夕焼け小焼けのかくれんぼ
あっこや。夕暮れがきちまったらぁ、かくれんぼだけはしちゃあいかんぞ。
どうして?
それはなぁ……ジリリリリリリ
*
リリリリリ
「……う、うーん……」
頭上を手探り。当たったものを乱暴に鷲掴み、眼前に持ってくる。
そして、薄っすらと目を開けた。
8時20分。
「……やばっ」
小声で鋭く叫び、タオルケットを蹴飛ばして跳ね起きたところで気づく。
……今日休みじゃん。
私は手に持った目覚まし時計をベッドの棚に戻すと、乱れた寝床を丁寧に直して、また眠る体勢へと戻る。
もう、昨日の明子め。特に用事も無いのに、何で目覚ましなんかかけちゃったの。全く、華のJDの貴重な休日を何だと思ってんだか……
自分への文句を頭に浮かべながら目を閉じる。
用が無い朝なんてずっと寝ていたい。それはおっさんだろうが女子大生だろうが同じなのだ。それに、私は一人暮らし。咎める者など誰も居ない。無敵なのである。
*
5分後。私はノートパソコンを前に座っていた。
今朝に見た夢、それが妙に気になって結局寝つけなかったからだ。夢なんて普段は目覚めて5秒で忘れてしまうようなことが多いのに、今回の夢だけははっきりと覚えていた。
「あれって確か、おじいちゃんとの……」
ぶつぶつと言いながら、パソコンを立ち上げる。
あの夢は荒唐無稽な非現実ではない。過去に実際にあった出来事。私が大学のために実家を出たより遥か昔の幼い子供時代の思い出。縁側で沈む夕日を見ながら話してくれた……おぼろげながらそう記憶している。
祖父は優しい人であったが、もう5年ほど前に他界している。そんな祖父との懐かしい記憶を、空気の読めない目覚ましが邪魔しやがって。
「あの時、何て言われたんだっけな」
私は検索エンジンに『かくれんぼ 夕暮れ 禁止』と入れる。言葉では思い出そうとしているが、その実もう自力で思い出すのはとっくに諦めている。何でも知ってるパソコン様に答えを聞こうではないか。
『近代までは人身売買目的の人攫いなどを恐れ、かくれんぼを夕暮れ時以降は禁止とする地域も多かった』
はぁぁ、なるほどね。確かにそれは怖い。
私は一人頷いた。
祖父から言われたこととは何か違う気がしなくもないが、どうであれこういったことを啓発するための内容だろう。そう考えれば腑に落ちる。
一応の答えを見つけ満足した私は、またいそいそとベッドへと戻る。これでようやく気持ちよく眠れるというものだ。
でも、本当にそう?
心の片隅に引っ掛かった違和感は、意識と一緒に薄らぎ、いつかは消えてしまった。
*
カナカナカナ……
ヒグラシの鳴き声。茜色の空。肌にまとわりつく熱く湿った空気。微かに香る森と畑の匂い。
カナカナカナ……
もういいかい。
まーだだよ。
カナカナカナ……
もういいかい。
もういいよ。
カナカナカナ……
ゆうちゃん、ヒメちん、カズ君、どこかな。すぐに見つけてやるぞぉ。
*
『ねぇ、今日会えないかな』
電話口でそう言ったのは地元の友人である『一ノ瀬 由美』であった。
私と彼女は小学校から高校までずっと一緒のズッ友。もちろん二つ返事でOKに決まっている。
「もー先に言っといてくれれば、準備したのに」
カーテンを開け放った大窓からは絶好調にギラギラ日が差し込んでいる。由美から電話が来たのはほどよいお昼時。とは言っても私にとっては寝起きでもある。私は欠伸を噛み殺しながら続けた。
「いきなりでびっくりだよー」
彼女とは自分が実家に戻った時とか、あっちがこっちに来た時とか、ちょくちょく遊んではいるが、事前連絡も無しにいきなり『会える?』というのは珍しい。というか初めてのことだった。
『ごめんね。驚かそうと思って』
そう言う由美の声音が疲れているように感じ、心配になる。
「……ねぇ、由美。大丈夫?」
『え、ど、どうして?』
「何か元気無くない?」
『そんなこと、無いよ』
嘘だ。明らかに変だ。私は眉根を寄せる。ただ、今そこを追求する必要は無い。どうせすぐに会うのだから、そこでとことん聞けばいい。
ふぅ、と短く息を吐く。
「わかった。んじゃ、16時に駅でね」
『うん、またね……………ねぇ』
「ん?」
『あの、昔、みんなで『かくれんぼ』したこと、覚えてる?』
「かくれんぼ?」
急に何を言い出すのだ、この子は。
「そんなの、星の数ほどやったでしょ」
言っちゃなんだが、地元はド田舎。小さい子供の出来る遊びなんて限られている。かくれんぼなんて最たるものだろう。
『そ、そうじゃなくて、あの、やっちゃいけない、かくれんぼ』
「やっちゃいけない……あぁ!」
まさか、今朝見た夢がここで繋がるとは! 奇妙な縁もあったものだ。
そう。祖父が言ってた『夕暮れ時のかくれんぼ』。駄目だ駄目だと言われるとやりたくなるのが子供の性で、一度だけやってしまったのだ。確かあれは10年ほど前……自分を入れて4人でやったと記憶している。
「アレね! ドキドキした割に何も起きなくて肩透かしだったよねぇ」
『……そう、だね。覚えてるなら、大丈夫』
由美はそれだけ言うとプツンと電話を切ってしまった。
私は顔をしかめて、じっとスマホの画面を見つめる。
由美の様子が変なのと、あの時のかくれんぼが関係してる?
意味がわからない。ただ、妙な胸騒ぎを覚える。私はすぐに実家へと電話をかけた。
*
『あぁ、アンタ、丁度良かったよ。昔遊んでた子達覚えてるかい? そうそうそう、ヒメちゃんとカズキくん。よくわかったね。それでね、その子達、つい先日『行方不明』になっちゃったらしいんだよ。ウチにも警察来てね。だからアンタ、何か知ってることあればちゃんと警察に届けなさいよ。あぁ、物騒な世の中になっちゃったね……戸締りとか、アンタ、抜けてるとこあるから、ほんとしっかりおしよ?』
*
母親との電話の後、私は茫然とするしかなかった。
あの時一緒に『かくれんぼ』をした二人が、行方不明?
偶然とはもう言えない。今朝の夢もそうだ。祖父はあの時本当は何と言ったのか。とても大事なことを忘れている気がしてならない。
その時、手に持ったスマホが鳴り出し、私はビクリと体を震わす。画面を見ると、そこには『一ノ瀬 由美』の名前があった。
慌てて電話を取る。
「由美! ヒメとカズキが、どういうこと!?」
由美を攻めても何も意味は無い。頭の片隅では分かっているが、状況が状況だけに声がどうしても荒くなってしまう。
だが、彼女は何も答えない。荒い息遣いが聞こえるだけだ。
「由美、どうしたの? 何かあったの!?」
『…………かった…………遅かった……見つかっちゃう……』
「由美!?」
『誘ったの、明子でしょ、何か知ってるんでしょ、どうすればいいの!? どうすれば『かくれんぼ』は終わるの!?』
由美の声は焦燥と恐怖に満ちている。
「ま、まずは落ち着こ? 一体何があなたに」
『明子のせいだ。明子が、やろうなんて言わなきゃ、明子のせいだからね! 教えてよ! どうすればいいの!?』
「由美ぃ……」
駄目だ。錯乱しているのか、会話にならない。『教えて』と彼女は言うが、多分私の声は何も耳に入っていないだろう。
ガツンと鈍い音。そして、由美の声が遠ざかる。スマホを落としたようだ。
「由美! 由美!」
『まだ、まだだよ、まだ駄目、お願い、来ないで、いやぁぁぁぁぁぁ!!!!』
一際大きな悲鳴。そして、静寂。
私は必死に彼女の名前を呼び続けるが、それに返事は無い。
ただ、しばらくして、誰かがスマホを拾い上げたような雑音が聞こえてきた。耳を凝らすと、静かな呼気も聞こえる。
「由美? 違うの? あの、誰か、そこにいるんですか? それ、友達のスマホなんです。友達に何かあったみたいで、周りの状況を教えてくれませんか?」
私は溢れる涙を拭いながら、震えた声で矢継ぎ早に質問を投げて、祈るような気持ちで相手の回答を待った。
『…………もーいいかい?』
「ひっ」
血の気が引き、反射的に床へとスマホを放り出してしまう。
最後に聞こえたのは色んな人が同時に同じことを喋ったような、超然とした声であった。
何? 今の……
恐る恐るスマホの画面を覗き見る。通話は既に、切れていた。
*
しばらく茫然自失としていたが……
「……ゆ、由美!」
ハッとして、スマホを拾い由美へと電話をかけなおした。
『お掛けになった電話は只今電波の届かない場所にいる』
流れてくる機械的なガイダンスを途中まで聞いて、私は通話を切る。
体が震える。奥歯がカチカチと鳴る。
「け、警察……よね?」
自問。どうすることが正しいか分からない。ただ、何でもいい。『正常なもの』と繋がりたい。そうしないと、おかしな世界に侵され潰されてしまいそうだ。
私はおぼつかない手つきでスマホを操作しはじめた。
ガン!
突如、玄関から大きな音が響いてくる。外から扉を蹴ったような、そんな音。
私は息を飲み、玄関へとゆっくり向かう。
「ゆ、由美なの? もしかして、今までのって、はは、ドッキリでしょ? も、もう、趣味が悪いんだからぁ」
そう、こんなこと、私に起こるわけがない。これは全部何かの冗談に違いな
ガンガンガン!!! ガチャガチャガチャ!!!!
「わぁぁぁッ!!?」
激しく揺れる玄関扉、乱暴に繰り返し回るハンドル式のノブ。
違う、由美じゃない、絶対、違う!
私は悲鳴を上げて、つっかえながらトイレの中へと駆けこみ、中から素早く鍵を掛けた。
「いや、いや、もういや……」
力無くトイレに腰かけ、耳を塞いで、目を強く瞑る。
嘘だ、嘘だ、こんなの、夢だ、夢だ……
ミチミチと堅い何かを無理やり引き千切る音。嘘だ。
玄関がゆっくりと開く音。夢だ。
ヒタヒタと何かが入ってくる音。なんで、聞こえるの。
『も
う
い
いか
い?』
あの超然とした声が室内に響く。
助けて……おじいちゃん……
閉じた目から、涙が膝の上に落ちる。
ぜったいに答えちゃなんねぇぞ。
その時、あの夕焼けの光景が。夢の続きが。鮮明に脳裏に蘇った。
*
あっこや。夕暮れがきちまったらぁ、かくれんぼだけはしちゃあいかんぞ。
どうして?
それはなぁ……夕暮れゆうのは『かくりよ』、わかりやすう言うならオバケの世界と重なりやすいもんでな。そんな時間に遊ぶとたまぁにオバケが一緒に遊んじまうんだ。
えー? オバケとぉ?
そうだ。で、な。普通の遊びならオバケは自分が遊びの輪の中に入ってないことにすぐ気付いて諦める。だが『かくれんぼ』はそうじゃねぇ。一緒に遊べてるって勘違いさせちまう。それはな。オバケの世界とあっこが『繋がっちまう』って意味なんだ。
ふーん?
まぁわからねぇか。ただ、覚えておけよ。そうなっちまったら、オバケはオバケの世界へとあっこを引きずり込もうとする。もっと遊ぼう、もっと遊ぼう、ってな。オバケは時間ってのが無いから、いつになるかはわからねぇが、いつか、必ず、きっとだ。引きずり込まれちまったら最後、もう儂らとは会えん。こっちの世界には戻ってこれんぞ。
こ、こわい……ねぇ、もしオバケさんが私をつれにきたら、どうすればいいの?
きちまったら? うーむ、もうそうなっちまったらやれるこたほとんどねぇが、やれるとすりゃ、あっこ。オバケの問いにゃ、ぜったいに答えちゃなんねぇぞ。『わたしはあなたとは遊んでない』とオバケを無視し続けんだ。そうすりゃ、もしかすっと、諦めてくれるかもなぁ……
*
そうか、そうだった。私は、知っていたんだ。
ヒタヒタと歩く足音が、トイレの前で止まる。
『もー
いい
かい? 』
目を瞑り、耳を塞いで念じる。
私はあなたと遊んでなんかいない。私はあなたと遊んでなんかいない。
ギギギ、とノブがゆっくりと回る気配。鍵がカチャンと音を立てる。勝手に開いたのだろう。
私は遊んでなんかいない! 私は遊んでなんかない!!
全てを無視して念じ続ける。
私は、知っていて、みんなを巻き込んだんだ。ただの好奇心で。
そして、何も起きなかったからと、祖父の教えてくれたことを伝えなかった。
『もうい
いかい?』
すぐ耳元で声がする。自分の目の前に何かいる。でも私は念じ続ける。
ごめんなさい、ヒメ、カズキ……由美。本当にごめんなさい。
全部私のせいだ。本当にごめんなさい……
ふと、空気が軽くなるのを感じた。
しばらく目を閉じたまま待ったが、もうあの声はしない。
恐る恐る目を開く。そこには……
閉まった扉があるだけだった。
*
トイレから出る。
薄暗い中、まず目についたのは扉の前に落ちたスマホだった。慌ててトイレの中に駆け込んだ時に落としたのだろう。それを拾い上げる。
玄関に目をやる。ただ静かに閉じている。無理矢理ノブを引き千切って入ってきたような形跡なんてない。暗い部屋の中もざっと見回したが、特に変わった様子は無かった。
さっきまでの騒ぎが、本当に夢であったようだ。
緊張が解け、私はへなへなと床にへたり込む。
「由美……由美ぃ……」
自然と涙が溢れた。
安堵と後悔と懺悔。この先、私はずっとこの思いを抱え続けることになるのだろう。それに文句は無い。全ては私のせいなのだから。
ただ……あんな電話が由美との最期になってしまったのが、とても辛い。
かすんだ視界でスマホに目を落とす。サイドボタンでも触ってしまったのか、ロック画面が立ち上がっていた。
そこに表示されている時刻は……14時33分。
駄目だ。
私、
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
カーテンなんて、
気付いてはいけない。
閉めてない。
おかしいよ。暗すぎる。
見てはいけない。
思いとは裏腹に、操られるように視線が上がる。
本来なら日が差し込むべき、ベランダに繋がる大窓へと。
窓一面を覆う巨大な何かが、外から私を見ていた。
この世のものではない、歪な瞳が、歪んだ。
『みーつけ た』
【夕焼け小焼けのかくれんぼ 終わり】