第2章:美人ゾンビ、求愛する
――朝が来た。
いや、正確には、曇天が少しだけ明るくなっただけだ。世界はまだ灰色のままで、セミの声ひとつもしない。
「……生きてる。俺、生きてる……」
東雲レイジ、28歳。終末世界で目覚めた男。昨晩は寝袋の中で恐怖に震えながら一睡もできず、クラリッサが壁からニュッと現れないように通気口にダンボールを詰めて防御していた。
「さて……今日はどうする……」
スマホはまだ圏外。電池の残りは37%。充電器はあるが、電気が止まっている。
ビルの窓から外を見下ろすと、街は完全に沈黙していた。車は道端に放置され、人影はない。いや――遠くの方で、フラフラと歩く数体の人影が見える。歩き方がぎこちなく、明らかに普通じゃない。
(マジでゾンビが徘徊してるのかよ……)
夢じゃない。妄想でもない。俺は今、ラブコメの皮を被った終末サバイバルのど真ん中にいる。
「レイジ、オハヨウ」
「うわっ!?!?」
振り返ると、クラリッサがドアの隙間から覗いていた。微笑み、手を振る彼女はまるで恋する乙女――顔に血がついていることを除けば。
「な、なんで!? 閉めたはずの扉……」
「カギ、カンタン。ピンでカチャ。レイジに会うタメ、ワタシ、ガンバッタ」
「やめろその不器用な努力! 方向間違ってるぞ!」
クラリッサはズンズンと近づいてくる。
「昨日は、ヨク寝レタ? レイジ、カワイイ寝顔、ミタヨ」
「のぞくなぁぁぁあああ!!」
俺は反射的に寝袋ごと転げ落ち、クラリッサから距離を取る。
「お、お願いだから帰ってくれ!俺、人間だし!ゾンビと恋とか、ジャンル違いすぎるんだよ!」
「ソレ、差別?」
「詰め方が社会派すぎるッ!!」
クラリッサはうるんだ目でこちらを見つめる。たまらず目をそらすと、彼女はポーチから何かを取り出した。
「プレゼント、アゲル」
「えっ……」
差し出されたのは、チョコバーだった。しかも未開封。
「ゾンビになっても、甘いモノ、スキ。アマイモノ=愛、デショ?」
「なんでそんな昭和の恋愛観……」
だが、腹が減っていた俺は、そのチョコバーを受け取ってしまう。クラリッサの目がキラキラと輝く。
「ヤッタ……レイジ、私ノ、彼氏」
「違う違う違う違うッ!!!」
◆
その後もクラリッサはつきまとった。トイレに行こうとすれば入り口で待機し、ビルの屋上に上がれば一緒に日光浴を始める。しかも、彼女はゾンビなのに体臭がまるでしない。むしろいい匂いがする。どういう構造だ?
「ねぇレイジ、デート、シヨウ?」
「この状況で何言ってんだお前は!?」
「安全地帯、知ッテル。イコウ? イッショニ。ネ?」
クラリッサが指差したのは、遠くの山の中腹にある廃病院。
「人間、タクサンイタ。今ハ、イナイ。静カ。アソコ、安全。ソシテ……ベッド、アル」
「その最後の情報が怖すぎるんだけど!?」
◆
結局俺は、クラリッサに半ば強引に連れられ、ビルを出る決意をした。外のゾンビより彼女の執着の方が怖いと悟ったからだ。
夕暮れ、廃墟の街を二人――いや、一人と一体が歩く。
途中、ゾンビ数体に遭遇したが、クラリッサが一声うなるだけで、ゾンビたちは道を譲った。
「お前、ゾンビ界でどんな地位なんだよ……」
「ヒミツ。レイジ、スキ、ダカラ」
彼女の笑顔はあまりにも純粋で、まるで人間の少女のようだった。
もしかしたらこの世界で、一番俺のことを想ってくれてる存在なのかもしれない――そんな考えが一瞬でもよぎったことを、俺は心の底から後悔することになる。
なぜなら――その夜、廃病院で待っていたのは、ゾンビ達による“結婚式”の準備だったからだ。