第七話 埋まらない空白と埋まる空白
達海が仕事で出かけてから、二週間が過ぎた。
日々の仕事に追われ、日中はどうにか乗り越えることができている。
それでも、点滅する街灯の下を歩き、自宅であるアパートの部屋を見上げたときに、明かりがついていないことを寂しく思ってしまうのは、どうにもできなかった。
最寄り駅の近くにあるコンビニで弁当と缶ビールを買うことも忘れなくなってきた。
近々取り壊しの決まった古いアパートは、二階にはもう涼風しか暮らしていない。錆び付いた階段を昇って、一番奥の部屋。鍵を開け、暗いままの中に入れば、一気に力が抜けていく。
明かりをつける気も起きず、靴を履いたまま玄関に座り込んだ。
(いないことに慣れていたのに)
いることを知ってしまえば、あっという間に強がりな部分は粉々に砕けてしまう。
高校を卒業した後から、四年。
達海との思い出は空白のままだ。
大学時代が退屈だったわけでもなく、充実もしていた。
ただ、達海がいなかった。
それが、楽しい記憶さえも真っ白に塗りつぶす。
あの頃に戻りたいとは、一切思わない。思うこともない。達海がずっといなかったことを思えば、まだたった二週間である。
それでも、いないと諦めていた頃とは違うのだ。
とはいえ、声が聞きたいと思ったところで、声を聞いたら我慢ができそうにもない。
静かで暗い部屋の中。
「達海の味噌汁が飲みたいなぁ」
ぽつりと呟いたその声が、ふわりと浮かんで消えた。
どれくらいの時間が過ぎたのか。
帰宅してから、一時間も経っていないであろう、その時だ。
スーツの上着のポケットに入れていたスマホが鳴った。
誰とも話す気分ではなかったため、無視をしようと思ったが、会社からの緊急連絡かもしれないと、着信だけでも確認しようと手にしたところで、思わず立ち上がっていた。
震える指先をそのままに、通話をONにする。
『涼風? 生きてる?』
「生きてる」
さっきまで死んでいたのと同じようなものだったけれど、たった今、生き返った。そんな気持ちだった。
『仕事が順調に進んでて、来週の火曜日に帰る』
「え?」
『天気よくて、ずっと青空がきれいで、涼風にも見せたいから、今度一緒に行こうな』
達海は二週間過ぎてもなにも変わっておらず、もちろん自分も二週間で変わったところはなく、ただ目の前にいないだけだというのに、どうしてか、こんなにも苦しい。
「うん」
耳元で聞こえる達海の声がうれしい。ただそれだけだったけれど、どうしてか、鼻の奥がツンと痛んだ。
『涼風?』
「達海に会いたい」
暗い部屋の玄関に立ったまま、震える声を隠そうとして、余計なことを言ったと思ったのは、口から零れ落ちた後だった。
『俺も涼風に会いたいよ』
やわらかに耳元で囁く声が優しくて、耐えていたはずの涙がほろりと流れていく。
「バーカ」
『はははっ。火曜日に会えるから』
達海の笑い声を聞いて、流れる涙はそのままに、ようやく口元が緩むのがわかった。
「うん」
『お土産、ハンカチかタオルにしよっか?』
「いらねえ」
隠したはずの涙が達海には見えているのだろうか。
声だけで、そこまで伝わってしまうのだろうか。
そんな風に思ったところで、達海は昔からそうだったと納得をする。
『あ、ランチ休憩終わるみたい』
背後から話し声が聞こえ、そこでようやく時差を実感した。
イタリアとの時差は約7時間。
遠いようで、近いようで、やっぱり遠い。
『ちゃんとごはん食べるんだよ』
「はいはい」
『じゃあ、いってくるね』
「いってこい」
そこで通話が切れた。達海がすぐそこにいるようで、なんだかほっとして、涼風は靴を脱ぎ、明かりをつけた。
朝と何も変わらない部屋の中だったけれど、朝よりもずっと明るく感じた。
(単純……)
自分で自分を笑いながら、それでも笑えることを喜ぶことにする。
テーブルの上にコンビニの袋をのせて、脱いだスーツの上着をハンガーにかけてから座った。
二週間前にできた空白は、来週の火曜日に埋まる。
それが、嬉しかった。
終わり