伯爵夫妻からの頼みでも聞けません
レオンとアンネマリーの両親――ノイヴィル伯爵夫妻が、他の来賓への挨拶を終えてイルゼたちのもとへ歩み寄ってきた。
「イルゼちゃん、まあまあ! 本当に久しぶりね。……うちの息子を、決闘でコテンパンにやっけてくださったそうじゃない? どうしてその場に私たちを呼んでくれなかったの?」
伯爵夫人はむしろ嬉しそうに目を細めて言う。
「……あんな見物、逃すには惜しかったわ。息子がギャフンと言わされる姿を、一生に一度でいいからこの目で見たかったのに」
隣に立つノイヴィル伯爵も、うんうんと大きく頷いた。
「知っていれば画家も手配していたというのに。油絵で残して我が家の屋敷に飾りたかった……残念だ」
――この夫婦、息子のことをどう思っているのだろうか。
イルゼは、にこやかな笑顔の裏で少しだけ眉をひそめた。
なんとも奇妙な夫妻ではあるが、イルゼは幼いころからこのノイヴィル伯爵夫妻に可愛がられてきた。だからこそ、彼らが根っからの善人であることはよく知っている――ただ、昔からほんの少しだけ感性がズレているのだ。
「それにしても、あの子が帰ってきた時の顔ときたら、見ものだったわよねえ」
楽しげに笑う伯爵夫人に、伯爵が満足げに頷く。
「決闘に負けたショックと、初恋のときめきと、婚約解消の絶望が一度に押し寄せた顔など、めったに拝めん。画家に描かせておくべきだったな」
「ほんとに。ほら、あの時の顔、こうだったわよ」
と、夫人はわざとらしく口を開けて目を見開いた顔真似までしてみせる。
――やはり、どこかズレている。
でも、イルゼはそんな二人が少しだけ、好きだった。
「父上、母上、イルゼに変な話を吹き込まないでください」
レオンが珍しくまともなことを言った。が、残念ながら彼の言葉は、伯爵夫妻の耳には届かなかったようだ。
「あらあら、もとはと言えば、あなたが“退屈でつまらない女”なんて言うからでしょう?」
伯爵夫人は涼しい顔で扇子を動かしながらそう言い、伯爵も大きく頷く。
「そうだぞ。私たちはイルゼちゃんが我が家の娘になるのを、心から楽しみにしていたんだ。すべてはお前のせいだ。ほら、謝れ」
「……すみませんでした、父上、母上」
素直に頭を下げるレオンは一見殊勝だが、どこかやはりずれている。婚約中にはまるで気づかなかったが、こうして改めて見ると、彼の天然ぶりが際立って見える。
伯爵夫人が、イルゼの手を優しく取った。
「イルゼちゃん。わたくしたちがあなたを本当の娘のように思っていたのは、まぎれもない事実よ。でもね、それとこれとは別の話。だからって、我慢して結婚してほしいなんて絶対に言わないわ。――結婚前でよかったのよ、本当に」
そして、ふと微笑んで扇を畳むと、声をひそめて囁く。
「本当にご縁があるなら、ふたりはきっとまた結ばれるわ。そうじゃなければ、それだけのこと」
その言葉をレオンにも聞かせるように言い放つと、彼女は扇子でパタパタと自分をあおぎ、気持ちよさそうに高笑いした。
一方、伯爵はこっそりとイルゼに耳打ちする。
「……まあ、あれで心配しとるんだ。もし気が変わって婚約を戻したくなったら、いつでも歓迎だ。もちろん、他の誰かを選んでも――わしらは何も反対せんよ」
――「他の誰か」という一言に、イルゼの心がひやりと揺れた。
婚約を解消するということは、すなわち、自分自身の将来を新たに見定めなくてはならないということ。今後、家のために誰と結婚するのか。それは貴族令嬢として避けては通れぬ道だ。
(いけない……レオンのことで頭がいっぱいで、そんな当たり前のことをすっかり忘れていたわ)
ふと視線を彷徨わせれば、庭には上流階級の子息たちが社交の笑みを浮かべて談笑している。
レオンだけがすべてではない――そう自分に言い聞かせるが、どうしてだろう。あの顔を思い浮かべるたびに、気持ちが揺らいでしまう。
きっとそれはレオンがいつまでもしつこいせいだ、とイルゼは頭を振った。




