をしてると間に合わないかも……あと、麻酔科の先生が今別の緊急手術に入っちゃってて」
私の思考がフリーズした。
「……は? 間に合わない? じゃあ、どうするんですか?」
「このまま自然分娩でいきましょう! 大丈夫、安産コースですよ!」
詐欺だ。
私は心の中で絶叫した。
無痛分娩という文明の利器(課金アイテム)に頼る気満々だった私のメンタルは、武器を持たずに戦場に放り出された新兵同然だった。
そして、本当の地獄はそこから始まった。
腰のあたりに、重戦車が激突してくるような鈍痛が襲ってきたのだ。
「ぎ……ぁ……っ!!」
生理痛の一〇〇倍? 嘘だ。
これは、骨盤を内側からハンマーで砕かれる痛みだ。
私の完璧なバースプランは、羊水と共に流れ去った。




