第4章:囚われの花婿
――朝ではなかった。地下トンネルに太陽なんて届かない。
でも俺の胃袋は、時間をちゃんと告げてくれる。つまり、めちゃくちゃ腹が減っていた。
「チョコバー……全部、クラリッサに渡されたやつだった……」
終末世界において最も頼りになるのが、実は恋するゾンビだったとは。皮肉すぎて笑えない。
ガタッ。
「……だ、誰だっ!?」
地下通路の奥で物音がした。緊張して身を構えると、現れたのは――
「……人間だ……!」
「生きてる人だ!やった!」
3人の男女だった。ボロボロの服、背中には自作っぽい装備。目の下にクマを浮かべ、明らかに疲弊していたが、間違いなく生きた人間。
「君、まさか単独でここまで来たのか?」
「……まあ、ゾンビの婚約者と一緒に来て、逃げてきたところ……」
俺の発言に3人は沈黙した。
「……どういうことだ?」
「いや、俺が聞きたい」
◆
3人は“アーク”という地下避難所の住人だった。
政府とは無関係な、民間のサバイバル集団。元は地下鉄施設だった空間を再利用して生活しているらしい。
「信じられないかもしれないが……最近、ゾンビの“理性保持者”が増えている」
「理性?」
「うん。つまり、人間だった頃の知性や感情を部分的に保ったままゾンビ化した存在だ。見た目はゾンビ、でも会話ができる個体もいる」
(クラリッサのことじゃん……)
「問題は、その一部のゾンビが“人間に恋をする”ケースが出てきたことだ」
「ええ!?!?」
3人は真剣な表情で続ける。
「その感情は、ほとんど狂気に近い執着で……我々の仲間も何人か、攫われた」
(完全に俺じゃん!)
「とくに最近、クラリッサって名の……」
「ちょっと待て!それ以上言わないでくれ……なんか俺の心が死にそうだ」
◆
避難所“アーク”は想像以上に広かった。
発電設備、浄水機、簡易栽培の野菜畑まである。武器庫や訓練スペースもあって、ここはまるで地下都市だ。
だが、安息は長く続かなかった。
「非常警報!? なにが……」
「北ゲートに侵入反応! ゾンビ群――いや、これは……単独個体!? 巨大反応だ!」
「どけぇぇぇぇえええいッ!! レイジィィィィ!!!」
――聞き覚えのある声が、地下施設に響き渡る。
「来た……来やがった……クラリッサ……!!」
◆
轟音とともに、北ゲートの金属扉が吹き飛ぶ。
そこに現れたのは、ゾンビたちを従え、全身に手製の装飾を施したクラリッサ。
まるで花嫁が戦闘モードになったかのような装い。
「レイジ、迎エニ、来タ」
「やめてくれーー!!避難所が壊れるぅぅぅ!!」
クラリッサはゾンビたちに手を振り上げ、周囲の防衛隊を威嚇しながら、俺に向かって突進してきた。
「レイジ、愛シテル。奪ウ!」
「“奪う”って言った!?おかしいだろそのプロポーズの文法!」
防衛隊の一人が叫ぶ。
「構わん!迎撃準備!」
「待って!彼女は……撃っちゃダメだ!!」
俺は思わず叫んでいた。なぜかはわからない。
怖い。逃げたい。
でも、クラリッサを殺すのは……なんか違う気がした。
(もしかして……俺、情が移ってる……?)
クラリッサが俺の前に立ち止まり、目を見つめてきた。
「レイジ、信ジテル。逃ゲテモ、追ウ。愛、止マラナイ」
「その純愛、怖ぇんだよッ!!」
そのときだった。
轟音とともに、天井から別の勢力が降下してきた。
「国家再建機構・特殊部隊! 感染制圧のために来た!!」
新たな混乱。
銃声、悲鳴、ゾンビと人間とクラリッサと俺。
地下避難所は、地獄のカオスと化していた。
◆
「レイジ……守ル。何度デモ」
「やめてえぇぇぇぇぇ!!!」
だが、その叫びとは裏腹に、俺の胸の奥に奇妙な感情が芽生えていた。
(……あいつ、俺を本気で守ろうとしてる……)
(なんでゾンビなのに、そんなに優しいんだよ……)
そして俺は、初めてクラリッサに問う。
「なぁ……お前、なんで俺なんだ?」
クラリッサは微笑んで答える。
「レイジ、最初ニ会ッタ、人間。目、優シカッタ。……一目惚レ」
その言葉が、心に刺さった。