君を知りたい
あの日の自分の言葉を、レオンは何度も繰り返し思い出していた。
『あんな退屈でつまらない女、今すぐ婚約なんて破棄したいくらいだよ』
軽い冗談のつもりだった。場を盛り上げたかった。ただ、それだけだったのに。
けれど――その一言は、イルゼの心を深く、鋭く傷つけるには十分すぎた。
彼女が本当に婚約を破棄し、決闘を申し込んできたとき、レオンはようやく理解したのだ。
そのときにはもう、すべてが――遅かった。
あの時のイルゼの目を、レオンは今でも忘れられない。
冷たく、淡々として、何かを完全に断ち切るようなまなざし。
あの目には、もはや自分への好意の色など微塵も残っていなかった。
それが、何よりも――怖かった。
「……イルゼ」
名前を呼んでも、彼女はもう振り向いてくれない。
どんな言葉を尽くしても、その背中に届く気がしなかった。
思えば、イルゼが向けてくれていた視線に、レオンは一度だって気づいたことがなかった。
毎日のように顔を合わせていたのに。
隣にいて、笑っていたのに――彼女が何を見て、何を考え、何を望んでいたのか、まるで見ようともしなかった。
(……どうして、気づけなかったんだ)
知りたかった。
イルゼがどれほど自分を見てくれていたのか。
けれど――彼女に直接聞くことも、もうできない。
「二度と会いたくない」と言われてしまった今、手紙も、贈り物も、花束さえも拒絶されるようになった。
それでも、どうしても諦めきれなかった。
彼女は、自分の運命だ――そう感じてしまったのだ。
もはや盗人同然の真似だった。だが、何かひとつでも彼女を知る手がかりを求め、彼女の実家の屋敷の周辺を彷徨っていた時だった。
使用人のひとりが、髪飾りと何かを手に焼却炉へ向かうところに出くわした。
それが見覚えのあるものだと気づいた瞬間、レオンは反射的にそれを奪い取っていた。
「イルゼ様のご命令です。……もう必要ない、と」
使用人のその言葉が、胸に深く突き刺さる。
髪飾りは、彼がかつて贈ったものだった。
当時、イルゼはそれを手にして、嬉しそうに微笑んでくれていた。
――あの笑顔は、偽物ではなかった。
そして、もう一つのそれ――日記帳。
その表紙には、イルゼの繊細な筆跡で、控えめに名前が記されていた。
それを開くのが怖かった。
けれど、ページを捲る手は、震えながらも止まらなかった。
> 『レオン様は今日もお忙しそうだった。話しかけられなかったけれど、ほんの少しだけ目が合った』
『今度、髪を切ってみようかしら。少しでも、大人に見えたらいいな』
『……婚約者なのに、こんなに緊張するなんて、ばかみたいね』
その文字の一つ一つが、イルゼの声のように胸に染みていく。
ページの片隅には、自分の似顔絵まで描かれていた。
少し拙くて、だけど丁寧な線で。照れたような、自分を見上げる表情――イルゼがどんな気持ちで自分を見ていたかが、そこに詰まっていた。
心が締めつけられる。
(……君は、こんなにも、僕を……)
そうとも知らず、あんな言葉を吐いたのか――自分は。
気づくと、日記帳と髪飾りを両手に抱えたまま、レオンはその場に立ち尽くしていた。
手が震えていた。
口からこぼれた言葉は、誰にも届くことのない、たったひとつの本音だった。
「……ごめん、イルゼ」
彼女にこの想いを届ける手段は、もう――残されていなかった。




