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第八話 光と影

「ただいま~」

 何時の飛行機で、何時に帰国で、何時に帰宅するのか。

 そういった連絡が一切ないまま、玄関のドアが開いた。

「……た、達海(たつみ)!」

 明日帰るとのメッセージが昨日の昼間に届いたのが最後だった。

 火曜日までの日々を指折り数え、いつメッセージが届いても良いように、隙あらばスマホを確認し続けたのが、今日一日のことだ。ミスなく、定時の午後六時に会社を出ることだけに集中し、仕事は完璧に仕上げた、はずだった。

 自宅に帰宅しても落ち着かず、達海からの連絡を待っていたのだ、この時間まで。

 時計は午後八時。

 窓の外は暗くなっている。

「お前、連絡くらい寄越せよ」

 飛び上がるようにして立ち上がり、ドアを閉めて鍵をかけた達海をそのまま抱き締めた。

「驚かそうと思って」

 ちゅっと頬にキスをされた。

「驚いた、驚いたよ」

 顔を上げれば、楽しそうに笑う達海がそこにいる。

 以前よりずっと会えないことが辛く感じるようになっていた。今まではどこか達海だからと諦めていたところがあったのだろう。それは、高校卒業した後に姿を消した達海のせいだ。あのとき、達海をぜんぶ諦めた。

 そうだというのに、達海は自分のところに帰ってきてしまった。高校時代となにひとつ変わらないまま、今日のように『ただいま~』と、何年も行方知れずになっていたとは思えないくらい、いつも通りだった。

 おかげで、いまだに混乱したままだ。

 達海がずっと自分のそばにいたのではないかと、記憶が改ざんされそうになる。

(大学時代はいなかった)

 そう、最低でも四年間は、達海はいなかった。

 だから、達海はいないものだと思い込むようになった。

 それに慣れていたから、今までも達海が仕事で一ヶ月や三ヶ月、半年と海外に行っても平気だったのだ。

 平気だと思い込んでいたというのが正解なのかもしれない。

 一緒に過ごすようになって、達海が毎日いる生活など、日数を足したところで一年にも満たなかった。

 それでも。

 それでも、だ。

 達海のいない時間に耐えられなくなっている。

涼風(すずか)、泣くなよ」

 ちゅっと今度は唇にキスをしてきた達海がやさしく頭を撫でてきた。

「泣いてねえよ」

「涼風はさぁ、ときどき俺のこと殺そうとしてくるよね」

「はぁ?」

 突然物騒なことを言われ、涼風は出したこともないほどの大声をあげてしまった。

 達海は笑いながら靴を脱ぎ、部屋の中に入ってきた。

「涼風、晩ごはんは?」

「食べてない」

「そう言うと思った。駅前のおにぎり屋でいろいろ買ってきたから、食べよ」

 いつもの定位置に座ると、手にしていたビニール袋から、ペットボトルのお茶とおにぎりの入ったパックを次々とテーブルの上に並べていく。

「待て。いくらなんでも多すぎるだろ」

「余ったら、明日の朝も食べればいいかな~って。米が食べたくてさぁ。店に入ったらどれもこれもおいしそうで選べなかったんだよね」

「やっぱりこっちの米とか食べたくなんの?」

「んー。いままではそんなことなかったんだけど、涼風と一緒にいるようになってから、ごはんがおいしいな~って思うようになった……気がする」

 達海が、ウェットティッシュで手を拭いたあと、パックを一つ開いて、おにぎりにかぶりつく。それがあまりにもおいしそうな顔なものだから、食欲が一気に刺激されてしまった。昼ごはんを食べなかったくらいに、食欲がまったくなかったというのに、急に激しい空腹に襲われる。

(……単純)

 自分で自分を笑いながら、涼風も達海の向かいに座った。

「ほい」

「サンキュ」

 渡されたウェットティッシュで手を拭くと、パックをひとつ開けた。炊き立てのごはんの香りと海苔のこうばしさ。そうして一口で半分ほどを食べれば、中から程よいすっぱさの梅干しがでてきた。口中に広がるおいしさを飲み込めば、じんわりと胃袋へと落ちていく感覚に、ずっと空腹だったことを知る。

(達海は光なのかも)

 ずっと暗い場所にいたような気がした。

 毎日、朝起きて、会社へ行き、仕事をして、帰宅して、眠るという、人間の営みを繰り返し、ちゃんと生活をしていたはずなのだ。

 そうだというのに、どんどん気持ちは沈み、心が陰っていく。

 (こんなに……)

 いないことに慣れていたはずだったのだ。

 それは、きっと、違うのだろう。

 一日たりとも慣れてなんかいなかった。きっとそうだ。

 暗い影の中で、ただただ、待っていたのだ。

 光があたる日を。

「涼風、またなんかめんどうくさいこと考えてる?」

「めんどうくさいってなんだよ」

「達海がいないと俺は生きていけないんだ~みたいなやつ」

「言ったことねえだろ、そんなこと!」

「俺は聞いたことあるけど?」

「いつ?どこで!」

「ここでぇ、ベロベロに酔っぱらった涼風から直接」

「……マジ?」

「マジ」

 おにぎりを頬張りながら、目だけ真剣に向けてきた達海が深く頷いた。

 自覚をするより先に、自分はとっくのとうにわかっていたらしい。

「それでさぁ、俺も涼風がいないと生きていけないってわかったから、仕事辞めてきちゃった」

 ペットボトルの蓋をあけながら、達海がおにぎりの具はたらこが好きと同じレベルで話すものだから、涼風はすぐに理解できなかった。

「え?」

 おにぎりを喉に詰まらせるのをどうにか避けて、涼風も慌ててペットボトルのお茶を飲んだ。

「だってさぁ、イタリアにいても涼風のことばっかり思い出しちゃって、もうだめだなって思ったんだよね。ちょうど今回の撮影で、ブランドのシリーズ物が終わったから、ちょうどよかった」

「……そんなもんなのか? 違約金とか契約違反とかねえの?」

「ないようにしてきた」

「そっか」

 これからは、仕事だからと、突然何ヶ月もいなくなるということがなくなるということか。

 涼風は全く実感がわかなかったが、ただただ、嬉しかった。

(達海も俺と一緒にいたいんだ……)

 高校を卒業した時に姿を消した達海に対して、一緒にいなくても平気だったのだと思った寂しさや悲しみが、ようやくとけていくように感じた。

「うれしい」

 鼻の奥がツンと痛むのをごまかすように、うつむいたまま、おにぎりを一個、食べた。

「俺も」

 あたたかな手のひらで頭を撫でられて、結局ぼろぼろと涙が零れるのを止めることができなかった。

「好きだよ、涼風」

 笑う声があまりにも甘く、やわらかで、涼風はしばらくの間、顔をあげることができなかった。

(やっぱり、達海は俺の光だよ)

 暗い気持ちだけが詰め込まれた影が、明るく照らされていく。

 ようやく、ずっとずっと寂しかった記憶が、救われたような気がした。



終わり

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