40.クリスティーンの残響
まあ語りましょうとビリーは店を閉め、ジャックをカウンターの椅子に座らせた。
「マルコは元気なの?」と隣りに座る朗らかで物腰の柔らかい店主ビリー。
ジョージを知る人物に会えた喜びを前に、ジャックは急くのをやめた。
不思議な巡り合わせにビリーと場内を目を丸く見回しながらジャックは訥々と胸の内を語った。
「……そうだったの。あんた、相当苦しんだね」
「ええ。大好きでしたから。パパは出会った時から優しかった。俺も彼が本当の父親じゃないなんて、疑うのも忘れるくらい。なんでも言えた。いつだって守ってくれたんです……」
思いきりこみ上げたジャックは唇を噛んで堪えた。
胸元をまさぐり煙草をくわえると、ビリーが肩を叩き灰皿を出した。
「出会った時って、いくつ?」
「三歳くらい」
「え? 覚えてるの?」
「なんだか、近頃ものすごくハッキリと思い出せるんです」
「……そう。あんたなんだか早熟そうだしね。で、ボビィちゃんには何の用事が?」
「それは……人に頼まれたことで。とにかく、彼に渡さなきゃいけないものが」
ふんふんと頷きながらビリーはチェイン・ギャングスの写真をもう一枚ジャックに渡した。
「ボビィちゃんはどこかでチェイン・ギャングスのことを知ってその音源を求めてここに来たの。その歌に惚れて。もっと言えば、クリスティーンの声に惚れてね。彼女の歌は本当素晴らしかった。澄んでいて艶のある声。彼女の書く詞も曲も流れるように胸にスゥ〜っと入ってくる感じ。優れた歌ってのは情景が浮かぶのよ。最初はギター一本で一人で歌ってたの。来ていたジョージたちも惚れ込んで先ずアタシに訊いてきた。あれは天使か? って。それで是非彼女と組みたいから一緒に頼んでくれって。……でも、ん〜、なかなかコイツがなぁ」と、ジャックに渡した写真を指差す。
「このブロンドの付き添い人、ブライアンが嫌がったんだ。でも彼女自身が望んだの。クリスティーンも最初からジョージに惹かれてたってわけ。……うん、バンドでも彼女の魅力は充分出てた。……そう、ボビィちゃんにも聴かせたこの録音を流してあげる」
ビリーはそう言って背を向け、レコードの曲を再生させた。
クリスティーンの美しい歌声に、ジャックは打ち震えた。
凛と厚みのある、芯のある声。倍音の巧みさ。
豊かな表現力、滲む憂いが胸に染み入る。
――救済とはこのような瞬間なのだろうか……。
クリシアを産んだ母さんがここにいる。母さんが歌ってる。ここに……。
ジャックは潤む瞳を両手で覆った。
ビリーはレコードを停め、ジャックの揺れる肩をさすった。
「この歌の名は〝自由〟。そう、歌は声よ」
ビリーはそう言ってウィスキーをショットグラスに注いだ。
「ジャック。男も泣いていいんだよ。仕方ないじゃないか、溢れ出てくるものは。思いきり流せば洗われて清清するもんさ」
ビリーは一杯をジャックに勧めた。
「クリスティーンの声にジョージのリードギター」
そう言ってもう一度再生するビリー。
「……ビリーさん、さっきこのブライアン……付き添い人て言われたけど、どういった?」
「ふふ。クリスティーンはどこぞのお嬢様よろしくいつも護衛がいたわ。最初は熱心なファンか親衛隊かと思ったけど。詳しくは教えてくれなかったけど、きっと良家の出だったのよ」
「……じゃ、ボディガードみたいな」
「うん。きっとそんな感じ」
「……あの、R.J.ソロー……ボビィが歌ってたのもこの歌ですよね?」
「そうよ。あの鼻にかかったかすれ声のせいで違う曲に聴こえるけど。ボビィちゃんは言ったわ。この〝自由〟って曲はクリスティーンのオリジナルではなく元々レプタイルズの伝承歌なんだ。でも彼女の歌唱が最も歌の真髄をとらえてる。彼女に歌われるためにあるような曲だとかなんとか……あれこれ講釈垂れて。でも彼も凄いの。ボビィちゃんはチェイン・ギャングスの数十曲をほとんど一日でマスターしたから」
ビリーの嬉しそうな饒舌に、ジャックはつい差し出されたウィスキーを飲み干してしまう。
「ねえビリーさん、で……そのボビィちゃんが次どこに行ったか、見当つきます?」
膝を叩いて目を見開くビリー。
「そ、そうだったわ。それが知りたかったのよねあんたは。……そうね、彼はチェイン・ギャングスのこともっと知りたがってて……クリスティーンとジョージのことは話したけどマルコならイーストリートでアパートの管理人してるはずよって、言ったの」




