第41話:深夜のタクシーと、オキシトシン
深夜四時。
私たちはタクシーの後部座席に並んで座っていた。
車窓を流れる東京の街明かりが、疲れた目に滲んで見える。
「……終わりましたね、バグ修正」
「ええ。よくやったわ。あの集中力、ドーパミンがドバドバ出てたわよ」
一ノ瀬は私の言葉にふにゃりと笑い、シートに深く身体を沈めた。
参鶏湯と、私の「応援」の効果は絶大だった。彼はあの後、通常なら三日かかる修正作業を、たった三時間で完遂したのだ。
「九条さん」
「ん?」
ふいに、一ノ瀬の手が私の手に重なった。
ビクッとして彼を見る。
彼は目を閉じたまま、私の手をギュッと握りしめた。
「……こうしてると、落ち着きます。脳の興奮が冷めていくというか……」
私はその手を振り払うことができなかった。
それどころか、握り返している自分がいた。
「……スキンシップは『オキシトシン』を分泌させるからね」
私は誰に聞かせるでもなく、小さく講釈を垂れた。
「オキシトシンは別名『愛情ホルモン』とも呼ばれる神経伝達物質よ。ストレス中枢を鎮静化させ、コルチゾール値を下げる効果がある。今のあなたには医学的に必要な処置よ」
「……ふふ、医学的に、ですか」
「そうよ。勘違いしないで」
一ノ瀬は目を開け、少し悪戯っぽい瞳で私を見た。
その顔は、一ヶ月前の自信なさげな社畜の顔ではない。
仕事を成し遂げた男の、色気のある顔だった。
「じゃあ、このドキドキするのは何の効果ですか?」
「……それは、アドレナリンの残滓よ。吊り橋効果みたいなもの」
私は顔を背けて窓の外を見た。
嘘だ。
私の心拍数も、彼と同じリズムで跳ね上がっている。
タクシーの中という密室。重なる体温。
「管理者」という仮面が、音を立てて剥がれ落ちそうだった。




