2日目-3
「は…
はぁ!?こ、コロナに感染してるのか俺!?」
「はい=99.9999975%の確率にて感染を確認しました=」
「す、すげぇ精度だなぁ…いやまあそれは置いておいて、マジか…」
確かに毎日、満員電車に乗って不特定多数の人間達と一緒に通勤していたし、社内ではろくにマスクもしないような同僚や上司と直接会話していた。
だから感染リスクは高いんだろうなぁとぼんやり思ってはいたが、いざ、本当にコロナに感染しているとすると流石に落ち込むものがある。
今は一応無症状だけれど、俺のように普段から過労で免疫力が下がっているような人間は、後になって酷い症状が現れる可能性は高いだろう。
だが、もう成ってしまったものは仕方ない。
気持ちを切り替えて、これからは治す努力をしなければ…
と思ったところで、そういえば全治全能の神に等しい科学力の持ち主が、自分の目の前にいる事に改めて気付いた。
「それで…どうやって治せば良いんだろう?
さっきバイオシステム云々と言っていたけど、具体的にはどうするんだ?」
俺はファレアに訊いた。
『はい』
ファレアは俺の不安を打ち消すかのように、にっこりと微笑みながら返事した。
『先ほども申しましたが、具体的にはいわゆるウィルスバスター…コロナウィルスだけに反応する受容体付きのウィルス貪食核酸、
と言うべき攻性抗体化合物の可搬体、すなわちナノマシンを構築します。
まぁ、一般的なナノマシンの中でも有機物で構成するタイプとなりますので、バイオマシンと言っても差し支えありませんが』
「なるほど、まぁ正直もう俺にはよく分からん世界だが、
とにかくお願い…します」
最後は若干敬語になりながら、俺はファレアに向かって頭を下げた。
『もう…本当に気にしないで下さい』
半ば呆れ、半ば照れながらといったていでファレアが諭した。
『でも、こちらの作業もさほど時間は掛かりません。
地球時間でせいぜい30分と言った所でしょうか。
完全に機械任せなので、私達は何もしなくても大丈夫です』
「そうか、じゃあ待っている間、またお茶でも飲んでようかな」
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俺はまた急須に茶葉を入れ直し、それからポットの熱湯を注いだ。
コタツに座って待機中のファレアにお茶の入った湯飲みを差し出すと、俺も湯飲みの中の熱いお茶を飲んだ。
何だろう…コロナに感染しているなどと言われてしまうと、何だか味覚がおかしくなったような気がしてくる。
いや、気のせい気のせい。
「終わりました=」
ウトラがそう宣言すると共に、バイオキットの上蓋がカチッと閉じられた。
「お、終わり?」
「はい=全工程が完了しました=」
「えっと…で、どうすりゃいいんだ?」
首をひねる俺に向かって、ファレアが言った。
『確か、攻性抗体を含んだ霧がこの装置上部から吹き出しますので、それを普通に吸い込んでもらえれば良いと思います』
「ふぅん、まぁやってみるよ。了解」
そしてもうしばらく待つと、バイオキットの上部に孔がカチッと開いた。
「こ、この孔…から吹き出すのかな?」
俺がその孔の中を覗き込もうとした瞬間、穴からブシューーーッ!!と勢いよく蒸気のようなものが吹き出し始めた。
「ブフヴァアアッ!?」
もろにその霧を顔に喰らった俺は、慌てて首を引っ込める。
その霧が目にも若干当たったらしく、何だか片目がチリチリと痛くて涙も出てくるし、鼻水もダラダラと出てきた。
「うひゃあぁ…イテテ」
「効果はすぐに現れるはずです=
そのままで安静にして=少々お待ち下さい=」
「お、おぅ…グシュッ…」
「そう言えば、ファレアは大丈夫なのかズズッ?」
俺は鼻水をティッシュで拭いながら、ファレアに訊いた。
『はい、私は体内に”医療ナノ”を常時走らせているので、防疫上は全く問題ありません』
「ファレア様の=”医療ナノ”は現在正常に作動中です=」
「へ?い、医療ナノ?」
俺は、その単語について質問しようとしたが
自身の体に起こり始めた変化に気付いたので、そちらの方に意識を向けた。
「お…おっ、おっおっ?」
何しろ心なしか妙に、体の芯の方から徐々にポカポカと暖かくなっていくのを感じ始めたのだ。
『カツヤさん、お具合はいかがですか?』
ファレアが訊いてくる。
俺は体の中で生じている感覚の変化をそのまま伝えた。
「何だかすごい身体中があったかくなってきたっていうか…
それに、何だか微妙にだるさだったりとか肩こりだとか、そういうのも消えていって体がどんどん軽くなっていくような気が…」
「はい=こちらでもカツヤさんの身体をモニターしていますが=攻性抗体が正常に作用しているようです=」
ウトラが俺の真上でゆらりとヒレを動かしながら応えた。
「また=攻性抗体以外にも=霧の中に=”標準汎用型医療ナノマシン”を=混入させております=
それは=ファレア様の体内で走っているものと=基本的に同種です=
この”医療ナノ”は=標準型炭素主体生命体に対して=その免疫機能を整えて強化し=また生体内の不具合に対して自動修復を行い=
新陳代謝を活性化させる機能を有していますのです=」
「うぇっマジで?」
「はい=マジです=」
ウトラが愚直な口調で応えた。
そうこうしている内に、俺の体は何だかもう10代の頃のような活力を取り戻したかのようにすら感じてきた。
「うおおおおお!スッゲーこれ!
体がめっちゃ軽くなってきたんだけど!!」
俺は思わず、部屋の中で軽くぴょんぴょんと飛び跳ねてしまった。
おっとヤバイ、ここは安普請アパートの2階なんだった。
ご近所から苦情が来てしまう。
「カツヤ様=
貴方の体内状態を=精密検査させて下さい=」
ウトラはそう言うと、またも俺の鼻の穴へと触手をスルッと入れて来た。
「ふ、フガガ!!」
「はい=終わりです=」
「グシュシュ…
んで、結果は…?」
「ウィルスの駆除を確認=全身の新陳代謝機能正常化を確認=
オールグリーン=カツヤ様の身体は完全に健康です=」
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「な、治ったって!?
あのコロナが…本当に治ったのか…!?」
「はい=全て問題ありません=」
ウトラ5-4-1は何という事もないといった風にして応えた。
凄い…これで治ったのだとしたら本当に凄い!
何しろ、国内外のニュースであれだけ新型コロナの流行による惨状や、その激しい症状や後遺症云々について報道されていて、
それに対して世界中の医療系大企業がワクチン開発に狂奔している状況が伝えられもした。
先日になってようやくmRNAワクチンだとかの接種がイギリスやアメリカなどで開始されていて、その効果もかなり出ているらしい。
治療薬についてはそれ以上に開発が難しいらしく、とりあえず既存薬が効くかどうかを総当たりで確認しているという状況だ。
一部ではその効果が認められて承認にまで進んではいるものの、とはいえ効果は限定的のようだ。
そもそも、そうした新しいワクチンや新薬については、本来なら開発に数年を掛けて効果と安全性を確認すべきものなのだ。
それらを全部すっ飛ばして承認された薬剤を受け入れるというのは正直怖いし、事実そういう動きに反対する人達も多いという。
以上の経緯を俺もニュースなどで見て知っていたので、こんなに簡単に治るものだとは全く思ってもいなかった。
とは言え、長期的な影響についてはどうなのかというと、このバイオキットが作成した攻性抗体も大して変わらないのかも知れない。
しかし、それでも俺はこの攻性抗体…というかファレア達の事を全面的に信じても良いのかも知れない、そう思った。
何よりもコロナだけじゃなく、学生の頃から長年悩まされて来た俺の腰痛や片足の痺れが嘘みたいに胡散霧消している。
学生時代に原付に乗っていて事故った時に腰を骨折し、それ以来の後遺症なのだが医者にももう痛みや痺れは取れないからと匙を投げられていた。
それが今や、足の感覚が完全に戻り、痛みと痺れが全てかき消えていた。
他にも、同じく悩まされていた首や肩の痛みや鈍い頭痛とかも全部無くなって、とても軽く感じられる。
つまり、それがウトラの言う”医療ナノ”とやらの効果なのだろう。
恐らくは神経の圧迫を無くしたり血行を促進させたり、とにかく体のあらゆる不具合がこれで解消されたという事になる。
これはもう本物だ、間違い無い。
俺は、ファレアの方に向き合って感謝の言葉を述べようとした。
「ファレア…本当に…ありが…」
しかし何だか上手く言葉が出てこない。それどころか、何故かは分からないが俺の目から涙がポロポロと溢れ始めていた。
「ウッ…ほんとうに…本当にありがとう…
すげぇ良かった…治って本当に…良かった…」
情けなくも涙をポロポロと流して俯きながらつぶやく俺に、
ファレアが近寄って優しく諭した。
『カツヤさん…どういたしまして。
でもこれは本当に何でもない事なんです。だから気にしないで下さい。
それにカツヤさんが私を助けて下さった事には感謝してもし尽くしきれませんので、これはあくまでもお返しの一つと思ってくれれば良いです』
「そんな…俺はただ単に部屋に入れて、メシを作っただけなのに…」
『いえ、それを何気なくして頂けるという事自体が、凄い事だと思います』
「い、いや…そんな事は無いよ…」
ふるふると首を振る俺に、彼女は少し困ったような感じで小首を傾げてから、何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
『それでは、こうしましょう。
私はこの21世紀地球日本の世界が気に入りました。
そこで…数週間ほどこの部屋に居させてもらって、ここを拠点にしてこの地球日本の調査活動をさせて頂いても宜しいでしょうか?』
「…え!?」
『はい、それで帳消し、というと私の方が利益を得過ぎてしまうような感じになってしまうのですが、
その場合はカツヤさんを改めて色々とお助けしたいと思いますし。
それでいかがでしょうか??』
「えええ!?
そ、それで君は本当に良いのかい!?」
『はい!全く問題はありません』
パチリと手を合わせて微笑むファレア。
まるで慈母のようなその微笑みに、俺はもう頷くしかなかった。
「分かったよ…そういう事であれば、
これからも宜しく頼むよ」
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俺が涙を拭っている間、ファレアとウトラの間で何か会話のような事をしていたようだ。と言っても、宇宙語のようだったので全く聞き取れなかった。
『カツヤさん、探査艇の浄化全工程が完了したようです。
ちょっと艇内に入って点検して来ます』
そう言うとファレアは、押し入れから門をくぐって
艇内の方に入っていき、その後をアトラが続いて入っていった。
俺も興味を惹いたので、その後ろをついて行く。
「ファレア、俺も…艇内に入って見ても、いいかな…?」
と、門に半ば首を突っ込みながら言うと、
その上の方からファレアの声がした。
『はい、もう大丈夫ですので、どうぞ』
俺が門をくぐり抜けて、艇内に入るなり
そこにファレアが立って待ち受けていた。
『次元跳躍探査艇『ヴァラス=シャーマ』号へようこそ』