2-1.まさかのBL劇場だとは
「くそ、なんなんだ、あれは」
「シルヴェストル殿下、汚い言葉を使うのはおやめください」
「鶏のようにそこらを歩き回るのもおやめください」
式典が終わり、王太子は自室に戻るなりイライラと歩き回っていた。
そんな落ち着きのない王太子に、侍従たちはやれやれと呆れ顔で注意を促す。
なぜそれほどまでに機嫌が悪いのかといえば、もちろん……。
「いくらロズリーヌ様に虫が付いていたからといって、ああも簡単に動揺を表されては困りますね」
「王族たるもの、いついかなる時も感情をあらわにするものではありませんが……まあ、ロズリーヌ様のことですからねえ」
小さく溜息をこぼして、侍従のひとり、ディオンが手元に目を落とす。
式典の後、即座に取り寄せたミシェル・クレストの身上書に、だ。
「共におられた方は、イエール辺境伯のご子息、ミシェル殿ですよ」
「知っている」
「王城へいらっしゃったのは、もう十年近く前のことですか。なるほど、学園の入学に合わせてこちらにいらっしゃったのですね」
「――だが、その辺境伯の息子が、なぜロズと共に現れたんだ!」
「さあ、そこまでは」
ディオンはまた肩を竦めた。そんな立ち入った事情までは調べようがない。
「ミシェル殿というと、私が殿下の近衛を任ぜられる前、王国騎士団と辺境騎士団の合同訓練で一度お目にかかったことがありますよ。
あの見た目ながら、なかなかの腕であったと記憶しております」
だが、空気を察しているのかいないのか、王太子付近衛騎士のモリスまでがそんなことを言い出して、王太子の機嫌がますます悪くなる。
だから、なぜ国境近くに引きこもっていたミシェルとロズリーヌが一緒に現れ、あまつさえあんなに仲良さげに席に付いていたのか。
「それほど気にされるのでしたら、殿下御自ら、ご本人にお尋ねしたらよいではないですか」
「そんなこと……できるか!」
「はいはい。そう仰ると思いました。ですがそう素直でないから、ロズリーヌ様に距離を置かれるのですよ。いい加減、大人になってください」
常日頃、外で目にする王太子しか知らない者が見たら、きっと驚くだろう。
しかし、ロズリーヌに負けられないと、完璧さを追求した姿があの外面だ。拗らせた男心はなかなか厄介なレベルにまで達している。
素直になれと言われて即実行できるなら、苦労などないというものだ。
「どうやらわたくしの認識が間違っていたようだわ。ここは“乙女ゲーム”ではなくて、“BLゲーム”の世界だったのよ」
今日は式典だけで終わりである。
帰宅の馬車に乗り込んだロズリーヌは、さっそく、“ヒロイン”ではなく“ヒーロー”が出てきた原因の推測を、ジレットとレイモンに話した。
「びいえる、ですか?」
「ええ。男色や衆道と言ったほうがいいかしら」
だが、ふたりはもちろん、いったい何の世迷言をと絶句するだけだ。
「――お嬢様、王太子殿下に男色の噂は欠片もありませんが?」
「当たり前じゃないの。これからあのミシェルに落とされて目覚めるのだもの。殿下はこれまで極ありきたりの異性愛者として過ごしていらっしゃったけれど、ミシェルの捧げる愛によって、新たな扉を開いてしまうのよ」
「扉……ですか?」
はて、同性愛の扉なんて、そうたやすく開くものだったろうか……とレイモンは半信半疑だ。
もちろん、騎士団のような男ばかりの環境で、女の代わりに近くの男で用を済ませるという話はよく聞く。
だがそれは“手の届く場所に常に女がいない”という条件あってのものだ。
手を伸ばせば届く場所に女がいる状況で同性に走るのは、そもそもそういう性向を持っているからではないのか。
レイモンの知る限り、王太子が男色を嗜むなどという話は、噂どころか気配すらもないはずだ。
「甘いわね、レイモン。異性愛者の男が男に迫られ押し倒され扉を開くなんて、BLではとてもありがちよ。王道と言っていいわ」
なぜそこまで詳しいんだ、というジレットの突っ込みを無視して、ロズリーヌはとつとつと語る。
“びいえる”なる世界が、どれほど歪んでいて恐ろしいかを。
「しかしその――お嬢様の仰るびいえるの世界の男はすべて同性愛者のようですが、少なくとも俺は違いますよ?」
「お前はモブだもの。モブにBL世界の法則なんて関係ないわ」
「もぶ、ですか」
ロズリーヌの使う言葉がよくわからない。
おそらくは、その“乙女ゲーム”とかの“記憶”のせいなのだろう。
レイモンはどうにも今ひとつ呑み込めず、考え込んでしまう。ほんとうに、この世界はロズリーヌの言う“びいえる”の世界なのかと。
自分が知る限り、男色の男なんて数えるほどしかいないようだが。
ロズリーヌにも、これはさすがに予想外だった。
予想外だったが、まだ王太子は落ちてはいない。希望はある。気づいたロズリーヌがなんとか阻止できれば、自分も国の未来も救われる。
それに、「婚約者をポッと出の女どころか男に奪われたかわいそうな娘」などと言われるなんて我慢ならない。