<12>落とし物
暑い最中、隅田川の花火が色鮮やかに夜空を彩っていた。咲いた花火を見上げれば、刹那、暑気を忘れられる。それでも昼間の熱気はまだ失せてはいなかった。兵馬は、いつものホロ酔い気分で前栽に置かれた床几の上で扇子を煽る。高台のお芳の置屋は、上手くしたもので頃合いに観える特等席になっていた。兵馬の隣りには酒、肴を挟んでお駒が座ってる。花火が上がるたびに、『玉屋ぁ~』『鍵屋ぁ~』と町衆が放つ掛け声が微かに聞こえる。いい風情である。
「兵馬さま…」
お駒が冷えた提子の酒を兵馬に勧める。
「…ああ。早いものじゃ、夏も峠を越したか…」
兵馬はそう言いながら盃を手にし、グビリ! と口に含む。
「ええ…。今年は凶事も少なく、ようございました…」
お駒はそう言いながら、兵馬が置いた空の盃に酒を注ぎ入れる。
「そうだな。ここ十年、飢饉で元号がよう変わったからのう…」
「翌年に変わった年もございました。凶事や飢饉には、何か巡りがあるんでございましょうか?」
「ははは…拙者に訊かれてものう」
兵馬は軽く暈したが、物の怪の仕業に相違あるまい…と心の底では思えていた。
「そろそろ揚げも終わりだな。どれ! 戻るとするか…」
兵馬は残った盃の酒を飲み干すと、勢いよく床几から立ち上がった。次の日は非番で、その夜はお芳の置屋に泊まる算段抜きの手筈がすでに決まっていた。いつもながら・・といえばそれまでだったが、そんな歳月が繰り返し流れていた。
翌朝、兵馬は軽く朝餉を取ると、隅田川の土手沿いに漫ろ歩いてみるか…と思うでなく思った。心地いい川風に身を晒したくなったともいえる。
四半時後、兵馬は川べりの土手沿いを歩いていた。昨夜の打ち上げの余韻が河原に見られる。心地いい朝風が流れる中、観る方はいいが、揚げ方は大変だな…と思えた。ふと見下ろせば、雀長屋の又次と与蔵が土手の草叢をうろつきながら何やら探している。
「おう! 又次と与蔵ではないか。こんな朝っぱらからどうしたっ!?」
「月影の旦那だっ!! お早うごぜぇ~やす。いやね、昨日の晩、巾着を落としちまいやしてねっ!」
「花火見物で巾着を落としたかっ! 見料を取られ訳だっ! ははははは…」
兵馬は賑やかに呵った。
「笑いごとじゃござんせんよ、旦那。こちとら、暮らしがかかってんで…」
「中には、いかほど入っおったのだっ!?」
「波銭二枚とビタ銭が数枚…」
「それは大変だっ! 大金ではないかっ!」
兵馬は軽く哂い、同情する振りをした。
「そうなんで…」
「このような草叢、出てこんぞっ!」
「銭はいいんでやす。銭はいいんでやすが、おっ母さんが持たしてくれた守り袋が…」
又次は泣きそうな声で、そう訴えた。
「なにっ! 母御の守り袋が入っておったと申すか?」
「さようで…」
「それは難儀だな…」
そう慰めた兵馬だったが、すでに内心に一計が浮かんでいた。ただ、その一計は、こちらからどうなるというものではなかった。見えないモノの在り処が分かる物の怪だが、こちらからは呼び出せないのである。
「ほれ!少ないが取っておけっ! 守り袋は拙者の神通力でなんとかしよう…」
兵馬は胸元の皮財布から一朱銀を一枚、抜き出すと、又次に手渡した。
「こんなに…有難うごぜぇ~やす。神通力と言やぁ~、よくお出会ぇ~になる物の怪ですかい?」
「ああ、まあその類いだ。お上に届け出るほどのことでもなかろう」
「へえ、そうでやす…」
「奉行所の拙者が申すのもなんだが、門前払いにされるのが落ちだっ!」
「でやす。なにぶん、よろしく…」
「分かった!」
安請け合いした兵馬だったが、物の怪に出会える当てなど、まったくなかった。物の怪とは、兵馬が遭遇した素戔嗚の命や徳利の精、その弟分などを指す。
それから十日ばかりが過ぎ去り、兵馬は巷を漫ろ歩いてはみたが、これということも起こらず、生憎、物の怪には出会えず終いであった。
そんなある日のことである。兵馬が又次に詫びを入れようと雀長屋へと歩を進め、八幡さまの御社の近道を通り過ぎようとしたときである。
『おお、いつぞやのお方ではないか…』
聞き覚えのある荘厳な声が天空から降って湧いた。兵馬は、ギクリ! として立ち止まり、辺りを見回した。だが、声はすれど姿は見えず・・である。
「もしや…」
『そうよ、姉上のお叱りを頂戴し、天空から追放された素戔嗚よっ! そなたに会うたのは、これで何度目であったかのう?』
「江戸には、また用向きで?」
『いや、此度はそうではない。ちと、東照宮に詣でようと来た、その帰りじゃ』
「でしたか…」
『そなた、何か探しておったのう』
「いえ、拙者ではござらぬが、知り合いの者が…」
『雀長屋の又次が母御の守り袋とか申しておったな…』
「左様なことまでご存じで…」
『当然じゃ。儂はこれでも神じゃぞ』
自分で神というのもいかがなものか…と兵馬は瞬時、思ったが、とてもそんなことを言える相手ではない。
「守り袋の在り処、お分かりでしょうか?」
『むろんじゃ! ほうれ、これじゃろう…。持ってきてやったわい、ホッホッホッ…』
そう言い終わるやいなや、天空から守り袋がフワリ・・フワリ・・と舞い落ちてきたのである。
「おお! 有難い…」
兵馬は地上に舞い落ちた守り袋を屈んで手にした。
『ではのう! 達者で暮らせよ! 儂に出会いたければ、出雲まで来るがよかろう。六代先の子孫が仕切っておる故にのう…』
出雲といえば、大黒さまか…と兵馬は刹那、思った。
「はははぁ~~!」
気づけば兵馬は地にひれ伏していた。
その後、土手の草叢で偶然、拾った・・と告げたのみで、兵馬はコトの真相を又次に明かさなかった。そして、今宵もほろ酔い気分で江戸の町を漫ろ歩いている。ただ、相変わらず、足袋が片方、破れていることには気づいてはいない。^^
完