第1章:終わりの始まり
人はなぜ恋をするのか。
誰もが一度はそんな疑問にぶつかるだろう。
だが、俺の場合は少し特殊だった。
なぜなら――
「レイジ、アイシテル……カプッ、したい……」
目の前にいるのは、顔面偏差値MAXの美女。
透き通るような白い肌、すらりとした手足、潤んだ瞳。まるでモデルのようだ。
唯一の欠点は、すでに死んでいることと、俺を食べようとしていることだ。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
俺の叫びが、朽ち果てたビル街に響き渡る。
愛されるのって、こんなに怖かったっけ……?
ーーーーーーーーーー
雨が降っていた。季節外れの土砂降りが、コンビニのガラス窓を濡らしている。外ではサイレンの音が遠くで鳴っていたが、珍しいことじゃない。この街は、いつだって何かが壊れかけていた。
「いらっしゃいま……せ? あ、誰もいないのか」
東雲レイジ、28歳、独身。今日もコンビニの夜勤バイトを終えたばかり。俺の人生は、だいたい雨が降ってる。彼女にフラれてからというもの、晴れの日の記憶がほとんどない。
勤務を終え、濡れた道路をとぼとぼと歩いていたとき、スマホが鳴った。画面に映るのは、ニュースアプリの緊急通知。
《新型ウイルス感染拡大。原因不明の興奮、錯乱、咬傷による暴力行為が確認されています》
「またフェイクニュースかよ……」
しかし、異変はすぐ近くまで迫っていた。
コンビニの近くの交差点。スーツ姿の男が、OL風の女性の首筋に噛みついている。最初は痴話げんかかと思ったが、女の悲鳴と、ブチッという音でその幻想は崩れた。
「……うそだろ……」
女の体が崩れ落ちると、男は血まみれの顔を上げた。目が虚ろで、濁っていて、どこか動物的。こっちを見た瞬間、男の身体がピクリと動いた。
「こっち来んなァァァッ!!」
俺は全速力で逃げた。心臓が破裂しそうなくらい走りながら、頭の中は真っ白だった。ゾンビ? いや、そんなバカな。だけど……
逃げ込んだ先は、商店街のはずれにある古びたビル。非常階段を駆け上がり、三階の扉を蹴破って中へ入る。廃墟のようなフロアには誰もいない。荒れたオフィスのような空間。机と椅子が散乱している。
「……はあっ、はあっ……助かった……?」
そのとき、背後から声がした。
「ダイジョブ?」
びくっとして振り返ると、そこに立っていたのは――
一人の女だった。
白衣を羽織った、驚くほど美人な女性。銀髪に近い金髪、整った顔立ち、透き通るような白い肌。そして手には……人間の腕。
「……クラリッサ。ワタシ、クラリッサ。あなた、名前は?」
「レ、レイジ……です……」
「レイジ。いい名前。カワイイ」
「え、ええと……その腕、どこから……?」
「さっき、追いかけてきたヒトから。ワタシ、キライ。レイジ、スキ」
――この女、やばい。
美人なのに、圧がすごい。いや、言葉の端々に“食欲”が滲み出てる。俺の警戒心が限界に達したとき、クラリッサが一歩近づいてきた。
「レイジ、いっしょに、いよう?」
「いやいやいやいや!! 俺、人間! 君、ゾンビでしょ!? たぶん!」
「ゾンビ……? そうかも。でも、レイジ、スキ。だから、たべない」
「選択肢に“食べる”入ってんじゃねーか!!」
俺は反射的に後ずさりし、部屋を飛び出して廊下を走った。階段を駆け下り、外に飛び出す。
「ハァッ、ハァッ……ま、まいてくれ……」
角を曲がった瞬間、目の前にクラリッサ。
「ハァッ!? なんで前にいるの!? ワープ!? ステルス機能ついてんのかよ!」
「レイジ、オイカケルノ、トクイ」
息を切らしながら俺は叫ぶ。
「お前、ストーカーの才能あるわ!!」
◆
日が落ち、俺は廃ビルの一室に身を潜めていた。扉を何重にもロックし、机と棚でバリケードを作る。幸い、水と乾パン、寝袋があった。
「明日にはきっと、警察が来る……か、クラリッサが飽きてくれる……」
天井を見上げて深呼吸したそのとき、壁の通気口から顔がニュッと現れた。
「レイジ、おやすみなさい♡」
「ヒィィィィィィィィッ!!」
俺の絶叫は、誰にも届かない。
こうして俺の終末が始まった。ゾンビに惚れられた男の、絶望的な逃亡生活が……。