6日目-1
「カツヤさん、おはようございます」
「ファレア、おはよう」
朝食の準備をしていた俺は、押入れの奥から現れたファレアに挨拶をした。
ファレアは普段、艇内にある多目的ルームのベッドで寝起きしている。
彼女が俺の部屋で寝たのは初日だけなのだが、
こうして艇内と俺の部屋が門で繋がっていて、ほぼ素足で出入りしているので実質的に艇内も俺の部屋の延長みたいな気がする。
ちなみに彼女も俺の部屋だけでなく、艇内でも素足で歩くようにしていた。
そもそも艇内はナノシステムによって清掃を含め環境調整が自動化されているので、床掃除をしなくとも衛生的には全く問題ないそうだ。
むしろ比較すれば、俺の部屋の方が汚染されていると言えなくもないのだが…
まぁ彼女にとっては、こちら側は森の中でテントを張って生活しているも同然なのかも知れない。
今日も俺は、簡単にバターを塗ったトーストと目玉焼き&ベーコンの朝食を二人分作り、それにマーマレードを添えてコタツの上に運んだ。
暖かいコーヒーも用意する。
コーヒーについては、最近まで使っていなかったドリップ式のコーヒーメーカーを台所棚の奥から引っ張り出し、
それにちゃんとしたコーヒー豆を挽いて淹れるようにした。
日本茶もそうだが、俺は少なくともこうした飲み物に関してはちゃんとこだわるように心掛けている。
何よりも、一緒に飲んでくれる人が居るというのはモチベーションになるし、それが地球文化に初めて触れる宇宙人とあれば尚のことだ。
「カツヤさん、今日は出来れば早めに…帰って来ることは可能でしょうか?」
ファレアがトーストをモグモグと食べながら訊いてきた。
トーストの上にはマーマレードがこんもりと盛られていて、今にも溢れそうだ。
「うーん…今日も忙しいっちゃあ忙しいけど…どうかな…
何かあるの?」
「はい、今日はもう散布用円盤機の初号機発進をお見せ出来ますので、ぜひご覧頂けたらと思います」
「おぉ、そうか…!
そうだね、うん、じゃあなるべく早めに仕事を上がれるようにしてみるよ」
「ありがとうございます!
カツヤさんに見てもらえるのであれば、より一層頑張れます!」
むん、と両手を掲げて踏ん張るポーズを取りながら彼女が言った。
「あはは、そんなに気張らなくても良いよ。
前にも言った通り、一週間だとかそんな短期間でやってもらわなくても全然大丈夫だからさ」
「いいえ!これは私が言い出した事ですし、ちゃんと完遂します!」
「まぁ…身体に無理のない範囲でやってもらえればいいから」
「それと…カツヤさんにお渡ししたいものがあります」
そう言ってファレアは天井に浮かんでいたウトラ1に命令し、艇内から何かを持って来させた。
「これです」
「…?何これ」
それは手のひらに収まる程度の大きさの、横に押しつぶしたようにやや平ためな紡錘形の物体だった。銀色をしていて、何かの金属で出来ているようだ。
例えるなら、金属製のカブトガニとか三葉虫のような感じだ。
「これはウトラ4-5-3です」
「うぇえ!?…ウトラの3体目って事!?」
「はい、そういう事になりますね」
びっくりした俺は、ファレアの手の上にあるその小さなウトラ4-5-3を指で突いてみた。
「おはようございます=カツヤ様=」
と、その手のひらの上でウトラ4-5-3は体の脇から小さな触手をシュルッと出してきて、俺の指に軽く巻きついた。
「おぉお!」
「カツヤさん、これをお仕事中でも常に携帯して頂けますでしょうか。
これは、私達と通信する事も出来ますし、またカツヤさんの身にもし危険が及んだ場合にも防御機能を働かせる事が出来ます。
それに”医療ナノ”も1パック分を内蔵しておりますので、もし怪我をした場合や、もしくは毒物や病原体による急激な発症にも対応して、
体内を速やかに修復・中和する事が可能です」
ファレアはウトラ4-5-3の背中を一回押すと、その一部がパカっと開く。
その中から一つの小さなカプセルのようなものを取り出した。
「このカプセルを飲むと、ありとあらゆる病気や怪我から回復する事が出来ます。
尤も、ナノマシン自体は一週間程で体内で溶けて無くなってしまいますが」
「な、なるほど…一種のスマホ兼非常用キットというわけか」
「はい=カツヤ様の身を=お守り致します=
例えば=こんな機能もあります=」
ウトラ4-5-3はそう言うと、自らの金属製の体をブルっと震わせ始めた。
その直後、その体がカチャカチャカチャとたちまちの内に変形していき、ついには一つの小さな銃のような形になった。
「こ、これは…短銃!?」
「はい=非常時にご命令頂ければ=いつでもこのモードへ移行出来ます=
有効射程が2500mの=荷電粒子ビームが=発射可能です=」
銃形態を維持したままのウトラ4-5-3が、脇から触手を生やしてふるふると振りながら言った。
「はは…そ、そりゃ凄いね…
使いこなせるかどうか全く自信ないけど…」
俺はウトラ4-5-3を手にしてみる。
うん、それなりにがっしりしていて重さもあるけど、携帯に不便なほどという訳でも無いな。
「しかし、さっきの三葉虫みたいな形態から短銃形態に変身したけどさ、大きさまで変化するなんて立体パズルなんてレベルじゃねーよな」
「はい=実を言うと=私達を構成する部品の幾つかは=四次元物質で製造されていますので=四次元空間に部品を格納したり=
形状変更時に=一度四次元方向へと部品を移動させたり=四次元から部品を取り戻すなど=といった事が可能です=」
「四次元物質!?あ…あぁ、前に言ってたやつか。
宇宙人のテクノロジー、やっぱマジぱねぇわ…」
「私達ウトラシリーズの人工知性体を始めとして=『ヴァラス=シャーマ』号の主要部品や=ファレア様が着用される制式任務服などにも=
こうした四次元物質を=使用しています=」
「はぁ、何か聞けば聞くほど途方もないテクノロジーだなぁ…」
俺は、掌の上にあるウトラ4-5-3に向かって頷いた。
「よし、分かった。お前を携帯する事にするよ。
よろしくな、ウトラ3」
「私の名称はウトラ4-5-3ですが=ウトラ3で問題ありません=
宜しくお願いします=」
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「秦守ぃイイ!!
まぁた貴様は仕事を遅らせたなぁあ!!」
今日もまた上司…三宅課長の叱責が俺の方に飛んできた。
「課長、申し訳ありません。
しかしながらPJE3の部品はまだ委託工場での生産技術性確認が済んでいませんし、それに引きずられて確実なクリアランス検証が…」
「言い訳は要らん!
既にこの箇所だけで一週間も遅れとるじゃないか!!
これでは次の量産検証にも遅れが出るじゃないか!一体どうするんだ!!」
「はぁ、既に量産品質課にはその件にて整合済みで日程調整も…」
「だから言い訳するなぁ!!」
三宅課長は万事こんな調子で、こちらの話もろくに聞かずにフロアに響き渡るほどの大声で叱りつけるのだ。
しかもマスクを半ばずらして声を出しているので、ツバが若干こっちにまで飛んできている気がする。
こりゃもし課長が感染してたら、間違いなくこのフロア全体が濃厚接触扱いになるよなぁ…
課長席の前で叱られている間、俺はちらっと周りを見ると
フロアにいる他の社員も我関せずといった感じでこちらを見ずに、普通に働いているようだ。
まぁ俺だけじゃなくて他の同僚達にも同じように叱ってるから、もう単なる恒例行事みたいになっているというわけだ。
しかし、最近では俺以上に叱られている奴がいる。
課長のお小言が終わった後、俺はやれやれとばかりに自席に戻りつつ、
駒橋の座っていた席に目をやると、今朝は居たはずの彼女がいつの間にか席を外していた。
「あれ?駒橋はどこ行った?」
俺は隣の熊野に訊いた。
「ん、ん…お、あ、あれ?
さっきまで、そこに座ってたんだけどなぁ。
で、でも今日は何だか、ぐ、具合が悪そうだったぜ?」
「え?マジで?」
何しろ彼女は、今朝ものっけから三宅課長に叱られ、それから所属元の委託会社にも電話で怒られ…とかなり酷い事になっていたのだ。
とは言え、普段の彼女ならそれでもどこ吹く風といった感じで明るく仕事に取り組んでいる姿が、課長以外の同僚社員にとっても励みになっていた。
こんな風に席を長い間外すというのはあまり無い事だった。
「お、おぅ。ま、まさかコロ…」
「馬鹿、下手なことを言うなよ」
と、俺は熊野をたしなめつつも、ちょっと嫌な予感がしていた。
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仕事がひと段落し、俺は気分を変えようとして会社の食堂フロアに上がった。
社員食堂のフロアは昼以外でも解放されているので、一息入れたい社員がそこで飲み物を買って休憩していたり、
または外部業者と簡単な打ち合わせをしたりするのに使っている。
「やれやれ…課長の発奮ぶりもいい加減にしてほしいもんだが…
…ん?あそこに座っているのは…」
社員食堂の一番端、窓際に並べられたカウンター席に座りながら、テーブルに臥せっている奴がいた。
「まさか…」
近寄って見ると、案の定そいつは駒橋だった。
「駒橋、おい駒橋大丈夫か?」
俺は臥せっている彼女の肩を少し揺すった。
「ん…んん…あ、秦守せんぱい…」
ようやくの事で身を起こした彼女の顔はかなり赤くなっていて、それに呼吸も何だか苦しそうに見える。
「すんません…さっきからちょっとだけ気分が良くないだけで…
でも少し休んだら、すぐに良くなると思うんで…」
そんな風に言う彼女は、普段の快活さが完全に何処かへ消えてしまったようで、はたから見ても相当ヤバそうな感じだ。
「い、いやいやいや!
お前、絶対体調崩してるだろ!
もういいから今日は早退して休めって!!」
俺がそう言うも、彼女は弱々しそうに首を横に振った。
「せんぱい…でも…仕事が…」
「仕事なんか気にするな!そんなの俺らに任せとけって!
っていうか体が資本なんて言ったのはお前だろうが!!」
「あ…あはは…そういや昨日、自分でそんな事言ってましたっけ…
本当にすんません…ゴホッゴホッゴホゴホゴホ!!!」
駒橋は急にむせたかのように激しく咳き込んだ。
「ま、マジで具合悪そうだな…」
俺は彼女の背中をゆっくりさすってやる。
額に手をやると、既に相当な高熱が出ている事がすぐに分かった。
どうしよう…これは本当にコロナ、かも知れない。
既にかなりキツイ症状が出始めているようだ。聞く所によると、これでも軽症扱いで…重症へ移行すると若くても生死を彷徨う事になる。
そうだとしたら、もはや彼女をこんな所に放置すべきじゃないだろう。
今すぐ救急車で彼女を運ぶべきか…?でも最近だとたらい回しにされた挙句に自宅待機でそのまま…というケースが出始めているらしいし…
とは言っても、こんなところで逡巡している時間も無いよな…
しかし彼女がコロナだと発覚したら、確実に自分達の所属するフロアどころかビル全体が濃厚接触扱いになるだろうから、
その影響は甚大になるだろう。色々と面倒な事になるんじゃないか?
いやいや、そんな事を言っている場合じゃないだろ。
うーん、どうしよう…
そこで、俺はあるモノを携帯している事を思い出した。
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「おい、ウトラ3」
「はい=カツヤ様=」
俺は彼女から少し離れ、それからズボンのポケットに入っているウトラ3を取り出して小さな声で話しかけた。
すぐにウトラ3も応答する。
「お前、身体のスキャン機能?だっけ、そういうのもあるんだよな」
「はい=装備しております=」
「じゃあ、今すぐに彼女の身体を診てもらえないか?」
「了解しました=」
「触手とかは…出さなくても大丈夫なのか?」
「はい=先日のうちに21世紀地球上の微生物パターンを=全収録完了しましたので=触手を出さなくても問題ありません=」
「そ、そうか」
俺はウトラ3を、臥せったままの駒橋の方に向けて、そのままじっと待った。
「分析完了しました=」
「結果は?」
「はい=COVID-19への感染と発症を確認しました=」
「やっぱりそうか…」
と、俺は顔を思いきりしかめて頭を抱えた。
「カツヤ様=この発症レベルであれば=今こちらで所持している=”医療ナノ”カプセルを投与すれば=
瞬時にして体内機能を回復させる事が=出来ます=」
「えっ!?本当かよ!?」
ウトラ3の言葉に、俺は思わず小声ながら叫んでしまう。
「はい=大丈夫です=問題なく回復出来ます=」
ウトラ3は、その背中にある蓋をパカっと開いた。
その中に、白っぽい小さなカプセルが幾つか入っている。
「こちらを取り出して=1錠を=彼女に飲ませて下さい=
数分で=効果が現れるでしょう=」
「わ、分かった…」
俺はウトラ3からカプセルを1錠つまみ、それからウトラ3を懐にしまった。
それから再び彼女に近づいて話しかけた。
「駒橋、ちょっといいかい…?」
「あ…せんぱい…さっき…どこかに電話してたんですか…?」
「あ、ああ。ちょっとな」
彼女の顔色は、さっき見た時は赤かったようだが、今度は逆にだんだん青白くなってきている。
ひょっとしたら酸素飽和度?が悪化してきているのかも知れない。
「ゴホゴホゴホッ!!
ぜ…ぜんぱい…もうこれ以上は…結構なんで…
ち…近寄ったら、ゴホッ…感染しちゃいますよ…」
「いやいや!お前は気にしなくていいから!
それよりも、この薬なんだが…いま、飲めるか?」
俺は彼女に、そのカプセルを差し出した。
「な…なんですか…?このくすり…」
「あ、あー、えーとだな…そう!
秦守家伝来の、秘伝の風邪薬なんだよ!!」
俺は慌てて適当な嘘をでっち上げた。
「へぇ…そうなんですね…
それを…私なんかがもらっても…いいんですか…?」
「あ、うんうん大丈夫!
俺んところにいっぱい持ってるからさ!気にしないでいいって!
まぁとりあえず、飲んでみてくれよ!!効き目ばっちりだからさ!!」
ハッタリ混じりの強引な薦め方ではあったが、彼女は素直に頷く。
「分かりました…じゃ…頂きます…
ありがとう…ございます…」
彼女は弱々しい動きで俺の手からカプセルを掴み、それを口に含んだ。
手にしていた飲みかけのペットボトル茶で、ごくりと嚥下する。
俺は、彼女の様子を見るために横の席に座り、彼女の背中をさすりながら”医療ナノ”が働き始めるまで待った。
「…あれ」
2、3分ほど待った頃。
テーブルに再び臥せっていた駒橋は、身体をピクッと一瞬震わせた。
どうやら自身の体に起き始めた変化に気づき始めたようだ。
「先輩…何だか、私の体の中がぽかぽかと暖かくなってきた気がするんですけど…何だろこれ…」
そしてゆっくりと身体を起こしつつ、手を自分の胸に当てた。
「えっ…なんか、体の芯から全体に向かって、どんどん暖かくなって…身体のだるさがなんかどんどん消えていくんですけど…!」
「おっ、薬が効き始めたな」
俺は彼女の顔色を見て安堵した。
さっきまで完全に青白かったのが、今はほのかにピンク色へと変化している。
「せ、先輩!!何かすごいんですけど!!
もう身体のだるさとか痛みとか、あと胸の苦しみとかがすっかりと無くなったし、それどころかすごく身体が軽くなってきましたよ!?」
駒橋は自身の両手を見つめて、その大きな目をさらに大きく見開いた。
「先輩!秦守先輩!!これって!?」
「うんうん、もう大丈夫だな」
俺は彼女の変化を見て、大いに頷いた。
良かった良かった。これでもう安心だろう。
「はい=彼女の体内から=COVID-19の=完全な消滅と=身体機能の回復を=確認しました=」
と、俺の懐に入っているウトラ3も小さな声でそれを肯定した。
「せ…」
「せ?」
駒橋が突然、顔をこちらに向けてその大きな瞳をうるうるさせながら言いかけた。
「せぇんぱぁいいい!!」
「どはぁあっっ!?」
次の瞬間、彼女はガバッと俺に抱きついてきて、俺はその反動でカウンター席の椅子から転がり落ちそうになる。
「うぁ、わわわ!!駒橋っ!?
ちょ、お前こんなところ誰かに見られたら…!」
ぎゅっと抱きついてきたお陰で駒橋の胸が俺の体にもしっかりと当たる。
やべぇ、こいつ意外にも胸がデカイんだった…!
「秦守先輩っ!!
本当にすごいっす!一瞬で身体が楽になりましたよーっ!!」
「そ、そうか…それは良かったから、ちょっと離れようか…」
俺が何とかして、色々こみあげてくるものを抑えながら彼女に諭すと、
彼女もまたハッとして抱きつくのを止め、身体を元に戻した。
「あっっ…!す、すいませんっした…!!」
「い、いえいえ…問題ないから気にすんな…」
「でも、本当に凄い効き目っすねこれ!
こんな強い効き目の薬、飲んだことありませんよ!!」
「ま、まぁな。えーと、先祖代々の秘伝の薬だからな。
だからまぁ…あまり周りに言うんじゃねえぞ。
他の奴から欲しがられても、さすがに数に限りもあるしな」
俺はそう言って彼女に口止めを促した。
確かにこんな万能薬?は誰もが欲しがるだろうが、そうなると際限がなくなるし、何よりもそれをキッカケにしてファレア達の事がバレかねない。
今回は緊急事態だったからやむなく使用したが、これ以上危険を招くような事は無いようにしないとならないだろう。
「まぁ、でもコロナじゃないって事は分かりましたよ。
コロナだったらこんなすぐに良くなるなんて、あり得ないっすからねー。
治療薬だって未だに無いっていうし」
「ははは…」
「さ、仕事に戻ろうか。
また課長の大目玉を食らうわけにもいかないし」
「はいっす!!」
俺は、社員食堂に誰も居ないことを改めて確認してから外へ出ていった。
しかしその時の俺達は、一人だけ密かにこちらを見ていた人物がいたことに、気づいていなかった。