2日目-5
「え?そ、外…かい!?」
『はい』
俺達が探査艇から家の中に戻るところで、ファレアが俺の言葉に頷いた。
『この21世紀地球日本を調査する為にも、外の様子をぜひ見聞きしてみたいのですが…ダメでしょうか?』
「ええっと…うーん」
小首を傾げながら、申し訳なさそうにしながら上目遣いでそう申し出るファレアに、俺は頭を掻きながら返答に窮した。
おぉう…俺はこういう上目遣いに弱いんだよなぁ。
何しろ、ファレアは今も黒いボディスーツを身に付けている。
もしそのままの格好で外に出たならば、周囲から奇異な目で見られてしまうだろうし、何よりも彼女のエルフ耳をどうにかしないといけない。
「まずは、外で着て行くための服を用意しないとなぁ。
それと、君のその長い耳を隠すための帽子とかも、かな」
俺が顎に手を当てて品定めするようにファレアの全身を見回しながら言うと、彼女もまた自身の体を見回して心許ない風にして応えた。
『この格好では、良くないでしょうか?』
「うーん、まぁコスプレという風に言い訳すれば何とか…いや、無いな」
俺は言いかけた言葉を却下した。
なにぶん、世間は最近何かと保守的になってきているし
それに若い女性の流行の服というかトレンドに乗っていないとなると、やはり世間からは異物として捉えられて悪目立ちしてしまうだろう。
「うーん、じゃあさ、俺のジーパンとスウェットを貸すからさ。
それに着替えようか」
『はい、分かりました』
ファレアは素直にうなずいた。
「じゃあ、ちょっと衣装棚から服を出すからちょっと待ってて…」
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俺は、寝室にある衣装棚の一つを引き出し、そこからお古のジーパンとグレーのスウェット、それに下に着込むTシャツを出してからリビングに戻った。
そして目の前の光景に、一瞬にして全身を硬直させた。
「……ふぁ、ふぁ」
『はい』
「ファレア…さん??」
『はい』
「そ、その…お姿は…」
『はい。これから着替えるのですよね?』
「だ、だだだだけだけけけどね!!
全部、全部ぬぬぬ脱いじゃダメでしょ!!」
今の彼女は、完全に一糸まとわぬ、生まれたままの姿になっていた。
ボディラインはボディスーツを着ていた時から分かってはいたものの、とても優美な曲線を描き、まるで古代ギリシャの彫刻作品のようだ。
それに肌は新雪のように真っ白で、傷一つなくきめ細やかで、首から下は一切のムダ毛も生えていない。
形が良く小さ過ぎず大き過ぎない胸、驚くほど細くくびれた腰、全く垂れずにキュッと上がった尻、絶妙な細さの太腿。
腰まで届く輝くような銀色の髪、虹色に煌く瞳や横に長く尖った耳とも相まって、どう見てもファンタジー小説やアニメに出てくるエルフそのままだ。
そして、股間の…間違い無い。彼女は女性だ。間違いない。
い、いやいやいや!実況解説している場合じゃない!
俺は慌てて目を必死に逸らせながら、手に持っていたスウェット類を彼女に差し出した。
「ふぁ、ファレア!
こ、これを早く着て!!」
『はい』
彼女は何事もないような感じで服を受け取った。
「って、てかファレアさ、
下着…まで脱ぐ事は無いんだよ…?」
俺がそう諭すと、彼女はまたも小首を傾げた。
『下着、ですか?
私達の標準装備では、ボディスーツの下は何も着用しないのが普通です』
「うぇえ、そ、そうだったの…?」
『はい。このボディスーツは、私の体からの排泄物などを効率的に処理したり、処理の際に生じたエネルギーを温度調節や通信などに利用したり出来ます』
彼女は、足元に畳まれて置かれてあるそのスーツを指差しながら応えた。
「な、なるほどね…宇宙服みたいなもんか…」
『従って、下着を装着した場合はその機能を阻害してしまいますので、通常は着用を禁じられています』
「そうなんだね…でも、あのさ…」
『はい?』
「えっと、い、異性の前で裸になるのは…君達の社会では、当たり前の事…なのかな?」
スウェット類を手にしたまま、未だに全裸のファレアが応えた。
『当たり前、という訳ではありませんが…
私は訓練などで多種類の性属性を持つ同僚達と一緒になってスーツの着脱をする事が多いので、特に問題となりません』
「い、いやでもさ、男にその…アレされたりとか、だ、大丈夫なの?」
『…なるほど、その質問の意味が理解出来ました。
私はこう見えても防御格闘術は上級クラスですので、カツヤさんが懸念されるような…襲われたりとか、そういった事はありませんので安心して下さい』
「あ、う、うんうん安心した安心した…
だから早く、その服を着てくれるかな?
その姿のままだとこっちが困るから…
ちょっともう色々とヤバくなりそうだからぁ!!」
俺はもう何がとは言わないがアレコレと我慢出来なくなりそうだったので、目を両手で覆ってその場にしゃがみ込みながら悲鳴を上げた。
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ようやくジーパンとスウェットを着て、その上からさらに冬用のジャケットも羽織ってくれたファレアの姿を見て、俺はようやくほっとした。
とは言え、その下は下着も付けていない状態なのは間違い無いので、
見てるこっちが未だに何だかソワソワしてしまう。
「…じゃあ、外に出たらまずは服屋にでも行って、下着とかの一式を買うのが先決かな」
『分かりました』
大昔に冬用として買っておいて、そのまま棚の奥に仕舞い込まれてあった毛糸の帽子をファレアに被せる。
耳当ての部分が一体なので、長い耳がちょうど隠れるようになる。
時々ぴょこぴょこと動くので、ちゃんと納まるか心配ではある。
「ああ、結構似合ってるかな」
ファレアを姿見の所にまで連れて行って自身の姿を確認させた。
『はい、問題ないと思います』
帽子を被せる時にファレアの銀髪を整えていると、その銀髪の中にやや紫目の強い虹色のメッシュが混じっている事に気づいた。
『ああ、これですか?』と彼女が応える。
『これは私達の一氏族における特徴です。私はそれを受け継いでいます。
何か作業などで集中している時に、こうして髪の色が部分的に変化するようになるのです。
集中を続けていると徐々に恒常的に色が変化するようになり、やがて何もしなくてもこのような形で色が定着するのです』
「へええ、そうなんだ。すげえな。
つまり色の定着は、その人が集中を続けてきた証というわけか」
『理解が早くて助かります、カツヤさん』
ファレアが微笑んだ。
「あ、いえいえ」
「…で、これがマスクね。一応、付けておいて」
俺は玄関先の棚上にある買い置きのマスクケースから、一枚を取り出してファレアに差し出した。
『これをどうやって装着するのでしょうか?』
「まずこの紐を耳に引っ掛けて…ファレアは耳が長いから引っ掛けやすいな」
マスクを装着した事を確認してから、玄関で彼女に運動靴を渡した。
玄関に転がっている自転車のパーツ類を脇に寄せて彼女が靴を履くためのスペースを作ってから、彼女がその運動靴を履く手伝いをする。
「ブカブカだろうけど、紐で縛って調整すれば何とかいけるだろ。
だけど、このままも良くないから君専用の靴も買わないとな。
何しろ元々君が履いていたブーツは、ボディスーツとリンクしている奴だし…」
全てを確認してから、ようやく俺は玄関の扉に手を掛けた。
「さあ、行くよ。ファレア」
『はい、とても楽しみです!』
玄関の扉を開けると、昼下がりの明るい日差しが俺達を包み込んだ。
「地球へようこそ、ファレア」
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『はぁああ…これが、21世紀地球日本の商業施設なのですね!』
ファレアが、駅前にあるその建物を見上げながら目を輝かせた。
「ははは…これ位の規模は、大した事ないって。
都心の方に行けば、もっと大きな商業施設なんか幾らでもあるし」
俺は彼女の反応に苦笑しながら、ビルの中に入った。
ここは分倍河原駅の隣にあるショッピングセンターで、俺の住んでいるアパートから徒歩10分位の所にある。
通勤路の途中でもあり、仕事帰りや休日によくここで買い物をするのが普通なのだが、実は10年くらい前に出来たビルという事くらいしか知らない。
というのも俺自身、ここに引っ越してきたのがたかだか7年くらい前なので、正直言ってこの付近の地理や事情などは詳しく知らないのだ。
『あっ、あそこから食べ物の匂いがします!
向こうの一角には服が一杯置いてあるみたいですよ!』
しかし、ファレアにとってはそんな事はどうでも良くて
まるでテーマパークに初めて来た子供のようにはしゃいでいる。
「じゃあまず、ファレアの服というか…まず下着を買いに行こう」
そう言って、2階にある衣料品店に来たは良いものの、正直ここからどうしたら良いものか分からなくなる。
「うーん…あ、そう言えば」
と、俺はあるネット小説を幾つか思い出した。
そこでは、地球に召喚されたファンタジー世界の女性(サイズ不明)に下着を着せたい時は、とりあえずスポーツ用の下着を買わせるのが良いという。
「そうだそうだ!
じゃあ、スポーツ用品店を探すべきか…」
しかしフロアガイドをどう見ても、この建屋の中にはこの寂れかけの中高年女性向け衣料品店しか無いようだ。
あとはジーンズショップか…
「うーん、ここはもう止めて、府中駅の方にまで足を伸ばしてみるか…?」
俺が立ち止まってしばらく逡巡していると、ファレアがいつの間にか隣にいない事に気付いた。
「え?あれ?ファレアはどこに行った!?」
店内をぐるっと見回していると、ファレアがあるマネキンのところで立ち止まっているのが見えた。
『カツヤさん!これを着てみたいです!』
「うぇえ!?」
そのマネキンで飾ってあるのは、どう考えても関西のオバちゃんが履いてそうな豹柄のスパッツに、スパンコールが無数に付いたシャツの組み合わせ。
「い、いやいやいや!これはどう見ても合わないっしょ…!!」
『そんな事は無いと思うのですが、試着くらいはしてみたいです』
「ええ…君達のセンスがちょっと俺には理解出来なくなってきたんだが…」
そんな風にして二人してマネキンの前で騒いでいると、いつの間にか店員のオバちゃんが近寄ってきていた。
「何かお召しになってみたいものでもありました?」
「あっ、い、いいえ…何もまだ…」
と俺が言いかけたところで、ファレアがマネキンを指さそうとするのでそれを何とかして遮った。
「あーあっ、そうだ!
この子に、似合う服と、あと下着を見繕ってもらえますか!?」
と、ファレアの体をぐいっと店員の方に向けて差し出した。
「あら、外国の方かしら?」
店員のオバちゃんが首を傾げて問いかける。
「そう、そうなんですよ!遠い国から来たんですけどね、
でも服とかを、ええーとスーツケースごと無くしちゃってですね!
それで急きょ下着も含めて、見繕わないといけなくなっちゃって!!」
「あらまぁ!それは大変ねぇ!!」
と、頬に手を当てて気の毒そうにそのオバちゃんがため息を吐いた。
「そ、それじゃあファレア、この店員さんの言う事を聞いて、君に合う服を試着したら良いと思うよ!」
『は、はい…』
目をぱちくりさせるファレアを店員のオバちゃんに預けて、俺はいったん衣料品店から出る事にした。
服選びを完全にあの店員のオバちゃんに丸投げする事になるが、センスの無い俺が選んだところでどうにもならないのだから、これでいいだろう。
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『カツヤさーん』
ファレアの呼ぶ声がしたので、俺はエスカレーター脇にあるベンチから腰を上げて、衣料品店の方に向かった。
「ファレア、似合う服が見つかったかな…
…おぉ」
俺はファレアの姿を見て、思わず感嘆の声を上げた。
何しろ、まずダークグレーのセーターにアースカラーのワイドリブニットパンツを合わせ、その上からロング丈のトレンチコートを合わせた姿は
ファレアの銀髪や白い肌、それに俺が被せた黒のニット帽とも相性が良く、とてもよく似合っていた。
黒のパンプスも履いているので、それも選んでもらったのだろう。
『どう、でしょうか?』
と、ファレアは身体をくるりと一回転させてみた。
そのたびに、トレンチコートが羽のようにふわりと広がる。
「うん、とても似合ってる」
と、俺は率直に褒めた。
いかにも関西風好みのオバちゃん店員かと思ったら、失礼ながら意外にもコーディネイトのセンスは高いようだ。
流石に衣料品店の店員をやってるだけあるんだなぁ。
『見て下さい、これがスポーツ下着?というものですよね』
と、いきなりファレアがセーターを腰から捲り上げて、その下に着ている下着を俺に見せつけてきた。
「おぉおおぅふ!!ちょちょ、ちょっとここじゃ待った!!」
と俺は慌てて彼女の手を押さえつけ、まくったセーターを元に戻させた。
「ダメだよ!!
他の人にそういうのを見せちゃあマズいって…!!」
『あっ…すいません』
家から出る前、彼女が全裸状態から着替える時に噛んで含めるように説教…もとい、説明したお陰でとりあえずは理解してくれたようだ。
とは言え、彼女の認識とこの日本社会の間にあるカルチャーギャップは簡単に埋まりそうも無いだろう。
これからも注意していかないとならないだろうなぁ。
「それで、お会計ですけど…」
とオバちゃん改め、ブティック店員さんが持ってきた電卓の表示を見て、俺は古典的ながら本気で目が飛び出そうになった。
「うぇえええ…そ、そんなに掛かるんですか…?
な、何とかなりませんかねぇ…」
俺がそう店員さんに嘆願するも、店員さんはニコニコと微笑みながら首を大きく横に振った。
考えてみれば、下着と上着のそれぞれ上下にコート、パンプスまで含めたらそりゃそんな金額になるのは当然だろう。
しかも安めの品を取り揃えているお店とは言え、女性ものの衣類はどうしたって男性ものよりも高価なものになる。
俺は諦めて大きな溜息を吐いた。
「あ、ハイ…
えと、クレジットカード、使えますか…?
分割でお願いします…」
俺は渋々、なけなしのクレジットカードを使って会計を行った。
ま、まぁこれも異世界間ならぬ、宇宙間コミュニケーションの為だ…
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『ふふふ~♪~』
「ははは…楽しそうだね…」
『はい!素敵な服を得る事が出来て、とても嬉しいです!』
ニコニコしながら歩くファレアの後ろをどんよりした顔でその衣料品店を出た後、俺達は1階にあるフランチャイズの喫茶店で休憩する事にした。
ちなみにここにはいつも立ち寄る古本屋チェーン店もあるのだが、当然ながら今は寄る気も全く起きない。
『ほぁああ…
このカフェモカ?というのも、大変美味しいですね』
俺達は席の一角に座り、ファレアが買ったコーヒーを口に含むと満足そうにホァっと息を吐いた。
周りを見回すと、この非常事態宣言中だというのに割と人が多い。
みんな、度重なる自粛だの宣言だのにもう飽き飽きしてるんだろうなぁ。
でもそういう措置を取らないと、いざコロナに掛かったりしたら大変な事になるのは分かっているんだろうか。
ただでさえ最近は都内でも医療崩壊だのと騒がれてはいるけど…いざという時に助かるんだろうか。
と、そこまで思いを馳せたところで、その危機的な状況を救える鍵となる人物が、俺の目の前にいる事を改めて認識する。
「なぁファレア。新型コロナウィルスを消滅させられるっていうのは本当に可能なんだよな」
『ええ、もちろんです』
「さっき、一週間ほどあればって言ってたよな。
もし実際にやるとして、それはどういう風にして行えば出来るんだ?」
ファレアは、俺の質問にしばらく顎に手を当てて考える風にしてから応えた。
『そうですね…まず、どこかに拠点となるような場所を確保してから、そこへ機械を据え付けます』
「何の機械?」
『はい、先ほどカツヤさんに浴びさせて頂きました、あのバイオキットと基本的に同じ構造の機械です』
「ああ、あれか」
『ただし、その性能を数万倍あるいは数百万倍くらいに拡張しないといけませんので、当然ながら大型化しないとなりません。
更には、少なくとも地球日本の各地で噴霧が可能なように可動式にしないといけないでしょう』
「か、可動式?」
『はい、イメージとしてはあの円盤機械がそのまま浮上し、各地をぐるりと周遊して飛行しながら噴霧するようなかたちですね。
拠点は、その散布用円盤機の発進基地としての機能を持ちます』
「な、なるほどな…
確かにそういう風にしてあの攻性抗体だっけ?を撒いて回れば、あとは勝手にその抗体が増殖しながら新型コロナを食っていくから…」
『その通りです。攻性抗体は新型コロナウィルスという餌さえあれば、指数関数的に増殖していきますので、
そのままでもやがては世界全体にまで波及していく事になります。
しかし1週間で、というご要望であれば、その拠点から次々に散布用円盤機を飛び立たせるようにすれば、期間内で充分に間に合うでしょう』
ファレアはそう言いながら、俺を真っ直ぐ見て自信ありげに頷いた。