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第二話 味噌汁の匂い

 味噌の香りとベーコンの焼けた香ばしい匂い。

 トントンと包丁とまな板の軽快なリズムに目が覚める。

 天井は昔の住人がヘビースモーカーだったのだろう。煤けた木目の板が古さを際立てたが、そこを気に入っていた。

 大学の合格が決まったその足で、近所の不動産屋を訪ねた。そうして、学生が多く住んでいると聞いて、決めたのがこのアパートだった。築年数は相当古かったが、大学が近いことと家賃が安いこと、部屋にトイレと風呂があることが決め手だった。

 徒歩五分圏内に商店街があり、徒歩十分で最寄り駅と大きめなスーパーがあった。初めての一人暮らし。まだ十代の自分が実家を離れて暮らすには良い環境だった。

 大学時代の半分は、居なくなった達海のことを考えて過ごしていたような気がする。もう半分は、達海のことを忘れたかった自分が、必死に勉強をしていたことだけが残っている。そのおかげで、今の会社に就職できたのだから、勉強をするために進学をしたという名目は保たれた。

「おはよう」

 小さなキッチンに立つ達海にぺったりと近づけば、刻まれた油揚げがまな板の上にある。味噌汁の具になるようだ。コンロが一つしかないため、今は味噌汁の為の鍋がかけられている。先に味噌をといてから、具を入れるのは、達海独自の作り方だった。おいしければそれでいいと思っているうえに、料理をほとんどしない涼風からすれば、おいしい味噌汁が作れるだけで、すごいと思うのだ。

「おはよう、涼風」

 包丁をまな板の上に置いてから振り向いた達海にちゅっと口の端にキスをされる。それに応えるように、涼風は軽く唇を重ねた。昨日はキスをする前に達海が眠ってしまったのだ。久しぶりに会えたのにと、そんなことを思う。

「いい匂いがする」

「顔洗って来なよ。朝ごはんできたから」

 油揚げを鍋の中に投入した達海に軽く追い払われ、言われるがままに風呂場へと向かう。バスルームなどとオシャレなものではなく、文字通り風呂場だ。浴槽とバランス窯とタイルが敷き詰められた洗い場と壁。窯だけが新しく、シャワーがついている。

 洗面器に水を注ぎ、顔を洗えば、ようやく視界も意識も思考もすっきりと目覚めたようだった。タオルで顔を拭いてから部屋に戻れば、座卓の上にはごはん、味噌汁、目玉焼きとベーコンが並んでいた。

「うまそ~」

「ごはんはレンジであっためるやつだけどな」

「俺んち炊飯器ないままだし、それでいいよ。俺、達海の作る味噌汁大好きだから」

 座卓を挟んで向かい合わせに座り、いただきますと声が重なる。

 味噌汁を一口飲めば、味噌とかつおの香りがふわりと広がって、ほっと力が抜けていくように感じた。

「うまい~」

「それならよかった」

 涼風の一言と表情を見てか、達海が嬉しそうに微笑んだ。

「達海はいつまで日本にいるの?」

「しばらく……だと思う」

「そっか……。じゃあ、達海がいるうちに引っ越しの日程決めた方がいいかな」

「まだ出て行かなくてもいいんだろ? もっと名残り惜しんだら?」

「達海もここに住む?」

「それもいいね。俺、この部屋好きだよ」

「ボロいけどな」

「そこがいい」

 きちんと正座をし、背筋をシャンっと伸ばし、きれいな箸遣いでごはんを食べる達海の、自分には真似のできない上品さが、涼風は好きだった。それを毎日見ることができる可能性に、喜ばないはずもない。

「家賃は味噌汁でいいよ」

「安すぎ」

「それだけ達海の作る味噌汁が好きってこと」

「味噌汁だけ?」

「達海が一番好きだよ」

「俺も涼風が一番好き」

 達海の作る味噌汁の香りで目が覚めるなんて、贅沢にも程がある。それでも、その贅沢を手に入れたいと思うのだから、なんとも欲張りなことだ。

 味噌汁をおかわりしたら、達海に笑われた。

「だって、うまいし」

「うれしいよ」

 一番好きな恋人と好きな味噌汁と。

 おいしい香りに満たされた二人きりの空間が、なによりも幸せのカタチだった。



終わり

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