表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

<11>盆供養

 梅雨が明けた江戸 界隈(かいわい)である。ムッ! とする暑気(しょき)が汗を呼び、(ちまた)を行き交う町衆は、誰しも恨めし気にギラつく空を見上げた。夏はまだ、始まったばかりだった。その中の一人、月影兵馬も扇子をパタパタと小忙しく(あお)りながら、日射しを避けようと蔦屋の軒先(のきさき)で立ち止まった。

「まっ! いいか…」

 蔦屋に…とは奉行所を出た折りから決めていた兵馬だが、一応、紋切り型に自己弁護の言葉を吐いた。ここ最近、これといった探索事もなく、奉行所の誰もがダレていた。

 蔦屋の縄暖簾(なわのれん)(くぐ)ると、店先に桶盥(おけだらい)に立たせた氷柱が目を見張った。冷気が(わず)かに涼を呼ぶ。とはいえ、暑いことに変わりはない。

「いつものヤツだ…」

「へいっ!」

 お勤めの間は冷や水と田楽、勤めが終われば冷酒と田楽と兵馬は決めていた。

「おっ! 旦那だっ! 暑いですねぇ~!」

 魚屋の喜助が、床几(しょうぎ)に座った兵馬に店奥からヒョイ! と声をかけた。

「おお、喜助ではないか。ははは…梅雨明けが暑いのは当たり前だ。…で、(あきな)いは?」

「へへへ…。この暑気の最中に売り歩いてちゃ旦那、魚が腐っちまいますよっ!」

「ああ、それもそうだな…」

「珍しくおっ(かあ)が駄賃をくれたもんで、今日は(すず)んでやす」

「連れ合いがのう。ははは…それは結構なことだ。して、何か変わりごとはないか?」

 兵馬は運ばれた味噌田楽を頬張り、それとなく喜助に(たず)ねてみた。

「まあ、あるといやぁ~ありやすがね。ないといやぁ~ねぇ~んですよ…」

「ははは…ややこしい言い方をするな。どちらだっ!」

 兵馬は冷や水を飲みながら、小声で訊ねた。

「あとひと月もすりゃ~、また盆でしょ!」

「ああ、そうだが、それがどうかしたか?」

 盆といえば七月十五日である。

「二年前の盆から、どうも乗り気がしねぇ~んでさぁ」

「なぜだっ?」

「盆になりやすとね、出るんですよっ!」

「ははは…幽霊か?」

「図星でっ! 実は…」

勿体(もったい)ぶらず、有り(てい)に申せ!」

「二年前、大川に飛び込んで心中した若い娘と手代の一件、旦那、ご存じでやんしょ?」

「ああ、そういや、そういうこともあったのう…」

 二年前、大川に飛び込んだ町娘のお染と回船問屋の手代、仙吉の悲恋の心中事件は、当時、多くの町衆を涙させる悲劇だった。

「あっしね、その折り、近くを通りがかったんでございますよ」

「見たのか?」

「ええ。石を(ふところ)(たもと)に、ザブ~ンにボチャ~ンで、やした」

「近くにいたのだろ? 止められなかったのか?」

「あっしは、離れた川向うにいやしたから…」

「止められなかった・・という訳だな」

「ええ、まあそうで…」

「その二人が、なぜお前に化けて出るんだ?」

「いや、それが、あっしにも分からねえんで…」

「なにか思い当たる(ふし)はないのか?」

「思い当たるといやぁ~、橋を渡ってその場へ近づきやしたが…」

「それだっ!」

「どれでっ!」

「馬鹿野郎! 三河万歳やってんじゃねぇ~んだっ! お前はお染と仙吉の霊に()かれたのよっ!」

「憑かれるって、あっしは見に行っただけですぜ、旦那」

「夢に出てくんだろっ? そりゃもう、憑かれたに(ちげ)ぇねえや、ははははは…」

 兵馬は大声で(わら)った。

「笑いごとじゃすまねぇ~んですよっ、旦那っ!」

「すまん、すまん。だが、こういう一件は奉行所でものう…」

「旦那は得体の知れねぇ~もんとお付き合いがあるんでやんしょ?」

「馬鹿を申せ。付き合いなどないわ。まあ、縁がないとは言わんが…」

「後生だから頼んでみて下さいやしよっ!」

「頼むと言われてものう。こちらから会える(すべ)がないのだ」

「向こうが勝手に現れるってこってすかい?」

「ああ、まあそうだ…」

 よくよく考えればその通りで、兵馬が出食わしたこの世の者でない(すべ)ての物の()は、一方的に向こうから現れる訳で、兵馬が呼び出したことは一度もなかったのである。

「一度、盆供養を寺に頼んでみちゃどうだっ!」

「盆供養ですかい?」

「ああ、盆供養だ。飛び込んだとこで、坊さんに有り難てぇ~とこをなっ! 少し多めに包むんだぞっ!」

「多めって、そんなにありやせんやっ、旦那っ! こちとら、日銭(ひぜに)で生きてやすんで…」

「まあ、それもそうだな…。ほれ、回向(えこう)料だっ!」

 兵馬は財布から一分銀を一枚出すと、喜助に手渡した。

「有難うごぜぇ~やす、旦那っ!」

 喜助はその一分銀を(かしら)に頂くと、(ふところ)巾着(きんちゃく)へ納めた。

「おっ! いけねぇ~やっ! 長居しちまった。こりゃ、お駒の機嫌を損ねたな…。親父、こいつの払いも拙者に付けといてくれっ!」

 兵馬は軽く(わら)って床几を立つと、縄暖簾から出ていった。彼の愛想は月払いである。

『またのお越しをっ!』

 店主の声を背に受け、どこか気分が上向きの兵馬である。ただ、鼻の下についた味噌田楽の味噌には気づいてはいなかった。

 その後、喜助は盆供養を寺に頼み、悪夢を見なくなったということである。


             完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ