2日目-1
ファレアと名乗るその宇宙人を俺のベッドで寝かせて、俺自身はコタツに入って寝ようとした。
しかし、宇宙人が今この部屋に居るという事実…いや、そもそも女性が俺の部屋に泊まる事自体、俺の人生の中で初めての事なので
どうにもソワソワしてしまい、なかなか寝付く事が出来なかった。
ようやくうつらうつらし始めた頃には、もう窓の外が明るくなり始めていた。
俺がハッと気付いて、ガバッと起き上がった時には
部屋の時計はもう9時近くになっていた。
慌てて俺がベッドのほうを見やると、ベッドの布団にくるまったファレアがすぅすぅと微かな寝息を立てて眠っている姿が視界に映る。
俺はほうっと一息付くと、コタツで寝ていたせいかガチガチになった身体をさすりながらゆっくりと起き上がった。
静かに洗面所で顔を洗ってから、コタツの上の買い物リストに目を落とす。
とりあえず、これだけ買っておけば今日と明日の食事は賄えるだろう。
俺は彼女を起こさないようにそーっと着替え、それから外へ出て行った。
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買い物を終えた俺がアパートに戻り、部屋に入ると
起き上がっていたファレアが、ベランダに通じる窓から外を眺めていた。
ジャケットを脱いで、ボディスーツだけの姿だったが
明るい外の光を浴びて、彼女の美しいボディラインが露わになっていて
俺は不謹慎な感情を抱くよりもむしろ、名工による彫刻のような美しさ、いや神々しさすら感じていた。
「ファレア、おはよう。
…そこから何か見えるのかい?」
俺はファレアの方に歩み寄りながら声をかけた。
『おはようございます、カツヤさん。
外の景色を、眺めていました』
俺もファレアの眺める方向に目を向けてみる。
しかし何の変哲もない、家とアパートと小さな廃工場と僅かばかりの田畑が、渾然一体となり雑然とした光景が広がるばかりだった。
遠くには高速道路の高架が走っているのも見える。
ちなみに俺が住んでいる東京都府中市の辺りは、だいたいどこへ行ってもこんな光景が続いている。
殺風景と言えなくも無いが、でも近くにスーパーもあるし電車で都内まで30分程度なので、そういう便利な所は気に入っていた。
ただご多分に漏れず、ここら辺も徐々に人口が少なくなってきているようだ。
『これが…本物の、21世紀地球日本の景色なのですね』
まただ。
一体何なんだ?その”21世紀地球日本”という言い回しは。
まぁ、おそらくはまだ翻訳機の調子もイマイチなのかも知れないし、
時間が経てば正確な翻訳が出来るようになるのかも知れない。
『初めて見ました』
ため息を吐くように呟くファレア。
「ふぅん…そうなのか。
君の世界では、こういう街並みは無いの?」
『こういったのどかな景色を持つ世界は幾らでもありますが、本物の21世紀地球日本の景色としては初めてです』
「そ、そうなんだ」
今の会話でも、色々と疑問というか彼女に対して訊いてみたい質問が幾らでも浮かんでくる。
しかし、その前にちょっと落ち着いた方が良さそうだ。
「まぁそれはさておき、そろそろ朝食にしようか。
今から作るから、コタツに入って待っててくれないか?
そこにあるお茶は好きに飲んでいいからさ」
俺は、昨日の夜に洗っておいた急須に新しいお茶っ葉を入れてからお湯を流し込み、ファレアの方に差し出した。
彼女がコタツに入るのを見届けてから、俺はさっそく朝食の準備に取り掛かった。
できれば和食が良いんだけど、しかしご飯を炊いている時間が惜しい。
なので、ここはパパッと簡単に作れるアメリカンスタイルのブレイクファーストと洒落込もう。
まずフライパンにバターを入れて火を掛け、十分に溶けたところで切ったバナナを投入し、強火で軽く焦げ目を付けておく。
トースターで焼いておいたパンの上にそのバナナを溶けたバターごと乗せて、もう一度トースターで軽く焼く。
空いたフライパンにもう一度バターを入れてから、今度はウィンナーを焼いて卵も投入し、目玉焼きにする。
こうする事でバナナのほのかな甘味が隠し味になり、後で振りかける塩胡椒の風味がさらに際立つのだ。
出来上がったバナナトーストの上にシナモンを軽く振りかけ、出来上がった目玉焼きも一緒にトレイに載せたら完成だ。
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「お待たせ、出来たよ。
さぁ、食べようか」
俺は料理のトレイと共に、一緒に買っておいたオレンジジュースもコップに注いでコタツの上に置いた。
すると、コタツの上に並べられた料理の皿へ向けられたファレアの目が、みるみる間に輝き出すのが分かった。
『ほぉぁあああああ……!!
こ、これが、地球日本の朝食というものですか…!!』
よだれを垂らさんばかりに凝視するファレアを見て、俺は苦笑した。
「ははは…そんな大層なもんじゃないけど、それでも良ければ。
君の舌に合うと良いんだけどね」
『大丈夫です。昨日のカレーメン?もそうでしたが、問題なく消化出来る事を確認しましたので』
「し、消化ね。オーケー、それじゃあ食べよう」
俺はそう言ってから、手を合わせた。
「いただきます」
『いただきます』
彼女も手を合わせて唱和する。
こうしてみると、彼女の仕草もなかなかサマになっているように思える。
ファレアは、まずトーストから口に運んだ。
『…☆★*☆★*♡♡!!』
口いっぱいにトーストを頬張った彼女の顔がまるで全体的に輝かんばかりになって、モゴモゴと言葉にならない声が響いた。
エルフ耳もやっぱりぴょこぴょこと縦に羽ばたいている。
耳が動くのは、彼女の種族における喜びの表現なのかも知れない。
「美味しい…かな?
まぁ、その表情を見れば問題なさそうだけど…」
『……!!』
うんうんと、俺の言葉に同意するようにして大きく頷いた。
口の中のものをようやく飲み込んだファレアは、今度はフォークでウィンナーを刺して口に運び、また同じく目玉焼きも切ってから口に入れた。
ちなみにフォークなどの食器の使い方は昨日の夜に教えたけど、もう問題なく使いこなせているようだ。
またも口いっぱいに頬張った彼女に苦笑しながら諭した。
「そんなに慌てて食べなくても、地球の料理は逃げないよ」
『もぐもぐ…ごっくん。は、はい…お見苦しい所をお見せしまして失礼しました』
我に返ったような面持ちの彼女は、顔を真っ赤にして首を竦めた。
「いやいや、こちらこそ料理がファレアの口に合ったみたいで嬉しいし、だから気にしないでくれ」
『はい、分かりました。
何しろこの朝食はとても美味しくて…大変感動しています。
カツヤさん、本当にありがとうございます』
「そんな大ゲサな…」
『いえ、決して大袈裟ではありません。
とにかく、私はこの地球日本の食事が大変気に入りました』
「そ、そうか…それは良かったよ。
そう言ってもらえると、作り手冥利につきるってもんだ」
『ミョウリ…とは何ですか?』
「あ、えーと…うーんまぁこっちも嬉しいとか、そんな感じかな?」
『なるほど。それではお互いに利のある行為という事になりますね』
「利のあるって…まぁそう言えるのか、な?
それはまぁともかく、ゆっくり味わって食べようか」
『はい!』
その後も彼女は料理を口に入れるたびに目を輝かせ、大事に味わうようにして咀嚼していた。
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朝食を終えた後、俺は急須にお湯を淹れ直しながらファレアに訊いた。
「さて、これからどうしようか…
まだ探査艇内の浄化は済んで無いんだっけか」
『はい、朝食の前に一度確認しましたが、まだ浄化は完了していません。
万全な状態まで復旧するには、やはりあと半日は掛かるものと思います。』
「そうか、それじゃまぁ終わるまで待つしか無いな。
その間は、こんな部屋で良ければくつろいでてよ」
『はい、分かりました。
カツヤさん、ありがとうございます』
「あ、いえいえ、気にしないで」
『はい』
「………」
いったん会話が途切れると、妙に気まずいような沈黙が続いてしまう。
何しろ昨夜も思ったが、女の子を部屋の中に入れるのは俺の人生の中で初めての事なのだ。
お、女の子だよね…
だって、ファレアの体つきはどう見ても女性らしい嫋やかさがあって、それに心なしか、何だかその体からは女の子特有の良い香りがする。
おい!何を考えているんだ。
でも正直女の子を目の前にすると、俺はいつもどういう風に振る舞えば良いのか分からないのだ。
いやいや、相手は宇宙人だし…
女の子のように見えても、実は男だったりとか性別がなかったりとか、はたまたとんでもなく高齢だったりするのかも知れない。
そう考えると、実は宇宙人である彼女に訊いてみたい事は一杯あるのだ。
例えば、彼女の所属する宇宙文明とはどこの星にあって、それは一体どういう社会で人口はどれ位なのか。勢力範囲はどれ位なのか。
彼女の宇宙文明以外にも、他種の宇宙人とかを知っているのだろうか。宇宙連合みたいなものを結成しているんだろうか。
何よりも、どれだけ高度な科学技術を持っているのか。
しかし、一度でも訊くタイミングを逃してしまうと、ちょっと口下手な所がある俺としてはとても訊きづらくなってしまう。
さて、どうしたものか…と若干途方に暮れたように思っていると、
彼女の方から口を開いた。
『ここにある、この黒い直方体は一体何でしょうか?
表面にボタンのようなものが一杯付いていますが』
彼女が手に取ったのは、テレビのリモコンだった。
「ああ!これね。
これはテレビを操作するためのリモコンだよ」
俺はそう言いながら、彼女から受け取ったリモコンの電源ボタンを押す。
すると、リビングの壁面側にある17インチのテレビが灯った。
『はぁあ、これがテレビというものなんですね…!』
と、物珍しそうにテレビを矯めつ眇めつしながら表面をさすったりし始めた。
「あー、まぁガワだけ見てもあまり面白く無いかな…
肝心なのはテレビが映し出す番組の内容なんだけどね」
と、俺は画面の中を指差した。
ちょうど今は、朝から昼にかけての日曜情報番組をやっている所だった。
「今日の朝9時時点での人出ですが、全国の主要駅や繁華街計95地点のうち6割超に当たる63地点で、前週に比べて約90%へと減少しました。
しかし前回の緊急事態宣言時に比べるとまだ8割以上の地点で2割以上も増加しており、非常事態宣言解除に向けて予断は許されない状況となっています」
はぁ…相変わらず、どこの番組もこんなんばっかりだな。
かと思えば別のコーナーで、自粛警察が問題だの店舗の経済的苦境だのといった話をしているのだ。
本当に嫌になる。いったいこの国のマスコミは何がしたいのか、さっぱり分からない。これじゃ完全にマッチポンプじゃねえか。
しかし、ファレアにとってはその内容は充分に興味を惹くものだったらしい。
『ここに映っている、外にいる人達はなぜ全員顔に妙なものを装着しているのでしょうか…?
そう言えば、外から帰ってきたカツヤさんも、同じようなものを装着していましたね。それはいったい何なのでしょうか?』
首を傾げるファレアに、俺は苦笑しながら答えた。
「ああ、これはマスクと言って、呼吸の時とかにウイルスが体の中に入らないように付けるものでね。
本来ならあまり付けたく無いんだけどさ、でもこんなにコロナが大流行している状況じゃあ仕方ないんだよなぁ…」
最後の方は俺の愚痴みたいになってしまったが、ファレアにとっては更に疑問を膨らませるばかりになったようだ。
『コロナ?とは一体何でしょうか?』
ああ、それはね…と俺が喋ろうとすると、彼女は慌てて頭を下げた。
『申し訳ありません…
私はまだ地球の古代史をちゃんと勉強し切れていなかったものなので、この21世紀地球日本の知識が乏しいのです』
「こ、古代史?」
またも謎の単語が出てきた。
いや、古代史というからには本来はまぁ古代文明とかそういう事なんだろうけど、多分まだ翻訳機の機能が十分でないのかな。いやそうに違いない。
「あー、えーとね…どこから話したら良いのかな。
うーんと…」
俺は、かなり逡巡してから、記憶と知識をたぐりながらも何とかこのコロナ流行についての状況を彼女に説明し始めた。
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『…なるほど。
そのCOVID-19という新型コロナウィルスが現在の地球全域で猛威を振るい、多くの国々で甚大な被害をもたらしているというわけですね』
「うん、まぁ有り体に言うとそうなるかな」
うなずく俺に向かって、彼女は首を傾げた。
『そういう事であれば、すぐにそのウィルスを駆除すれば簡単だと思うのですが、何故そうしないのでしょうか?』
「へ…?
く、駆除?」
『はい、私達のテクノロジーを以ってすれば、1惑星を覆う程度の微小生物を駆除する事は造作もない事です』
「な、何だって?」
彼女の口から、とんでもない発言が飛び出してきた。
家の害虫駆除みたいに簡単に駆除出来るもんなら、ぜひそうしたい所だけどなぁ。
「そ、そんなに簡単に出来るものなのかい?」
『はい、そうですね。
実を言うと、あの探査艇に備わっている防疫機能の一つとして、未知の危険な生命体を駆除するバイオキットも含まれているのです
それを応用すれば、この21世紀地球全域を覆うウィルスを完全に駆除する事は、十分可能です』
「ウィルスを…か、完全に駆除!?」
目を見開いた俺に向かって、彼女は頷いた。
『ええ、一週間ほど頂ければ完全に駆除…すなわち消滅できます』