第11話:魔窟の強制捜査と、冷蔵庫の大量虐殺
翌日、土曜日の朝九時。
私は一ノ瀬の部屋(1005号室)のインターホンを、リズムよく三連打した。
「おはよう。生きてる?」
数分後、ガチャリとドアが開く。
現れた一ノ瀬は、昨夜のゾンビ状態からさらに劣化し、陽の光に焼かれた吸血鬼のような有様だった。
おそらく、急激な水分摂取で身体がびっくりして、一時的な好転反応が出ているのだろう。
「……あ、おはようございます……九条さん……」
「入るわよ」
私は彼を押し退け、土足で踏み込むような勢いで玄関を上がった。
瞬間、鼻を覆いたくなる衝動を、理性の力でねじ伏せる。
――臭い。
生ゴミの腐敗臭ではない。もっと質の悪い、空気が淀んで「酸化」した匂いだ。
古い油と、カビと、そして人間の「諦め」が凝縮されたような、重たい空気。
ワンルームの室内は、予想通りの魔窟だった。
脱ぎ捨てられた服の山は地層を作り、床にはコンビニ弁当の空き容器が散乱している。窓には遮光カーテンが引かれたままで、部屋の隅にはホコリの妖精が巨大なコロニーを形成していた。
「……なるほどね」
私は腕組みをして、部屋の中央に仁王立ちした。
一ノ瀬がおずおずと背後に立つ。
「ひ、ひどいですよね……片付けなきゃとは思ってるんですけど、平日は寝に帰るだけで……」
「一ノ瀬さん」
「は、はい」
「部屋は心の鏡、そして『腸』の鏡よ」
私が言い放つと、一ノ瀬はきょとんとした。
「えっ、腸、ですか……?」
「そう。あなたの部屋のこの惨状は、そのままあなたの腸内環境と同じなの。不要なゴミが排出されずに溜まり続け、腐敗し、有毒ガスを出している。この部屋の空気の悪さは、あなたの呼気の悪さそのものね」
一ノ瀬は耳を塞ぎたそうな顔をした。
図星なのだろう。肌荒れや口臭は、身体の中がゴミ溜めになっているというサインだ。彼自身も、薄々気づいていたはずだ。
私は持参した四五リットルのゴミ袋を広げ、バサリと音を立てた。
「まずは『毒出し(デトックス)』よ。物理的に環境を変えるわ」
「えっ、あ、ちょっ、僕がやりますから!」
「黙って見てなさい。今のあなたの判断能力じゃ、どうせ『まだ使える』とか言ってゴミを残すに決まってる」
私は有無を言わさず、床に散らばる雑誌やチラシをゴミ袋へ放り込んだ。
そして、諸悪の根源であるキッチンへ向かう。
「冷蔵庫の中身、全部出しなさい」
「ぜ、全部ですか!? いや、買いだめした食料が……」
「死にたくなければ従いなさい」
私の鬼のような剣幕に負け、一ノ瀬は渋々と冷蔵庫を開けた。
中身は貧弱かつ、凶悪だった。
半額シールの貼られた揚げ物の惣菜、変色したマヨネーズ、開封時期不明のドレッシング。そしてドアポケットを埋め尽くす、大量のストロング系缶チューハイとエナジードリンク。
私は迷わず、食べかけの唐揚げ弁当をゴミ袋へシュートした。
「ああっ! それ今日の昼ごはんに……!」
「アウト。酸化した油の塊ね。過酸化脂質は細胞膜を破壊するの。炎症を起こして老化したいなら食べれば?」
次はエナジードリンクだ。
極彩色の缶が六本。私は冷徹に宣告する。
「これもアウト。白砂糖とカフェインの爆弾ね。飲むと一時的に元気になった気がするでしょうけど、その後急激に血糖値が下がって、余計にダルくなるのよ。自律神経をジェットコースターに乗せるのはやめなさい」
ドサッ、ドサッ。
ゴミ袋が重くなっていく。
「マヨネーズ、論外。安い植物油脂の塊よ。プラスチックを食べてるようなもの」
「ええっ……」
「加工肉、ハム、ソーセージ。添加物の見本市ね。サヨナラ」
次々と「毒」を廃棄していく私を、一ノ瀬は呆然と見ていた。
まるで、愛するペットを保健所に連れて行かれる子供のような顔だ。
「あぁ……僕の食料が……生命線が……」
「食料じゃないわ、それは『エサ』よ」
私はゴミ袋の口を固く縛り、彼を振り返った。
「あなたは家畜じゃないの。人間なら『食事』をしなさい。細胞の材料になるものを食べなさい」
冷蔵庫は空っぽになった。
唯一残ったのは、ドアポケットの片隅にあった、干からびた納豆のパックだけ。
「……九条さん。これで僕、何を食べて生きればいいんですか?」
一ノ瀬が絶望的な声を出した。
空腹と喪失感で、今にも倒れそうだ。
「安心して。ここからが『再生』のターンよ」
私は持参したトートバッグから、本日のメインイベントである「秘密兵器」を取り出した。
透明なシェイカーと、黄金色の粉末が入ったボトルだ。
「……なんですか、それ」
「あなたの新しい燃料よ」
私は不敵に笑った。
破壊の次は、創造だ。
この更地になった彼の身体に、最高級の資材を投入する。その瞬間のカタルシスを味わうために、私はここに来たのだから。




