役廻令嬢は舞踏会の幕を開ける
「……やっぱり、本物はすごいわ」
鏡に映る自分の姿を見て、思わず呟いた。
ホワイトゴールドの糸で刺繍された立ち襟のイブニングドレスは、光の加減で淡いラベンダー色が浮かび上がり、まるで夜空に瞬く星のようだった。背中に垂れる繊細なチェーンが歩くたびに優美に揺れ、肌に触れるたび、どこかくすぐったい。
(……さすがオートクチュール)
———これを纏っている限り、私がモブだとは到底誰も思わないでしょうね。
部屋のドアをノックする音がして、リアが顔を出す。
「お嬢様、殿下がお迎えに来られました」
「……ありがとう。すぐ行くわ」
ゆっくりと立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げて階段を下りる。屋敷の玄関には、第一王子の正装に身を包んだアーネストが静かに佇んでいた。
ホワイトゴールドの髪にラベンダーの石をあしらったブローチが煌めき、正真正銘、“絵から飛び出した王子様”がそこにいた。
「やぁ、お迎えに上がりました、レディ・ステラ」
「殿下、過分なお言葉、恐縮でございます」
自然と口元がほころぶ。アーネストが差し出した手を取ると、柔らかな微笑みと共にエスコートされ、二人は馬車へと乗り込んだ。王宮までの道中。馬車の中は静かで、ほんの少しだけ緊張が漂う。だがそれを破ったのはアーネストだった。
「君のドレス、似合っているよ。仕立てを見た時から君に着てほしいと思っていた」
「……っ、あ、ありがとうございます。とても素敵で、感動しました」
「……そう言ってもらえると嬉しい。君に見惚れて、少し息を呑んでしまったくらいだ」
「!?」
一瞬で頬が熱を持つ。視線を泳がせながら言葉を探していると、アーネストが顔を近づけ、さらに追い打ちをかける。
「本音だよ?今日の夜、誰よりも美しいのは君だ。……きっと誰が見てもそう思う」
アーネストの紫紺の瞳がまっすぐにステラを見つめている。
その誠実な眼差しに、心臓が跳ねた。唇を結びながら小声で「…光栄です」と返すのがやっとだった。
(やばいよぉ……これは反則……)
そうこうしているうちに、馬車は王宮の正門に到着した。
「アーネスト第一王子、ステラ・ブリギッタ・ヴァルストレーム様が到着されました!」
重厚な声が響き渡り、会場内が一斉に静まり返る。
ゆっくりと階段を降りる二人。その姿を見て、会場の空気が変わった。
「……美しい」
「まさか、殿下の隣に……」
「ヴァルストレーム家の令嬢だって?」
「いや、それにしても絵になりすぎてるわ……」
感嘆の声と拍手が自然と沸き起こり、ステラは動揺しつつも、内心のざわつきを抑えて淑女スマイルを浮かべた。横でアーネストが柔らかく囁く。
「この夜は、君のためにある」
また心臓が跳ねる。そうじゃないのに。モブの私は、注目されるべき存在じゃないから――
だがその時、視界の端に見覚えのある人物が現れた。
アレク・ヴァレリー・ウォルシュと、その隣にはディアナ・フォン・シンクレア。
(ディアナのドレス———違う)
記憶にある“舞踏会の一夜”で使用されるヒロインのドレスではなかった。
それどころか、全く別物――深いグリーンにリボンとレースをふんだんに使った、やや甘めの印象のドレス。
(予定されていたイベントドレスじゃない……?)
ディアナがヒロインであれば、本来着るべき衣装があったはず……そこに不協和音が走る。
そのディアナが、アレクと腕を組み、笑顔の仮面を貼りつけながら近づいてきた。
「まぁ、アーネスト殿下にステラ様。まさかお二人がご一緒とは……とてもお似合いですわ」
一見、礼儀正しい言葉。だが、その後に続いた一言が空気を刺した。
「……でも、殿下の隣には家柄も気品も釣り合う方がふさわしいと思いますが?」
微笑んだまま、さらりと放たれた“格下認定”。周囲の空気がわずかに硬直する。だが、ステラもまた一歩も引かず、微笑を崩さずに応じる。
「まぁ、それは光栄なご助言ですわ。ですが殿下が“私”をお選びくださったという事実、さぞお心に残ることでしょう」
ディアナの目が、わずかに揺れた。アーネストが横で静かに笑いながら、さり気なく私の腰に手を回し、補足する。
「彼女が隣にいると、不思議と心が安らぐ。……それが一番大切なことではないかと、私は思うよ」
その言葉に、ディアナの口元は引きつったまま動かず、アレクも何も言わずに横目でステラを見る。
その瞬間、脳裏に昨日届いた一通の手紙がよぎった。
『ステラへ。舞踏会の当日、少しだけ時間をくれ。話したいことがある』
アレクからの手紙。目の前のアレクは、どこか焦燥を隠しきれず、ただ表面を繕っているようにしか見えなかった。
(……これは、波乱の予感しかしない)
静かにステラは息を吸った。
この舞踏会が、ただの祝宴で終わるとは、到底思えなかった――。




