2-3.宣戦布告、いたします
王太子は侍従が支える扉をゆっくりと潜り、「やあ」と声を掛けて入室する。
その麗しき顔に穏やかな微笑みを貼り付けてはいるが、長年の付き合いであるロズリーヌには怒っているとわかる程度に怒りを滲ませていた。
いったい何故、とロズリーヌは混乱する。
もしや、もしや、王太子はもうミシェルが気になっていて、それを察したロズリーヌが既にミシェルをいじめ始めていた、などと考えているのか。
「あ、あの、シルヴェストル殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ。ロズ……モンティリエ嬢も」
「はじめまして、シルヴェストル殿下。ミシェル・クレストにございます」
慌てて立ち上がり、深く腰を落として最上級の淑女の礼を取るロズリーヌに、王太子は鷹揚に頷いた。
一瞬だけ呆然としたミシェルも、遅れてすぐに膝をつく。
「いい。ここは学びの場で、宮廷ではない。あまり大仰な礼は無用だ」
王太子の言葉にロズリーヌはホッと息を吐いて姿勢を緩めた。ミシェルも立ち上がり、軽く一礼をするにとどめる。
「君は東の国境の要たるイエール辺境伯の継嗣だな。辺境伯は息災か」
「はい。クレスト家一同、国王陛下ならびに王国のため、日々研鑽に努めております。殿下の覚えめでたきことを父が知れば、たいそう喜ぶかと」
「――だから、そのように堅苦しい言葉はいらん。ここは宮廷ではない」
「はい」
下げた頭を元に戻して、ミシェルはまたにこりと笑う。
その顔がロズリーヌは気に入らない。とても気に入らない。
運命が指し示すとおり、外聞など気にせずいびり倒して王都から追い出してしまいたいほどには気に入らない。
だが、それをやれば自分どころかルーヴァン侯爵家とイエール辺境伯家の諍いを招くことにもなるし、何より王太子の不興を買ってしまう。
「ああ、モンティリエ嬢。少々話があるのだが、来てくれるか」
「はい」
来た、とロズリーヌは身構えた。
ミシェルに形ばかりの一礼をして、教室を出る王太子に続く。
初日からさっそく釘を刺されるなんて、なんということだろうか。それほどまでに、王太子はミシェルを気に入ったのか。
前を行く王太子の背を眺めて、ロズリーヌはキリリと唇を噛む。そのロズリーヌを、ジレットとレイモンが心配そうに窺っている。
――いや、待てよ。
それなら、こちらから先に釘を刺ししまえばいいのではないか。
そうだ。それだ。
廊下を素早く見回してほかに人影がないことを見て取ると、ロズリーヌは「殿下」と呼び止めた。
いったい何かと、訝しむように目を眇めた王太子が振り向く。
「ロズリーヌ、人目がない時は名前で構わないと……」
「殿下。そんなことよりも」
「そんなこと?」
王太子の眉がわずかに寄るが、ロズリーヌは気付かない。
「殿下、持って生まれた趣味嗜好というものは修正が利かないのだと、わたくしも存じ上げております。殿下が何に開眼してしまったとして、それは殿下の罪ではないということも、よく理解申しあげております」
「いったい何の話だ?」
突然語り出すロズリーヌに、王太子はますます眉を顰める。
趣味嗜好?
自分に、わざわざ言われるほどの変わった趣味嗜好などあったろうか。
「ですが、それとこれとは別なのです。殿下がそうであることを、国の民に公にすることはできません。
殿下はすでに立太子されたお方。皆の期待があるのです。妃を娶り、最低でもひとり以上の世継ぎをもうけていただく必要があるのだと、どうかご承知おきくださいませ」
「だからお前は、いったい何の話をしている?」
「殿下の明るい未来の話でございます」
「明るい未来?」
「はい」
やはりわからない。
今、このような場でわざわざ言い渡されるような内容とも思えない。
だいたい、世継ぎのことも、婚儀を終えた後にロズリーヌとふたり力を合わせてがんばることではないのか。
王太子は“がんばり”に思いを馳せて軽く赤面する。
「わたくしは殿下と婚約をしております。これは我がルーヴァン侯爵家と王家の間に結ばれた契約でございます」
「ん?」
何をわざわざ改めて……と口を挟もうとする王太子を押し留めて、ロズリーヌは言葉を重ねた。
どうにも雲行きが怪しいと感じて、王太子の眉間に皺が寄る。
「ですか。殿下にはどう足掻いてもわたくしを娶る義務があることをお忘れ無きようお願い申し上げて――わたくしは御前から失礼いたします!」
「まっ、待てロズリーヌ!」
言い切るなり、ロズリーヌはくるりと踵を返した。
王太子の声も聞こえないそぶりで、侍女と侍従も連れて、ただの早足なのに走るのとほとんど遜色ない速さで瞬く間に姿を消してしまう。
「お前はいったい何を言っているのだロズリーヌ!」
「――殿下、ロズリーヌ様にいったい何をなさったのです?」
「私が知るか! 意味がわからん!」
廊下には呆気に取られた王太子が残されていた。