夢のような悪夢の発明品
時刻はすでに12時を過ぎた。今夜は新月で、月光すら地上に届かない日であったが、このオオザワ加工食品株式会社の管轄内にある研究所では、シーリングライトの白色光が窓からあふれていた。
この研究所にとっては珍しくもない光景であった。特に、ここ数か月は毎晩のように明かりがつき、朝まで点けっ放しの日もあるぐらいだったので、従業員の間でも噂や憶測の的になっている。
しかし今夜は、そんな印象とは真逆の大きな歓声が所内に響き渡っていた。
「みんな、今までよく秘密を守り通して頑張ってくれた! ついに、食料変換機が完成したぞ! これが普及すれば、世界中から飢えや貧困が無くなるのも夢じゃない。まさに夢の発明品だ!」
キノシタ研究主任の一声に、研究員たちは大きな拍手で答えた。歓喜の渦の中心に、四畳半ほどの大きさと、大人二人分ほどの高さのある巨大な機械が鎮座していた。
「キノシタ君! とうとう完成したのかね!」
自動ドアが開き切るのも待てないかのような様子で、一人の老人がパジャマ姿のまま研究室内へなだれこんできた。研究部のトップであるヤマダ所長であった。
「所長! 申し訳ありません、こんな夜中に報告して……」
「いやいや、世紀の大発明に昼も夜もなかろう。試運転はしてみたのか? すぐにでも実演できそうか?」
「はい、すでに消費期限切れのコンビニ弁当を10個分と、フライドチキンの骨を10本使用して、動作確認を行いました。出来あがった栄養剤も、食品衛生基準をクリアしていることを確認済みです」
「必要な電力はどのくらいだ」
「はい、定格で……」
両者とも冷静に状況確認をしているつもりであったが、ヤマダ所長の顎髭は揚々と揺れ動き、キノシタ研究主任の口角はマスク越しでもわかるぐらいに釣り上がっていた。
「キノシタ君、本当によくやってくれたな。すぐにでも特許を出願しよう。まさしく君は、歴史にその名を刻んだのだよ。わしも歴史的瞬間に立ち会うことができて感無量だ」
「そんな、所長、おおげさですよ。この発明は所長のアイデアと、研究員たちの努力が実を結んだ結果なのですから」
「ははは、そう謙遜しなくてもいい。君もまだ興奮冷めやらぬ様子だが、今日はもう帰って休みたまえ。これから特許出願だけでなく、学会発表や財団向けプロモーションに、マーケティング戦略会議など、やることが山ほどあるからな」
「お気遣いありがとうございます。ここ最近は徹夜続きでしたからね……今夜はお言葉に甘えさせていただきますよ」
「おいおい、帰宅途中の事故だけは勘弁してくれよ」
ヤマダ所長や研究員たちの穏やかな笑い声が、研究室に広がっていく。キノシタ研究主任は心地よい空気に包まれて、まさに夢の中にいるようだった。
********
それから一か月ほど経った後のことである。都内に悠然とそびえ立つ、オオザワ加工食品株式会社の本社ビル――その社長室では、オオザワ社長が眉をひそめながら、応接スペースにある数多の資料へと視線を向けていた。そのすべては、あの食料変換機についてのものであった。
静寂を打ち破るようにして、社長室にノックの音が響く。
「失礼します! 第三研究室主任のキノシタです!」
「入りたまえ」
許可を得るが否や扉は乱雑に開かれ、続いてキノシタ研究主任が足早に社長室に入ってきた。眼は血走り、髪は乱れ、薄汚れた白衣を身にまとったままの風体であったが、オオザワ社長はその様子を予測していたのか、彼を穏やかに迎え入れた。
「キノシタ君、忙しい所よく来てくれたね」
「社長、メールの件は本当なのですか」
社長のねぎらいも意に介さず、キノシタ研究主任は話を切り出した。唇はぶるぶると震えて、敵意さえ感じる眼差しで社長を見ている。
「ああ、君にとっては信じられないだろうが……本当だ。我が社は、食料変換機の研究開発プロジェクトを凍結することに決定した」
「馬鹿な! ありえません、そんなこと!」
今にも掴みかかりそうな勢いで詰め寄ってくるキノシタ研究主任を、オオザワ社長は手で制した。
「詳細を話そう。まずは落ち着いて、応接スペースの椅子にかけてくれたまえ」
キノシタ研究主任は幾分落ち着きを取り戻し、応接スペースで改めてオオザワ社長と対峙した。
「その資料……目を通していただけましたか」
「うむ、全て読ませてもらったよ。本当に素晴らしい研究成果だ。素人の私でもわかる」
「じゃあ、なぜ――
「キノシタ君、ここでひとつ、私にこの食料変換機について説明をしてくれないか。社内の大会議室で行う予定だったプレゼンの代わりに、だ」
「プレゼンを……? 承知しました、今すぐ準備します」
キノシタ研究主任はノートパソコンとプロジェクターを取り出すと、社長室の壁に映し出した。
プロジェクトの発足から始まり、研究プランの設定、開発理論の確立、おびただしい試行回数の実験、ひとつの歴史を綴るように、プレゼンテーションは展開されていった。
「……そして、我々はついに発明したのです。先進国で問題となっている食料ロスを劇的に改善する装置、食料変換機を。この機械の上部にあるボックスへ食品を投入すると、同程度の栄養価を持つサプリメントなどに変換することができるのです。消費期限が切れ、腐敗した食品であっても問題ありません。人体に害を及ぼす毒素は、フィルターによって完全に分離されます。例を挙げると、消費期限切れのコンビニ弁当を入れれば、同じ程度のカロリーとビタミン、ミネラルを持った別の食品に生まれ変わるのです。もちろん、食べた後も健康被害が出ることはありません」
言い終えた後、キノシタ研究主任は大きく息を吸う。ここから先の内容こそ、キノシタ研究主任がオオザワ社長に一番訴えたいものであった。
「この機械が普及すれば、世界中の飢餓で苦しむ人々を救うことも不可能ではありません。変換された食品を発展途上国や貧困地域に譲渡すれば、自国の食料ロスを改善できるだけでなく、多くの人々の命を救うことになるのです。まさに、夢のような発明品と言えるでしょう」
プレゼンテーションが終わり、オオザワ社長から大きな拍手が起きた。
「素晴らしい、まさしく、夢のような発明品だ」
キノシタ研究主任は確かな手応えを感じていた。もしかしたら社長が心変わりをして、プロジェクト凍結を撤回してくれるのではないかと、期待せずにはいられなかった。
「実に素晴らしい、しかし、素晴らしすぎるのだ。この発明品は」
「はっ?」
意外な発言に、キノシタ研究主任は呆気にとられてしまう。
「しゃ、社長、素晴らしすぎる、とは……?」
「今度は私から説明をするとしよう」
オオザワ社長はタブレットを取り出し、キノシタ研究主任を手招きする。キノシタ研究主任は困惑した表情でタブレットを覗き込んだ。そこには、食料変換機とはまた別の資料が表示されていた。
「これが、食料ロスが問題となっている先進国のリストだ。そしてこれは、現在でも大きな食料不足が発生している発展途上国のリストになる」
「……こうやってみると、地球上にある国のほとんどが、どちらかに該当することになりますね」
「そのとおり。飽食と飢餓、これは今の世界で人類が直面している大きな問題と言っていいだろう。そんな状況で、ある先進国がそれらを一気に解決してしまうものを発明してしまったら、世界のパワーバランスが大きく崩れかねないのだ」
キノシタ研究主任は、しばし言葉に詰まった。
「世界の、パワーバランスが?」
「そうなのだ。このようなものが世界に広く知られるようになれば、我が国は国際社会の中で非常に大きな影響力を持つことになる。他の国々が食料変換機の権利を巡って、争いが勃発する可能性も否定できん。そうなればもはや、我が社の、いや、我が国だけの問題ではなくなってしまう」
「待ってください。社長は食料変換機が戦争の火種になる危険性があると仰るのですか!?」
「……あくまで可能性の話だよ。だが君も知っての通り、現代ではちょっとした国同士の小競り合いで、核爆弾のスイッチが押されても不思議じゃない。戦争は万が一にでも避けるべきだろう。それに……先進国で発生した廃棄済みの食料を、無毒化できるとはいえ、新しい食料に作り替えて譲渡するというのは倫理的に問題も――
「しかし、しかしですよ! 現代においても飢え死にする人々が一定数いるというのは、明らかな事実じゃありませんか! 人の命の問題なのですよ! ゴミや食べ残しを分け与えるのが、倫理的にまずいとか言っている場合じゃ――
「落ち着きなさい」
必死の口調で訴えるキノシタ研究主任を、オオザワ社長は再度たしなめた。
「私とて、このような画期的発明をお蔵入りにしてしまうのは惜しいと思っている。だからこのプロジェクトは破棄ではなく、凍結という形をとったのだ」
「……つまり、今後プロジェクトが再開する可能性もあると?」
「うむ、再開のめどは不明だが、他の先進国との調和を見定めての話になるだろう。50年後あたりが妥当だろうか」
「50年も……」
「それだけ、君たちの研究成果は時代の先を行っていた、ということなのだよ」
キノシタ研究主任はがっくりと肩を落とし、ソファーに背を預けた。
「なんてことだ……この発明品が世に出るのが50年も先だなんて、研究室の部下たちやヤマダ所長に何と言えば――
「ヤマダ所長? そうか、君にはまだ連絡が行ってなかったのか、ヤマダ所長の事故について」
「事故? ヤマダ所長が事故にあったのですか!?」
オオザワ社長は大きく咳ばらいをして、神妙な面持ちで告げた。
「君にメールをする前に、ヤマダ所長とこの事について相談していたのだよ。私がプロジェクトの凍結を提案した時も、彼は猛反対した。それどころか、研究資料を持ち出して、今すぐにでも学術雑誌に食料変換機についての研究成果を報告するとまで言い出したのだ。私は彼を止めようとしたのだが……」
不穏な空気を感じ取ったのか、キノシタ研究主任の額から冷や汗が流れ落ちた。
「学術雑誌の編集部とコンタクトを取った帰り道、彼は高速道路で事故にあった。即死だったらしい。なんでも、自動操縦機能の誤作動が原因らしいが、詳しいことはわかっていない。私はすぐに件の編集部へ詳細を尋ねたが、ヤマダ所長については何もお答えすることはできません、の一点張りだった。その後に発行された学術雑誌には……食料変換機についての情報は何もなかったよ」
「そ、そんな馬鹿な。ヤマダ所長……」
キノシタ研究主任は頭を抱え、蹲った。オオザワ社長も、これ以上は彼に精神的な苦痛を与えるだけだと悟った。
「キノシタ君、君の無念は計り知れないものだろう。しかし、君の研究成果が消えてなくなったわけではないのだ。いずれ日の目を見る時まで、食料変換機は社内での試用運転に限定しようと考えている。君に対しても特別な待遇をするつもりだ。ヤマダ所長亡き後の役職も、君に一任しよう。給料も研究室の規模も、できるだけ希望に沿うことを約束する。君の頭脳は我が社に、いや、世界にとって貴重なものであることに変わりはないのだから」
「は……い……」
「今後の細々とした取り決めについては、また後日話し合うことにしよう。君もだいぶ疲れただろうしな。ゆっくり休んでくれたまえ」
キノシタ研究主任は重い足取りで、ぼそぼそと何かをつぶやきながら、社長室を後にした。
********
「本日は工場責任者の皆様にお越しいただいてありがたく存じます。今回来ていただいたのは他でもありません。本社の研究部署が開発した、食料変換機を皆様にご紹介しようと思いましてね」
ここはオオザワ食品の本社敷地内にある多目的ホール。その中心にはあの食料変換機が鎮座しており、それを取り囲むようにして、シャツの上に作業着を着込んだ年配の人々が立ち並んでいた。彼らは日本各地にあるオオザワ食品加工工場の責任者である。そして食料変換機のそばには、オオザワ社長と数人の研究員がいた。
「へえ、これが噂の」
「こんなものをこっそり開発してたなんて」
「うちの工場に置くスペースが確保できっかなぁ」
責任者たちが雑感を口にしている傍らで、オオザワ社長と研究員の一人が小声で話をしていた。
「キノシタ所長とはまだ連絡がとれないのかね」
「はい、食料変換機の設定は自分がやると、一足先にこの会場へ向かわれたはずなのですが……。念のため、警備システム室にも連絡して行方を調査してもらっています」
「ふうむ、仕方がない。機械の方は問題無く動作しているようだし、今回のところは君たちが代理で操作をしてくれ」
「か、かしこまりました」
指示を受けた研究員は、食料変換機の後部でタッチパネルを操作している別の研究員の所へと向かった。
「社長はすぐにデモンストレーションをしてほしいそうだ。問題はなさそうか?」
「ああ、多分キノシタ所長がやったんだろうが、機械の出力設定から、廃棄食品の投入、変換した食料の仕様までセッティング済みだ。あとはもう、パネルのタップひとつで作動できるよ」
そのような会話をしている最中、オオザワ社長は責任者たちに食料変換機を使った今後の事業について展望を述べていた。
「責任者の皆様、現在の日本では物価の上昇が問題になっておりますが、この食料変換機はそのような時世において我が社に大きな利益をもたらす発明品であると確信しております。この機械がすべての工場に配備されれば、加工する過程で発生したゴミや不純物をも変換して、新しい食品として市場に出すことができるのです。本来ならロスとしてマイナスになるものが、プラスに転じる可能性があるわけですからね。まさに夢の発明品です」
工場責任者たちは感心の眼差しでオオザワ社長の話を聞いていた。オオザワ社長がちらりと食料変換機の方を向いたので、研究員の一人が両手で丸の合図をした。
「それでは皆様、私の話ばかり聞くのもそろそろ退屈だと存じます。百聞は一見に如かず。ここからは、食料変換機によって生まれ変わった食料を、皆様に是非、ご賞味頂きたいと思います」
オオザワ社長がサッと手を上げると、タッチパネルに向かい合っていた研究員が画面を軽くタップした。
食料変換機が起動し、重厚な駆動音がホールに響き渡った。外部からは材料が加工されていく過程が見えないものの、音だけでも大掛かりな装置を使っているのがわかる。しだいに香ばしい匂いもあたりに漂ってきた。
そして製造終了のランプが点灯し、前面の扉が大きく開いた。中には、小さな四角い固形物が大量に転がっていた。
「今回はサンプルですので、もっとも単純かつ短時間で製造できるブロックタイプの固形食料とさせていただきました。ささ、皆様ご賞味ください、安全性は私が保証しますよ」
そう言うとオオザワ社長は固形食料の一つを取り、口の中に放り込んだ。サクサクと音を立てながら咀嚼し、間違いなく食品であることをアピールする。それにつられて、工場責任者たちも、次々と食料変換機に歩み寄り、変換された食料を口にしていった。
「すごい、想像していたよりもちゃんと味がする」
「これが廃棄されたコンビニ弁当やらなんやらで出来てるとはねえ」
「普通に商品として出せそうですよ。安いブロックの栄養食より断然いい」
「肉類や野菜類の感じも少しある。バラエティに富んだ味だ」
試食の評価は上々のようであった。その光景をみて、オオザワ社長も満足気な笑みを浮かべている。そこに、研究員が横槍を入れた。
「オオザワ社長! ちょっとよろしいですか」
「む……なんだ、どうしたのだね」
「キノシタ所長について、警備システム室から報告が入りました」
オオザワ社長は先程まで緩んでいた顔を引き締め直した。
「彼の行方がわかったのか」
「それが……所長はこのホールに残っておられる可能性が高いのです」
「何?」
「ご存知かとは思いますが、社内施設への出入りはすべてカードキーによって制御されています。システム室はキノシタ所長のカードキーが使用された履歴を照会したらしいのですが、このホールへの入室に使われたきりで、その後は何も――
「おい、あれはなんだ」
工場責任者の一人が、食料変換機の下部の方を覗きながら言った。手を突っ込んで引きずり出すと、薄汚れた白いスニーカーが現れた。
「靴じゃないか、いったい誰の忘れ物なんだ? ん? カードキーまで中に入っているぞ」
オオザワ社長や工場責任者たちは互いに顔を見合わせたが、名乗り出てくる者はいなかった。しばらくして、研究員の一人が声を震わせながら言った。
「それ……キノシタ所長のスニーカーです……」
その場にいる全員が、言葉を失った。ただ食料変換機だけが、何かを訴えるように駆動音を鳴らし続けていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。