第13話:魔女のスープ(ボーンブロス)
大掃除が一段落した頃、時刻は正午を回っていた。
部屋は見違えるほど綺麗になったが、一ノ瀬は労働の疲労と、何より急激な空腹でソファに沈み込んでいた。
「九条さん……お腹、空きました……」
「そうね。EAAだけじゃ保たないわ。そろそろ固形物を入れましょうか」
私は一度自分の部屋に戻り、朝からル・クルーゼでコトコト煮込んでおいた鍋を持参した。
重たい蓋を開けると、ふわりと湯気が立ち上る。
黄金色のスープから、芳醇な香りが部屋いっぱいに広がった。
「うわ、いい匂い……ラーメン?」
一ノ瀬が鼻をひくつかせ、ゾンビのように身を起こす。
「違うわよ。これは『ボーンブロス』。骨の出汁スープ」
鶏ガラと香味野菜を、少量の酢を加えた水で一〇時間以上煮込んだ特製スープだ。
私は具材の入っていない、澄んだ液体だけのスープをカップに注ぎ、彼に差し出した。
「え、具は? 麺とかチャーシューは?」
「今のあなたの弱りきった腸に、固形物は負担がかかりすぎるの。離乳食だと思いなさい」
不満そうな一ノ瀬だったが、カップを受け取り、一口啜った瞬間――目を見開いた。
「……っ! う、旨い……!」
声が震えている。
それは、化学調味料のガツンとした暴力的な旨味ではない。
身体の芯に染み渡るような、深く、優しい滋味。
長らくジャンクフードの添加物で麻痺していた彼の舌と脳が、本来求めていた「生命の味」だ。
「でしょうね。骨から溶け出したアミノ酸とミネラルの塊だもの」
私は彼がスープを飲み干すのを見守りながら解説した。
「あなたの腸には今、目に見えない小さな穴が無数に開いている状態なの(リーキーガット症候群)。だから栄養が吸収できず、毒素が漏れ出している」
「穴……!?」
「脅しじゃないわ。このスープには、腸の粘膜を修復する『グルタミン』と、皮膚の材料になる『コラーゲン』がたっぷり入ってる。これがあなたの『回復薬』よ」
一ノ瀬は夢中でカップを傾け、最後の一滴まで飲み干した。
そして、ほう、と深く満足げなため息をついた。
その顔は、高級フレンチを食べた後よりも満たされているように見えた。
「……なんか、お腹の中がポカポカします」
「内臓が動き出したのよ」
私は空になった鍋を見て、小さく頷いた。
まずは第一段階クリアだ。
だが、本当の地獄はこれからだ。
長年、彼の身体を支配してきた「糖質」という名の悪魔が、そう簡単に引き下がるわけがないのだから。




