番のせいで酷い目に遭った私の話、聞く?
今から五百年ほど前。世界の国々は戦争に明け暮れていた。
魔法使いたちが、キメラや獣人と呼ばれるあらゆる生物をごちゃまぜにするひどい技術で兵器を作り上げていた時代があった。
魔法使いたちはこの技術に夢中で気づかなかった。兵器の方が圧倒的に強いのだから、反乱を起こされたら人の方が危ないことに。
魔法使いたちは空飛ぶ島に逃げてそれきり戻って来なかった。そして人と獣人たちが残り、共存して今に至っている。
最大の問題は、キメラが野放しになっていて増えてしまったこと。この脅威に対抗するには人の技術だけでなく、獣人の能力が必要になる。しかし獣人は交配を想定して作り出された生命ではないから、生殖能力が高くない。しかも子が無事に生まれないこともある。
だから獣人の血が濃い者は「番」と呼ばれる最も子を残しやすい伴侶を判別して選び取る権利があるのだ。
私、エミリア・バローはごく普通の女子大生だった。
大学では、教師の資格を取るべく勉学とアルバイトに励み、時には友達と遊んだりして楽しく過ごしていた。
大学二年のとき、友達に誘われて入った登山サークルで先輩であるマーティン・ベルに言われた。
「君は俺の番だ。結婚してほしい」
「先輩、獣人だったんですか?」
「ああ」
そう言って学生証を見せてくれる。性別に「B♂」とある。BはビーストのB。
……この人、獣人だったんだ。それが私の最初の感想だ。
五歳になると「獣人認定」というものがある。人間と獣人と言う種族判断をするテストだ。
身体能力が常人以上である事を調べ獣人と確認されると、最低一年の従軍が義務になる。徴兵されるのだ。男性獣人には色々と優遇があるのだが、その一つが番を選べるというものだ。
獣人の男性には、自分と子を残せる女性を匂いで判別する能力がある。
判別された女性は、他の獣人の番にも当てはまることがある。……獣人の血を残しやすい体質は似通っているのだ。性格的な相性があるので、複数と付き合ってから女性側が選んで気に入った人と結婚するのが一般的だ。結婚をいきなり迫ってくるマーティンは普通ではなかった。
なぜ即結婚になったかと言うと、マーティンは後半年で徴兵されることが決まっていたためだ。番を選ぶ権利は徴兵される獣人男性にとって最高の権利だ。マーティンはそれを行使しないまま徴兵されたくなかったのだ。マーティンの両親からも懇願され、他の人からのアプローチもなかったので私は渋々結婚することにした。
彼は獣人としてはかなり力が弱い。徴兵先でのことを思えば、応じるしかなかった。
しかし……
「あ、間違えた」
目を見開き、新郎であるマーティンがそう言ったのは結婚式の会場に入った直後だった。新婦である私は、新郎の見ている方を見て瞬時に理解してしまった。
そこには……十六歳になる私の従妹がいたからだ。
獣人優先とは言え、重婚は論外。
婚姻申請が受理される前だったので……私と従妹の名前が変更されることになった。
それから五年がたった。
私は教師として高校に赴任している。
マーティンの行いは酷いものだったが……もう文句をいうことは出来ない。何故ならマーティンは徴兵先から戻って来なかったからだ。獣人の……特に徴兵されたばかりの新兵はその三割がキメラとの最初の戦闘で命を刈り取られる。女性獣人の新兵は主に後方支援に回されるが、男性獣人は番を選べる代わりに前線一択なのだ。
ギリギリ獣人程度の能力であったマーティンには厳し過ぎた。
従妹は私と仲が良かったので、最後までマーティンを許さなかった。しかし、徴兵される男性獣人の意向は国の制度で通ってしまう。籍は入れなければならなかった。
従妹とその両親は、彼女が未成年であることを盾にして一切接触させず、同居もしなかった。十六歳の従妹に未亡人の経歴が付いたのは甚だ遺憾だが、本人は特に気にせず今は大学生活をエンジョイしている。
従妹と私は互いにマーティンをボロクソに言うことがある。同じ被害者だから。しかし、そうでない者に私の境遇をとやかく言われるのは許せない。
「番もどき」
黒板に書かれた文字を黙って消す。
ニヤニヤした男子生徒がこちらを見ている。
私は半眼でその生徒を見る。
……この国で軍の上層部に居る恐ろしく強い大将の息子だ。私の結婚時の番チェンジ事件は、軍部でも珍事件として有名だ。誰かから聞いたのだろう。
パチンと指を鳴らすと私の手元から衝撃波が飛び、ニヤニヤしている生徒の髪の毛の先が切れてパラリと落ちる。
教室が水を打ったように静まり返った。
生徒たちがこちらに注目したので口を開く。
「今日から一年、このクラスを担当するエミリア・バローです。教師が本職ですが、要請に応じて出撃する予備兵でもあります。軍での階級はありませんが、舐めていると病院に転入することになるので気を付けてください」
私は獣人ではないが魔法使いだ。
風刃のエミリア。それが私の二つ名だ。
獣人は軍で階級が与えられるが、魔法使いは認定されると二つ名を持ち、生きている限り予備兵として軍の要請に応じることになる。
獣人の創造主で、遥か上空にあるという島に住む魔法使いは、地上でも極稀に生まれる。親族の中では私だけが魔法を使える。どうして生まれるのかは分からない。実際には魔法の使い方を教えてくれる人がいないから分からないだけで、潜在的な魔法使いがいるような気がしている。
私は偶然風の刃を使えるようになったが、他のことはできない。どうやっているのかも分からないから、人に教えることもできない状態だ。
私も相当強い方ではあるが……上には上がいる。軍には想像を超える能力を持った獣人がおり、無理を通せばわが身が危ういと思うことがたまにある。だから大人しく教師をしつつ予備兵として暮らしている。
魔法使いが前にいたのは三十年前だと聞いている。その人はある日突然いなくなったそうだ。行方をくらませるしか、逃げる方法がなかったのだろう。当時は戦場に出しっぱなしにされたそうだ。その人のおかげで私の待遇は良くなった。もし嫌なことがあったら、私も行方をくらませよう。
今おちょくってきた生徒の父親は、キメラと一対一で勝負ができる。私の軍での後ろ盾であり監視者でもある。息子はそんなに強くない。そのせいでひねくれている。父親から適度に躾けるように言われているので、今回のことも許してもらえるはずだ。
私は結婚を推奨されていて、何度も見合いをしているが惨敗だ。
だって軍部は人間ばかり見繕うのだ。魔法使いが増えるのを期待してのことだろうが、軍の面目をつぶさないために会ってくれるだけ。見合い相手は、私に怯えて目を合わせてくれない。
さらに判明したのは、強い獣人ほど魔法使いを警戒するという点だ。
獣人としての能力が高い者ほど顕著で、私が番になれると分かっていても寝首をかかれるのが恐ろしくて求婚できないというのだ。そんなことはしないのに。
マーティンがなぜ求婚できたのかがわかる研究結果だった。私に求婚してくるのは弱い獣人だけなのだ。……何せ獣人なのに相手の力量を感覚で読み取れないのだから。
更に五年経った。
「先生、俺の番になってくれ!」
高校一年生当時に私をおちょくった男子生徒……マルティンが私にそう言ってくる。
「断る。名前がダメ」
私を「番もどき」だと言うなら、屑の名前くらい調べておけ。そして潔く身を引け。しつこく言われようと、もう慈善事業としての結婚はしない。
「生きて戻ってきたらデートしてよね」
マルティンはそう言って徴兵されてそのままになった。
お葬式では、物凄く強い父親も奥さんと一緒に泣いていた。彼の何人かいる子どもの中でも、マルティンの弱さは筋金入りだったそうだ。しかし父親は権力で息子を守るようなことをしなかった。……マルティンが言ったそうだ。私に交際を申し込むならズルはできないと。
マーティンもマルティンも、キメラと戦うには弱すぎた。それだけ。本人の性質などキメラの前では関係ないのだ。
許せなかったことを、私はどう考えればいいのか分からなくなってしまった。
二人とも、国の制度に従って従軍した。私はひどいことを言われたが、それで生活できないほどに追い込まれたわけではなかった。
魔法使いと分かって従軍することになった当時も、女だからと戦闘に慣れない頃はよく庇われた。強い遠隔攻撃の手段があるというのは、それだけキメラと距離を取れる。マルティンたちには庇ってくれる人もいなかったし、私のような力もなかったのだ。
マーティンの墓には十年の間一度も行っていなかったが、マルティンの葬式の後で墓前に花を手向けにいった。
彼が結婚式のとき、式場に入る直前になって私の手を強く握って一歩を踏み出すのをためらった事を思い出したのだ。その後の酷い出来事のせいですっかり忘れていた。
今なら分かる。結婚式をしようがしまいが、時間がくれば徴兵される。分かっていても、そうしたくなるほどに怖かったのだ。
確かに最低なやつだったが……永遠に許せないほどのことはしていないとようやく思えた。
私もいい年だ。もうすぐ三十歳になる。三十歳まで異性と付き合わないと魔法使いになるという話を聞いたのだが、既に魔法使いだ。賢者にでもなれるのだろうか。
そんなことを考えながらご飯を食べて空を見ていたら、空から何かが降ってきた。人の形をしている。
ドォォォン
地響きを立てて校庭のど真ん中に落ちた。
私も近づくと、お昼休みに球技をしていた男子生徒たちが駆けてきていう。
「先生!空からオッサンが」
空から落ちてきたのは、もさい人型……。たしかにオッサンだった。地面にめり込んでいる。
「みんな下がりなさい!退避~!退避~!」
指先がピクリと動いたのを見て、私は叫んだ。
あの高度から落ちて土埃を被っているだけで、しかも生きているなど、人でも獣人でもない。
警戒している間にも、オッサンは腕を動かし足を曲げ、上半身を持ち上げるとスモークガラスがはまったゴーグルを額にずらして私の方を見た。吸い込まれそうな青い目だった。
背筋がぞくりとして、ぶわりと毛が逆立つような感覚が全身に広がる。
「gotcha」
男はそう言うと満面の笑みを浮かべて手を伸ばしてくる。
後ずさって離れようとしたが、なぜかズルズルと引き寄せられていく。足を踏ん張っていても効果がない。
「この!」
衝撃波を出すと、男の直前で目に見えない壁に阻まれて消える。
「え?」
「come on」
「何言ってるのよ。意味わかんない」
「my partner」
なぜだろう。これだけ何を言っているのか分かる。多分、感じた意味は合っている。
私は火事場の馬鹿力でその場に踏みとどまった。
「番……番……番……いい加減にしてよ。もう嫌」
男は首をかしげ、指を私に向けてから招くように動かす。するとあっという間に男の胸にすがりつく格好になっていた。
男は私を抱きしめる。何かが体から抜けていくような感覚があった後、
「ちょっと落ち着いて」
さっきまで意味不明な言葉を話していたのに、男が普通に話し始めたのだ。
「ねえ、聞こえてる?通じてる?」
言葉は通じているが、私は黙って男を睨む。
「さっき知識をもらったんだ」
「勝手な事をしないで!」
「いいじゃないか。僕は君の番だもの」
涙の膜で、目の前の光景が歪んでいく。
「え?え?泣かないでよ」
「考えていることを共有したんでしょ?何で分からないの?番はもうこりごりよ」
「それはうそ。だって君は自分より強い相手と結婚したいって願ってる。僕はマイティっていうんだ。よろしくね」
「却下!」
不意を突いて顔面に拳をお見舞いしたが、マイティは鼻血を出しても私を離さなかった。
……その後、マイティの話によれば、空の島の魔法使い(彼らが言うには超人)は、戦争末期に生まれた獣人の上位種で、人の手に余るため空の監獄に入れられていたそうだ。
つまり……人間の研究からキメラが生まれ、その発展形で獣人が生まれ、さらに超人が生まれた。歴史で習ったのとは全然違う。不都合な史実を改変したやつがいたのだろう。
彼らを閉じ込めていた防御魔法は経年劣化と内部の超人たちの技術で壊れ、出てきたのがちょうど今であるらしい。防御魔法は、人間が超人たちを騙して作らせた、彼らのための檻だった。気づいた時には完成していて、彼らは出られなくなっていたそうだ。
「僕も含めて仲間が百人くらいが各国に降りている。キメラのことは任せてほしい。それが終わったら改めて話をしよう」
マイティはそう言っていきなり目の前で消えてしまった。
その後、半年もしないうちにキメラは全滅した。この世界から……すべて。
「この一帯は空気中にキメラに反応するウイルスを散布したんだ。そこら辺にあるウイルスをいじればすぐできるから簡単だったよ」
彼らが空のかなたに幽閉された理由が分かった。
私もこの人と同じ種族なのだと思うと、妙に気持ちが落ち着かなくなった。少し情緒不安定になったが、不思議とマイティに会うと落ち着いた。危険人物だと言うのに解せぬ。
マイティは二十五歳だと言う。ひげを剃ったら想像以上に若返って驚いた。
「年上なのを気にしているの?大した差じゃないよ。超人は一定年齢から不老だ。しかも、いつまで生きるか分からない」
「は?……うそでしょ?」
「うそじゃないよ。僕の親は第一世代。戦争当時の生き証人だよ」
まずい。これはまずい。予想を遥かに斜め上へ突き抜けている。
「他に相手はいないの?」
マイティは強い意志を秘めた笑顔で言った。
「いない。だって僕は生まれた時から地上にいる君のことを感じていた。君だけしか望んでいなかったんだ。ずっと」
薄くなった防御魔法越しに、私の住む場所の上空を島が通るときには居場所を確認していたのだとか。
だったら……
「何でもっと早く来ないのよ!」
十年早く来てくれていたら、マーティンもマルティンも……。私もこんなにつらい思いをしなくて済んだ。理不尽な怒りだと分かっていたが、言わずにはいられなかった。
「ごめん」
マイティは謝った。私より年下の癖に、年上みたいな対応で余計に腹が立ったが、それ以上は言葉もなく嗚咽することしかできなかった。
私はいつも冷静だった。人から見れば見下していると思える態度を取ることもあった。感情をむき出しにするのは苦手だった。だからこんな風に感情的になる相手であるマイティは、間違いなく番なのだろう。
「私、結婚して子どもも産んでいたかもしれないのよ?」
泣き止んでからそう言えば、マイティは笑う。
「いや、そうはならない」
「どうして?」
「弱い獣人は超人になる一歩前の段階だ。彼らは超人の女性を好むけれど、結局同じような……超人一歩手前の状況の女性を見つければそちらを優先するんだ。君が生まれているのだから、そういう女性が近くにいた。だから目移りした」
マーティンの「あ、間違えた」は本能的な根拠があったらしい。
「もしマーティンが生きて戻ってきたら、彼と従妹の子は超人かもしれなかったってこと?」
「多分ね。地上には君以外にも超人が生まれているんだ。多くはないけれどね」
「閉じ込めたほどなのに、どうして地上で……」
「獣人の能力は医療技術にも転用された。彼らはすぐに怪我も治るし、運動能力も高かった。人はそれを利用したかったんだ。結果……人に獣人の特性が取り込まれ、超人が生まれた。生まれた超人は空の上に閉じ込めたけれど、医療技術を捨てられなかった地上で超人は生まれ続けていた。ただ、父親候補がキメラの餌になってしまうから生まれる数が少ないし、超人として生まれても力を外部に放出する手段を持たないなら力は眠ったままになる。そうなると人と同じように老いて死ぬ。君は力の使い方を自力で編み出した。もう不老プロセスに入っているよ」
そう言えば、年齢の割に若々しいとは言われている。……年を取らなくなっていたらしい。
もう強いキメラはいない。人々の関心は不老である超人への強いアプローチに変わるだろう。誰だって不老で長生きできるならそうなりたい。流れを止めることは不可能だろう。
「そもそも、君は過去の男たちを異性として好きになれなかった。しつこいようなら逃げるつもりだったよね」
その通りだ。マーティンとマルティンからは逃げられると心のどこかで思っていた。
しかし、マイティに対してはそう思えない。
「もう不安にならなくていいよ。僕の相手は君だけ。……君も僕を知ってしまったから、僕でないとダメになった。超人の番は早い者勝ちの刷り込みタイプなんだ。だからこの先、僕がいなくなっても他の誰かを望む気持ちは起こらない」
マイティの目を見て、私はまた全身が総毛立つような感覚に襲われる。この感覚は彼のむき出しの本心に触れることで起こるようだ。彼の言葉にうそはない。
たった一人の相手と目が合った瞬間に結ばれてしまう縁。こんなものがあるなんて。
「これが本当の番だよ」
とても怖いことだと思うのに、私はなぜか安堵していた。
もう他の誰かに罪悪感を抱えなくて済む。好きになってくれた相手に思いを返せないまま見送り、悲しいのに心のどこかで誰かを望んでしまう自分を浅ましいと思わずに済む。
「まだ嬉しいとは思えない。それでもいい?」
「時間ならある。急がなくていいさ」
差し出された手に手を重ね、私たちは手をつないで歩き出した。