馬を射られても倒されません
どうやら――手紙の中の「父の書斎に飾った」という一文が、思いのほか悪手だったらしい。
それ以来、父のもとにまで贈り物と手紙が届くようになったのである。
「この間、レオン君から素敵なチェス盤をもらってね。一緒に少し、チェスをやってきたよ」
なぜか娘の元婚約者と楽しそうに遊び歩いている父は、まるで少年のような笑顔で報告してきた。
「それにね、そのうち彼の領地で遠駆けもしようって誘われてるんだ。いい青年だねぇ、礼儀正しくて優しいよ」
(お父様……完全に騙されていますわ)
イルゼはテーブルに額を押しつけたまま、ぐったりと呻いた。
どうして元婚約者と父親が急速に親しくなっているのか、理解に苦しむ。
そして、なぜその笑顔が娘の苦悩を完全にスルーしているのか、もっと苦しむ。
「なにかあったのかい?」と父が呑気に聞いてくるその顔に、イルゼは心の中で叫ぶ。
――もう、いっそお父様と婚約してしまえばいいではありませんの!
けれどもちろん、そんな不敬な発言を口にできるはずもなく。
その日の夕方、父は「明日の朝、またレオン君が来てくれるらしいよ」と、嬉しそうに告げた。
イルゼは心底疲れた目で、庭に咲いたはずのない薔薇の幻を見た気がした。
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拝啓
イルゼ・フォン・ヴァイセンベルク様
お変わりなくお過ごしでしょうか。
昨日お届けしたアジサイとカスミソウ、お気に召していただけたなら嬉しく思います。
先日、あなた様のお宅にて玄関の薔薇が少し多すぎたようで、大変失礼いたしました。
次からは、より落ち着いた花を選びたいと思います。
ただ、あなたの美しさが、薔薇ほどに圧倒的だったせいかもしれません。
あなたの書かれたお返事、大切に拝読しました。
「父の書斎に飾った」との一文、とても嬉しく存じます。
もしよろしければ、次はお母様のお好きな花も教えてください。
ご家族皆様にもお喜びいただけるよう努めます。
ちなみに、イルゼ様がかつて城の音楽会で「ドビュッシーよりショパンのほうが好き」と仰っていたこと、
いまだに心に残っています。あのときの白いドレスと、グラスを手にした仕草も。
またお手紙を書かせていただきます。
どうか、お風邪など召されませぬよう。
あなたの笑顔が、日々の支えです。
敬具
レオン・エリオット
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そんな手紙が届いた翌朝のことだ。
レオンはいつも通り、花束と手紙を携えて現れた――まではよくあることだった。
だがその日は、なぜか応接室に通され、母がにこやかに出迎えていたのである。
「あらまあ、レオン君。いつもお花をありがとうねぇ。今日は何のお花かしら?」
「今日はマーガレットとカスミソウです。奥様のおやさしさにぴったりかと思いまして」
「まぁ!なんて素敵な青年なのかしら、あなた」
(ちょっと待って……)
廊下を通りかかったイルゼは、開いた扉からそのやり取りを耳にし、背筋が凍った。
あの天然系ほわほわ母が――すっかりレオンのペースに巻き込まれている……!?
「マーガレットの花言葉は“信頼”と“真実の愛”なんですよ」
「まあ……! 素敵! わたくしも若い頃にそういう言葉を言ってほしかったわぁ」
「今からでも遅くありませんよ。素敵なお方には、素敵な言葉を贈りたいんです」
「まぁまぁまぁまぁ……!」
(“まぁ”が止まりませんわお母様!!)
イルゼは思わず応接室に駆け込み、母の肩に手を置いた。
「お母様、あまりレオン様に親しくなさらないでくださいませ。いろいろ、誤解されてしまいますわ」
「まぁイルゼ、そんな冷たいことを言わないの。彼はいい子よ。あなたももっと優しくしてあげたら?」
「……お母様、それは悪魔に羽毛布団とミルクティーを差し入れるような行為ですわ」
レオンはにっこりと笑い、マーガレットの花束を母へと差し出した。
「イルゼがそう言うなら、気をつけます。でも、奥様にお花を贈るのは、純粋な敬意です。どうかお納めください」
「ありがとう、レオン君。今度、一緒にお茶でもしましょうね。あ、イルゼも誘って!」
(やめてください……お母様……)
イルゼはそっと天を仰いだ。
もう父親に続き、母親までもレオンに懐柔されてしまった今――
この屋敷に味方はいない。




