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萎えかけたことありませんか?

作者: 北見晶


「……ところで聴きたいんだけど、これからあなたたちどうするつもりなの?」

 坂田(さかた)……いや、もうすぐ“岡江(おかえ)乃々葉(ののは)”になる女の口調は、やたらと落ち着いていた。

 河野(こうの)作信(さくのぶ)は彼女に目を走らせたのち、座卓を挟んで合い向かいに座る男女二人を見やる。

 男は上司の坂田(さかた)國晴(くにはる)。女は作信の妻、美良(みら)だ。とはいえすでに“戸籍上”がつくが。

 作信と美良が結婚したのは約二年前、三年の交際を経てだ。当時新郎は二十八歳で新婦は二十五歳。誓いの口づけを交わした瞬間が、幸せの絶頂だった。

 

 違和感に気づいたのは一年半前、本人の希望で専業主婦になった彼女が、ひんぱんに家を空けるようになってから。実家の母が病気と言われ、納得した。

 

 疑念に変じたのは一年前、たまたま伴侶が不在だったところに、義母から電話がかかってきたのだ。スマホ片手に沸き上がる不思議を口にすると、信じられない答えが返ってきた。

 妻の母は元気だし、結婚してから美良は郷里に住む両親の家に顔を見せてはいない、と。

--まさか、浮気……?

 半ば形になった仮説が頭に纏わりつきながらも、その場はどうにかごまかした。

 帰ってきた奥さんに、尋ねるなど夢のまた夢。

 信じていたかったのだ、心から。

 それに万が一、億が一不貞を働いていても、早くやめてくれれば構わない。胸に押し込めた。

……違う、結局は自分可愛さ。美良に柳眉を逆立ててほしくなかったし、問うた途端にミジンコ以下の矮小な奴に落ちぶれる気がして。

 でも半年たってから、作信は躊躇と怠惰のツケを払う羽目に陥る。

 

 その日の昼、妻は友達とのランチとやらで家を空け、夫は留守番だった。

 作信の一人時間をぶち壊したのが、乃々葉の来訪である。

「あなたの奥様の浮気相手の妻です。坂田乃々葉でわかりますか?」

“おばはん”より“熟女”と呼びたくなる女性は、作信の誰何(すいか)に対し、淀みなく述べた。

 記憶の糸を辿り、導く。

 結婚式のとき、部長の隣にいた。確かそうだ。思い出した。

 上品さを保ちながらも、迫力はにじみ出ている。勢いに呑まれ、和室の居間に上げると、乃々葉は持っていた紙袋の中身を出した。

 

 明らかにクロとしか思えない写真の数々に、作信の思考は飽和状態になる。腕を組んで歩いている姿に、濃厚なキスシーンはもとより、歯の浮く文面が第三者(おっと)に吐き気をもよおさせるlainでのやりとりや、ラッピングされたプレゼントのアップなど内容はさまざま。

 さらに“サレ夫”と化した男に追い打ちをかけたのは、スマホに録音された会話。蜂蜜とメープルシロップと生クリームを合わせた風情の甘ったるい声質で紡がれたやりとりは、作信だけでなく乃々葉をも馬鹿にした内容が含まれていた。

 一部だけを聴かせたのは、上司の妻の気遣いだろう。 


 「申し訳ありません。もう少し早く伝えようと思っていたのですが」

 その台詞に、家(アパートの一室だが)の主は下げていた頭を上げた。もしかしてかなり前から勘づいていたのだろうか?

「息子のことを考えると……今年受験ですし……」

 眉を伏せて紡がれた言の葉は、流石に質問をためらわせた。

「な、なるほど……」

 ただでさえナーバスになっているところに、拍車をかけるわけにはいくまい。

「すみません、自分のことばかりで」

「あ、いえいえ」

 作信は短く言った。

「で、どうするつもりですか?」

 乃々葉は真っ直ぐに見つめてくる。伝わってくる揺るぎない信念は、旦那に余所見された女とは縁遠い強さ。これが母の力かと寝取られ夫は痛感する。

「……とりあえず、半年経っても進展がないなら、離婚も視野にいれておきます」

 この段階で、自分が騒ぐのは上司の奥さんに悪い。そう結論づけて、作信は言葉を押し出した。

「じゃあ、動きがあったら連絡しますね」

 乃々葉の言で一応話し合いは終わった。

--そう、このときは。


 二ヶ月後、乃々葉から連絡が来た。彼女には息子二人娘一人いるのだが、全員に懇願されたそうだ。

 さっさとクソ親父(あいつ)と別れてくれ、と。

 一体何をやらかしたんだうちの上司……とたじろいだ作信だが、胸裏にとどめた。

「貴方がどのようなお考えかわかりませんが、来週話し合いをしませんか? まずは私たちだけで」

 質問の体をとっているが、“是”だけを欲しているのは自明の理。へたりこむのをこらえ、作信は承諾した。

 

 その日の夜、美良にこれまでのいきさつを話したら、旦那の上司と熱い仲を育んでいるとあっさり認めた。なんでも、あえて作信との関係を深めたのも、國晴の案とのこと。

「あの人と私はあんたたちみたいに紙切れ一枚だけのショボいものとは違った、深い深い絆があるのよ。結婚なんておままごとみたいなもの。そんなこともわからないの?」

 ……鼻で笑われるのは予想できたが、ここまでのことを言われるとは思わなかった。

 だが、引っかかりが。美良との生活は“おままごと”ですらなかったのでは?

 などと勘ぐりながらも、乃々葉が離婚を決めていると話したところ、戸籍上の妻は太陽の光を浴びて咲き誇るダリアの(かんばせ)を見せつけた。上っ面すら危うい夫が、ため息をついたのは秘密だ。

 

 当日、つまり今日、二人は坂田家を訪れた。

 まさかこんな形で上司の元に向かうなんて……足取りが重くなるのは自然としか言いようがない。

 話は意外にもスムーズに進んだ。現在の夫婦二組合計四人が、離婚一択だったからそこは問題ない。

 少女漫画を連想させる煌めく瞳で、見つめ合う國晴と美良。浮気カップルに乃々葉は冒頭の台詞を繰り出したのだ。

「どうするってこの人と結婚するに決まってるでしょ? おばさんは引っ込んでよ!」

 言い終わるや、シタ妻はシタ夫にしなだれかかる。

「まったくだ。これだからトウの立った女は困る」

 せせら笑いながら、事の張本人は伴侶を罵倒する。

「それを言うなら、部長だってトウの立った男じゃないですか」

 つい、作信の喉元から転げ落ちた。

「何よ、女々しいわね。あんたのそういうところが大嫌いなのよ」

 唇を突き出して美良は文句を言う。


 「そんなことはどうでもいいのよ。ただ、あなたたちの両親の介護要員にされるなんて、真っ平ごめんだから。まあ、うちの子もだけど。それくらいわかってるわよね」

 淡々と述べるサレ妻に、眉が寄るのをサレ夫は自覚する。

「待ってください。その……この二人の両親を介護って、むしろそっちが拒むんじゃないですか? 遺産相続させるのに、やらない息子よりやってくれる元義理の娘選ぶ可能性ありますし。それに、介護はこの二人がやればいいだけのことじゃないですか?」

「何言ってるんだ! 家事や介護は妻の役目だろ!」

 即座に浮気夫は反論する。一瞬、尻軽妻は目を丸くした。口が“え”を発声する一歩手前である。

「--とりあえずそこはあなたたちで話し合うとして、私が思うに、仮にこのままあなたたちが結婚したとしても、すぐに浮気に走る気がするのよ。あなたたちはスリルと背徳感に満ちた性行為を望んでいるだけで。その人が私の夫だったときは“奥さんより自分を愛しているダーリン”だけど、私と別れたら“おばはんのお古のくたびれたおっさん”。この人の奥さんだったときのあなたは“旦那となったバカ男より俺にメロメロのハニー”だったけど、この人と別れたら“バカ男のお古のバカ女”になるとしか思えないわ」


 お古--

 その単語に國晴と美良の顔が引きつる。

 唐突に、作信の押し込めていた記憶が脳内に充満し、状況判断や精神安定に費やしていた思考を押しやる。

 美良の告白と初デート、第一回目のエッチにプロポーズまでの流れがダイジェストで頭の中を回る。

 そう、幸せだった……いや、本当に何も知らなかった時代を。

 当時は作信だけひたっていたが、恋人同士で身体も重ねていた。この間、相手は上司との濃密な肉体の宴を味わっていたはず。

 そう導くや、ある確率が沸き上がった。


 「--部長、少々お聴きしたいのですが、よろしいですか?」

「なんだ?」

 間男は固い言葉を押し出す。

「あの……確かに僕はあなたより美良とそういう行為をシたことが、少なかったと思うんです。でも僕とスることで、そこそこ影響はあったんじゃないかって思いまして。まあ、僕のテクニックがないことを笑いながら楽しんでいたと思うんですが、正直、僕の顔が頭をよぎって、萎えかけたことありませんか?」

 明け透けが過ぎたか、作信の長口上を聴き終えた國晴の面貌は、タクアンに等しき様相を呈していた。

「例えば、声が芝居臭くなったり、身体の動きがおざなりになったり、無駄毛処理が雑になったり、クシャミやオナラが豪快になったり……」

「ちょっと! 変なこと言わないで!!」

 尚も続ける戸籍上の夫に、浮気妻は叫びながら手を伸ばした。


「あのなぁ、僕はあくまで例えばの話をしているんだよ。それに、慌ててるってことは、まさか僕と結婚する前より部長の態度がぞんざいになっていたのかな?」

 美良は答えない。雨天のアスファルトで蠢くミミズさながらに、その唇は震えていた。

「……まあ、考えてみればおかしな話だよね。美良が僕との結婚を“紙切れ一枚のショボいもの”って言ったのもグサッってきたけど、美良は部長と結婚するつもりなんだよね? “おままごとみたいなもの”って言ってたやつを? “私はあの人の奥さんになるの”って言うんならともかく、そういう考えの人間が結婚しても、うまくいかない気がするんだけどな」

 なぜそれがわからなかったのだろうか? いや、わからなかったから浮気したのだと、作信は片づけた。


「あら、河野さん、別に籍を入れて一つ屋根の下じゃなくても、事実婚や通い婚もあるわよ。それに、続くかどうかは私たちの心配することじゃないわ」

「確かにそうですね」

 乃々葉の的を射た発言に、つい笑ってしまう。

 サレ妻は一応の伴侶と泥棒猫を見据えると、

「とりあえず今日はここまでにして、後日両親を交えて話し合いましょう。あ、私は子供たちと一緒に実家で暮らすから、愛する人と過ごせば? 作信さんも別にいいでしょ?」

「そうですね。うーん……でも荷物があるから、とりあえずそれの整理ですね。こっちに持ってくるもの色々ありますし。それとも、美良は奥さんと部長に来てもらった方がいいかな? 何を運ぶかってことで、一悶着あるだろうから」

「待って! それ私に出てけってこと!?」

 前半乃々葉、後半美良に作信が言った直後、浮気妻は血相を変える。

「はぁ? それおかしいだろ。むしろこれからは大手を振って部長と暮らせるんだ。なんで喜ばないんだ?」

 もしかしてこいつは宇宙人が人間と入れ代わったのか? 

 もちろん訊く気力はなかった。

 尻切れトンボは承知ですが、私の筆力だと最後まで書いたらよりつまらなくなりそうなので、こんな形になりました。書いたきっかけは、「浮気している人って結婚を馬鹿にしてるよな。なのに結婚をめざすって矛盾してない?」と思ったもので。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 都合のいい夢が醒めて、見れば泥沼の現実。 [一言] あとがきをそのまま末尾に言わせてもいいな。
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