44.捕われるジミー
イーストリートから離れたヴァル・ヴォーンは先ずナピス研究所へ帰還した。
目の前を轟々と打ちつける記憶に抗いながら。
封じたはずの愁える過去。いや、消されたはずの感情の欠片。
チェンバースアパートの部屋から襲いかかる、暗闇からのしかかる叫喚。
それは死霊かと、ヴォーンはうなされた。
しかし魔物の血が再び全身を支配した時、彼はベッドから起き上がった――。
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十月五日。そこは〝礼拝の街〟スロトレンカムのボクシングジム。
ジミー・リックスは若手レニーとのスパーリングに精を出していた。
飛び散る汗。ジャブ、フック……レニーの猛攻、連打がジムに轟く。
激しいフットワークでマットが軋む中、それは突然訪れた。
扉を蹴り開け悠然と歩いてくる、現れたのはナピスの斥候。復活したその男。
生成りのスーツ姿、アッシュブロンドのヴァル・ヴォーン。
ジミーは静止し、レニーはあがる息を抑えながらその侵入者に目をやった。
脇でシャドーをしていた新人の荒くれ二人がヴォーンに詰め寄った。
「おい? おっさん、なんだてめえは!」
ヴォーンはニヤリと笑うと瞬く間に一人の口を手で塞ぎ、そのまま掴んで振り回し、その身ごともう一人に叩きつけた。
二人は倒れ込み、気を失った。
戦慄が走る。しかしひるまず飛びかかろうとするレニーをジミーは押さえつけた。
「行くなレニー、奴は怪物だ」
「ええ?!」
「逃げるんだ」
不敵な笑みを浮かべるヴォーン。
その跳躍は凄まじく、軽く宙返りをしてリングに降り立った。
「ジミー・リックス。お前を捕らえに来た」
ジミーは睨みつける。
「とても警察には見えない。あんた、ナピスの人間か?」
「ほぉー。鋭いな。さすがは元世界チャンプ」
「情報は得てた。いつかここにも来ると」
「俺に見覚えはないか? 四年前のクリスマスにイーストリートの路上で」
しばらく置き、ジミーは思い出した。
「……わかった。警官ウィップスと並んで歩いていた男。あの時の」
「おお! 思い出してくれたか、それは光栄だ。では情報は誰から? ヘイワースからか? それともベルザか」
ヴォーンはスーツの袖口からジャラリと太い鎖を垂らす。
犬のように鼻をヒクヒクさせ、テンションが異様に上がってゆく。
「おおう、ジミー。お前はリバ族の戦士。〝蜻蛉〟の力を宿すと言われるその秘めた力を見てみたい」
歩み寄るヴォーンに身構えるジミー。
鎖を振り回しながらヴォーンは戯け混じりに言う。
「ジミー。お前は憧れの存在だ。ナピスはお前のような者の力を欲している」
突如レニーがヴォーンに襲いかかったが、首を掴まれ壁の姿鏡に投げつけられた。
レニーは床に崩れ落ち、割れた鏡の破片が体に突き刺さった。
ヴォーンは人差し指を向け、告げた。
「連れていく!」
次の瞬間ジミーは首に鎖を巻きつけられ、麻酔銃で肩を撃たれた。
ジミーが連れ去られた後、瀕死のレニーは床を這い、ジミーの父親代わりであるホプキンス牧師に電話をした。




