第六話 後輩たち
近所のコンビニへ行くような気軽さで、達海は「いってきます」と、イタリアへと旅立っていった。
(しばらくこっちにいるっていったくせに)
いってらっしゃいと送り出したけれど、久しぶりに会ったときに喜んだ気持ちが萎えたことは、少しだけ許しがたい。それでも元気に「ただいま」と帰ってくれば、そんな気持ちも消えてなくなるのだ。
涼風は部屋の隅にきれいに片づけられた達海の抜け殻を眺め、ここに帰ってくるという約束に安堵もしていた。
一ヶ月は長くて短い。
いつも通り、朝起きて、仕事に行き、帰宅して、寝る。そんな生活を繰り返していれば、あっという間に日々は過ぎていく。
新しいプロジェクトが立ち上がるらしいとの話の中で、打ち合わせだ資料探しだと、雑務に追われているうちに、達海が出かけてから最初の土曜日を迎えた。
それでも。
それでも、ふとした瞬間に感じるこの部屋にいた達海の名残りに溜息を吐いていると、電話が鳴った。
表示された名前を確認しながら通話ボタンを押す。
『涼風先輩、フラれたんですか?』
「フラれてねえし!」
電話の向こうは、高校時代の部活の後輩の一人だ。名前を小寺詩音という。人懐っこい性格で、いつも笑い声の中心にいた。当時、どうしてか詩音に気に入られたらしく、先輩、先輩となにかあってもなくてもそばにやってきては、くだらない話をしていた。
『今日、みんなで集まるんです。先輩も来てくださいよ』
みんなとは、当時の部活で特に仲の良かったグループのことだった。一つ年下の詩音と二つ年下の二人の後輩のこと指す。
「話が早すぎんだけど? なんで知ってんだよ」
『達海先輩を先に誘ったら、イタリアに行くって返事が来たんです』
「は?」
高校時代、達海はどの部活にも所属していなかったが、時々部活中の涼風のところへやってきては、誰彼構わず楽しそうに過ごしていたせいで、特に後輩たちから人気があった。なんで、入部しないんですか? と何度も聞かれていたのも懐かしい。
とはいえ、連絡先の交換までしているとは思ってもいなかった。卒業後、達海はすぐにいなくなってしまったからだ。
『先輩、達海先輩がいると付き合い悪いじゃないですか。達海先輩を先に誘えば、涼風先輩も来るって聞いて』
「酷い入れ知恵」
『涼風先輩来てくれますか?』
「行く。暇だし」
『ですよね~。じゃあ、あとで店の情報送ります』
「みんな来んの?」
『月一の定例会、毎回来ないの達海先輩が日本にいるときの涼風先輩だけですよ』
「……マメすぎる」
『じゃあ、また夜に。楽しみにしてますから』
「わかった」
通話を切って、スマホを放り出した。
詩音に入れ知恵をした人間に心当たりしかない。
部内で誰よりも早く達海と連絡先を交換していた先輩がいた。
先輩の卒業後は特に連絡を取っていなかったけれど、達海が帰ってきたときに、連絡がきたのだ。そのときに、達海が家族以外、本当に誰とも連絡を取っていなかったことを知って、ほっとしたのだから。
きっとその先輩から詩音は入れ知恵とともに達海の連絡先を聞いたのだろう。
メッセージを受信した通知音が聞こえる。
詩音から今夜集まる店の情報が届いたのだ。
(たまには、いいか……)
高校を卒業して何年過ぎてもこうして誘ってくれる後輩たちの存在はありがたかった。
達海が姿を消したあと、彼らに救われていたというのも大きい。
決して真面目に活動していたとは言えなかったが、放課後の部活動は間違いなく、青い春の思い出だった。
***
「涼風先輩、こっちです」
最寄駅からすぐの、創作料理のダイニングバーを訪れると、ドアを開けた瞬間に詩音から呼ばれた。
店内は広くなく、テーブル席が三つとカウンター席が五席のこじんまりとしていたが、ダークブラウンで統一された内装にランプの明かりに照らされ、静かで落ち着いた雰囲気だった。
「貸し切りなのか?」
「まさか。開店時間前なだけです」
それを貸し切りというのではないのかと思ったがそれを口にせず、促されるように席に着いた。
「涼風先輩、お久しぶりです」
「うわー、涼風先輩、ほんものだ!」
目の前の後輩二人が、それぞれ驚きの表情で同時に言う。
「なんだよ、それ。お前らも元気そうじゃん」
笹井手瑤一は、色白で背が高い割に細身だったが、それは変わらない。柴山哲は、小柄で目が大きく小犬のような雰囲気は、体格が大きくなっても同じだった。
三人と会うのは一年ぶりくらいである。
なにも言わずとも生ビールがグラスで運ばれてきた。詩音が簡単に乾杯の音頭を取り、カチンとグラスを合わせて一口を飲んだ。
「そういえば、達海先輩、なんかでっかいお仕事しましたよね?」
「俺も雑誌で見ました。かっこいい広告!」
「達海の仕事は、よくわかんね~から、聞かれても答えらんねーよ」
「涼風先輩のそういうところ、すげーなって思います」
「なんだよ」
「恋人が世界中から注目されるような仕事してても、普通というか」
「そう言われても、俺にとっては、達海は達海だからなぁ……」
会社の後輩である須崎からも同じようなことを言われたばかりだ。達海がかかわっているブランドに興味がないというのもあるが、達海が自分の仕事のことについてあまり話したがらないというせいでもある。おかげで、達海が世界的な仕事をしているという部分を実感するのは、たまにかかってくる電話に英語で対応しているときくらいだった。
「達海先輩にも会いたかった~。次は一緒に来てください」
詩音が餃子を一口で食べる。
そういえば、どうして達海の連絡先を知っているのか聞いていないなと思い出す。
「達海が行くって言えばいいよ」
「涼風先輩が誘ったらオッケーじゃないんですか?」
哲が笑いながら、グラスの中身を一気に飲み干した。
「どうだろうなぁ」
「も~、フラれたからって、やる気失くさないでくださいよ」
瑤一が拗ねたように唇を尖らせる。
「フラれてねーって」
「今度一緒に暮らすんですもんね」
詩音がニヤニヤと言い出すのを聞いて、涼風は飲みかけたビールを吹き出しそうになった。
「は? なんで知ってんの?」
「なんで知らないと思ってるんです?」
「涼風先輩と達海先輩はラブラブだもんな~」
ぶうぶうと瑤一が拗ねた口調のままどうにも突っかかってくるのが珍しい。
「どうしたの、こいつ」
「最近、恋人とケンカしたらしいっすよ」
「俺に八つ当たりすんなよ」
「ケンカはしてないです~」
「自分が悪いと思ったら、さっさと謝れよ」
「仲良しの秘訣ですか?」
「いや、達海とケンカしたことない」
「もー、参考にならないじゃないですかぁ~」
「やっぱりケンカしてんじゃん」
一斉に笑い声があがったところで、二杯目のビールが運ばれてくる。
料理も次々とテーブルに並び、どれもこれもおいしかった。唐揚げの甘酢あんかけなどは、ピリ辛でビールもすすむ。
嘆く瑤一を慰めつつ、近況報告を挟みながら、それこそ部活終わりの部室での雰囲気となんら変わらないままの様子に、涼風は居心地の好さを感じた。年齢が異なり、職業も興味を持つものも共通点など何一つない。ただ、高校時代の部活が一緒だった。それくらいの距離感がむしろ丁度いいのだろうか。
くだらないことを語り、時々真面目な相談をする。
何年経っても変わらないものがあるのだ。
ジーンズのポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。メッセージが届いた通知音だ。
涼風はそれを取り出して確認すると、表示された名前に、不意打ちを食らう。
「うっわ、涼風先輩、一瞬で顔が崩れた」
「デレデレじゃないですか」
「うるせえ! こんなに早く連絡来たのが初めてなんだよ! よろこばせろ!」
「えー、なになに? なんて書いてあるんですか?」
「待て待て待て」
急にその場がシンっと静まり返った。
それはそれで、気まずいような空気である。
とはいえ、そんな空気を気にする余裕は涼風にはなかった。
震える指先で画面をタップすると、一枚の画像が表示される。
青く澄んだ青空と海の写真だった。
たったそれだけだったが、達海から届いた初めての、仕事先の写真だった。
空と海の二種類の青。
それが、あまりにも達海らしくて、笑うしかなかった。
「涼風先輩?」
詩音がおそるおそる聞いてくる様子がまたおかしくて、涼風は笑いながらスマートフォンの画面を見せた。
「写真だけだった」
三人が同時に覗き込んでくるから、それがまたかわいくて、おもしろい。
「すっげー、これ、イタリア?」
「めっちゃ天気いいですね」
「海も空も超きれいじゃないっすか!」
三者三様の感想が同時に飛び出してくるのを聞きながら、後輩たちの仲が良い理由がそこにあるような気がした。
詩音に誘われた達海は、後輩たちが集まることを知って、そこに涼風も参加するであろうことを見越し、この写真を送ってきたのだ。きっと喜ぶと思ったのだろう。
(達海もこいつらのこと、気に入ってんだよな)
写真を見ながら、イタリア行ってみたいとはしゃぐ三人のことを想像したのかもしれない。
「ありがとな、お前ら」
詩音が達海を先に誘わなかったら、今日この日に集まらなかったら、この写真が届くことはなかったのだから。
「なにがです?」
「いや、言いたくなっただけ」
「お礼言われるようなことしましたっけ?」
「会費はちゃんと割り勘ですからね!」
「それはわかってるって!」
気楽で、気の置けない仲間である。
涼風は、月一で開催されているらしいこの集まりに、もう少しマメに参加してもいいかもしれないと、そんな風に思った。
(三ヶ月に一回くらい……とか)
かわいい後輩たちではあるが、なんせやかましいのだけは、昔から変わらないのだった。
終わり