09 元社畜と大盛な貝の網焼きセット
「おねーさん、今日は何、食べてるの?」
弾むように明るい声。少年のものだ。にこにこと楽しそうで……何かいいことあったのかな?
「んー、まあ、貝、かなあ……」
あまりにもいろいろな貝を寄せ集めた一皿なので、具体的に何の貝、と言うことはできない。一個しか入っていないようなものもあれば、まとめて同じ種類のものがどさっとのせられているものもある。
「でも駄目だよ、おねーさん。知らない人とお酒飲んじゃ。一人もだけど、男女で二人っきりはもっと駄目なんだから! 僕、何回も言ってるよね?」
少年の声がだんだんと圧のあるものに変わっていく。あ、あれ? おかしいな……機嫌がいいと思ったんだけど……。言いつけを守らなかったのを怒っているのかな、これは。
「えぇ……別に知らない人じゃないんだけど……」
わたしは言い訳がましく、少年の言葉を否定する。
普段、わたしが相席をほいほい受け入れるのを見て、「危ないから」と少年に注意されることが多いが、今日ばかりは違うのだ。
「安心するがいい、少年よ! 俺と彼女は――そう、友人だ!」
わたしの正面でからからと笑うのは、エルフの剣士さん、その人であった。
■■■
貝が食べたい。
ギルド長に魚料理を奢ってもらってから数日。わたしはずっとそんなことを考えていた。
久しぶりに魚料理を食べたら、舌は完全に海鮮の気分になってしまっていた。
一番食べたいのはサザエの壺焼き。肝の苦味がたまらなく恋しい。子供の頃は苦手で、サザエそのものが食べられなかったのに、今では大好物の一つ。次点で、ホタテのバター焼きも食べたい。今のところ、醤油と言う名前で醤油の見た目と味をした液体には出会っていないけれど、醤油に近い調味料はあるので、バター醤油味にきっとできるだろう。
大ぶりの貝を焼いて食べるのが一番だが、あさりのような小さめの貝が入った料理でもいい。酒蒸しとか。
貝料理って、殻を取るのがひと手間で、物によっては手がべたべたになってしまうけれど、それを差し引いてでも食べたくなるときがあるのだ。
まあ、こっちの世界に、元の世界のような貝類があるのかは知らないけど……。なにせ、こっちの世界でまだ貝料理は食べていないので。
でも、とにかく、貝が食べたい。
初めて食べた魚の塩煮もおいしく食べられたのだから、こっちの世界特有の貝だってきっと楽しめる。その自信がある。
そんな考えが、頭の中から離れなくて。
先日、ギルド長と一緒に行った店に貝料理があったのは見かけたが、あのときは今ほど貝の気分じゃなかったのだ。かといって、今からあの店に行くのは……。お金が……。
貝は、殻ごとのものを買おうとするとなかなかに高いが、身だけの料理なら、そこまで高くなかったりする。殻が装飾品に使われるので、その余った身が安く売られるのだ。取る手間がある分、殻付きの方が安いイメージはあったのだが、こっちの世界では殻がない方が安いようだ。
とはいえ気分は網で焼いたサザエ、もしくはホタテ。いや、でも、貝なら正直何でもいいから、むき身の貝料理でもいいかな……などと、買うお金もなければ、そもそも存在するのかも分からない料理に思いをはせていた。
そして今日。わたしは見つけてしまったのだ!
ギルド併設の食堂のメニューに、『貝の網焼きセット盛り』という、今のわたしの為だけにあるような、そんなメニューを!
普段頼む料理の三倍くらいの値段はするものの、そこはギルド併設の食堂メニュー。ギルド長に連れて行ってもらったお店よりはまだ安い。普段ならためらうものの、どうしても貝が食べたい今なら出せちゃうお値段。
わたしはウキウキで料理を頼み――運ばれてきた料理に、ちょっとだけ後悔した。
七輪のような道具と、ドドンと置かれた貝の盛り合わせ。貝はどれも見たことのないものだったが、普通においしそうだった。
そう、料理自体は何も問題ないのだ。問題は――。
「……ちょっと……そこそこ……いや、かなり……多くね?」
アホみたいな量の貝が問題だった。
成猫が二匹くらい、丸まって寝られそうなほど大きなザルの上に、山盛りでいろんな貝がのっている。
どう見ても食べ切れる量じゃない。一人前ではなく、四、五人前はあるだろう。
こんなに多くてこの値段なのか、と聞くと、なんでも、最近、一番近くの海で派手な討伐があり、魔物が減って漁獲量が上がり、魚や貝、魚介類等々が豊富に採れるようになったものの、供給過多気味で貝が余ってしまい、ダメになる前に盛り合わせで売ってしまえ、ということになったらしい。
それにしたって多いでしょ……。
「んん、いや、でも、食べる!」
ずっと食べたかったものが目の前にある。一度注文して、テーブルに着いたのだから今更キャンセルすることもできない。食べきれなくて残そうとも、今、全部残そうとも、結局は廃棄。なら、少しでも多く食べるべき!
じっくりと焼きながら食べる貝の網焼きセットは最高だった。ほんのりと磯の匂いと、味付けの醤油に近い合わせ調味料が香ばしく混ざり、最高に食欲をそそる。
貝が焼ける間はちびちびと清酒を飲み、時折、貝から汁があふれて下に落ち、ジュウ、という音がするのを楽しむ。
完全に飲んだくれの浜焼きだったが、今日の仕事はもう終わったのでちょっと明るい時間からこんなことをしていても許される。
サザエとホタテはこっちの世界にもいたらしく、食べたかったものは全部食べられた。あさりはなかったが、あさりは網で焼くイメージがないしな。
ぷりっとしたサザエの肝と歯ごたえのある身。合わせ調味料の焦げを吸って香ばしくなったホタテの身。うまみの強い出汁を、小籠包か? と言いたくなるくらい、じゅわっと噛むたびに出してくれる、なんかよく分からない貝。
どれもこれも最高だった。
味は。
「……こ、これでまだ半分以上あるのか……」
ちらり、とザルの上にある貝を見る。元の量が多すぎたせいか、ほとんど減ったようには見えない。
貝を焼く、というターンがあり、『待ち』が発生してしまうからか、満腹中枢が刺激され、そこまで量を食べていなくても十二分に腹が満たされた気になってしまう。
食べる前は半分はいけるでしょ、とか思っていたんだけどな……。え、やだ、わたし、もう量が食べられなくなる年? まだ若いと思ってたんだけど……。単純に貝の量がおかしいだけだよね? そうだよね?
そんな考えを頭の片隅に追いやり、わたしは現実逃避のように、清酒をちびちびと飲む。ただでさえ、まだまだ貝が残っているので、酒でお腹の隙間を埋めてしまうのは悪手だとは分かっているんだけど。
残す、という選択肢はないが、どう食べるかも悩ましい。
一気に全部焼いちゃう? 焼いて、殻から取っておけば、いつでもすぐ食べられる。でも、焼き立てをやっぱり食べたいよなあ。冷めてもおいしいとは思うけれど、やっぱりこうやって目の前で焼けるのならば、できたてに限る。
一旦、時間を空けて様子見する? でも、ちょっと時間を空けただけでお腹が空くものか……?
誰か知り合いが来てくれないかなーとしばらく食堂の入口を眺めていると、エルフの剣士さんが食堂に入ってきたのを見つける。
――知り合い、見つけた!
「剣士さん!」
わたしは救世主、と言わんばかりに声をかける。まだ会って三回目、実質は二回目にも関わらず、ずうずうしいか、と思わないでもなかったけど、出された料理を食べ切れない方が問題だ。わざと残すのではなく、食べきれないから残すというのなら仕方がないというのは分かっていても、どうしても食事を残すというのはものすごい罪悪感と抵抗がある。このままこれが捨てられるのだということが分かっているので、余計に。
幸いにも、剣士さんはわたしに気が付くと、嫌な顔一つせずに、こちらへ来てくれる。
「久しぶりだな!」
「お久しぶりです! いきなりで悪いんですけど、今食堂に来たってことはこれから食事ですよね? わたしの奢りなので、これ、一緒に食べませんか?」
「というか、手伝ってくれませんか……?」と、わたしは、貝が食べたくて注文したはいいけれど、明らかに食べ切れない量が来てしまった……と事情を説明する。
食べたいものがあっただろうか? そもそも貝食べられる人? 嫌いだったり、アレルギーだったりしないかな?
断られても仕方がない、と思う反面、断らないでくれ、とも心の中で祈る。
しかし、剣士さんはいい人だた。この際、神様だと言ってしまってもいいかもしれない。
いきなりのことだったが、剣士さんは「ならばご相伴にあずかろう!」と快諾してくれた。
めちゃくちゃ助かる……。
「食事を残したくない、という気持ち、俺も分かるぞ。糧は常にあるとは限らないし、誰かの命や誰かの糧になるはずだったものを得ているのだ。極力、全て自らの血肉にするべきだろう」
「ですよね! そうなんですよ!」
血肉にするべき、という言い方はちょっとアレだが、残さず食べるべきなのだ。
わたしに賛同してくれて嬉しくなりながら、剣士さんの分の貝をせっせと焼いていく。
剣士さんが、「流石に自分の分は自分で焼くぞ?」と言ってくれたのだが、わたし自身が暇を持て余すので、お酒を片手に焼かせてもらった。剣士さんの仲で間が持たない、ということはないが、わたしはもうお腹いっぱいなので、食べることはない。貝を焼いていないと手持無沙汰になってしまうので。
「……うまいな。これでこの値段なのか? 普通ならもっと高いと思うが……」
貝を一つ食べてから、壁に書かれたメニュー表を見て、剣士さんが驚いたように言う。
「分かりますよ、その気持ち。わたしも全く同じことを思いました」
小さな貝や破損のあるものがまとめ売りされてこの値段なら分かるのだが、一つひとつ、高値で売っても十二分にお金になりそうなものが、『まとめ売り』によるサービス以上に値引きされている。
それほどまでに貝が余っている、ということなのだろうけど……。
ラッキー、と済ませるには、ちょっと申し訳ないくらいの安さなのだ。少し心配になるというか。
「運がよかったと思って堪能させてもらうか」
わたしと世間話をしながらも、ぱくぱくと食べ進める剣士さん。
流石男性、よく食べる、と思いながら彼を見ていたが――ザルの中の貝が三分の一程度になった頃から、だんだんとペースが落ちていき、四分の一になった頃に、「すまない、一旦休憩しないか」とストップが来た。
やっぱりこれ、二人でも厳しい量だったか……。
「――というのが、二十分前くらいのことだね」
わたしは少年に、わたしと剣士さんが同席して食べていた理由を語る。
二人で頑張っても四分の一ほど残り、食べきるのを諦めたわけではないが、今すぐに食べるのはちょっと……と駄弁っていたところに、少年がやってきたのだった。
「……僕も今日はここで食べる!」
なんだかむすっとしている少年は、どこからか椅子を引っ張ってきて、ドカっと席に着く。
椅子の移動自体は誰でもやっているし、特に咎められることでもないけど、元はと言えばわたし一人での食事のつもりだったので、三人となるとテーブルが狭い。ましてや、でかいザルと七輪もどきがテーブルをほとんど占領していて、少年が何かを頼んだとしても使えるスペースはない。置けてコップくらいだ。
「少年、料理頼んでも置くスペース、多分ないよ?」
大丈夫? という意味で聞いたのに、少年は「おねーさんは僕がここでご飯食べたら迷惑なの」と、少し不機嫌そうに言った。
「いや、別に構わないけど……」
いつもわたしとご飯を食べようとするときは大体機嫌が良さそうだったのに。どうしたんだろう。こういう年頃なんだろうか。思春期の子って難しいな……。
「でも、わたしたちもうお腹いっぱいで、これすぐには片付かないし」
「……別に、このくらい、僕だって食べられるし! す、好き嫌いだってないし!」
その言葉に、わたしと剣士さんは思わず顔を合わせてしまった。正直――めちゃくちゃ助かる。残したくないから席を立たなかっただけで、また食べられるようになるかどうかは自身がなかった。
「やー、助かるなあ。おねーさんが焼いてあげるから、少年はどんどん食べて食べて」
そう言いながら、わたしは貝をひょいひょいと網の上に載せていく。
助かる、という言葉に反応したのか、少年は、ふふん、と少し、得意げな笑みを見せた。そう言うところはまだ子供っぽくて少し可愛い、と思ってしまったのは内緒である。
言ったらきっと、また拗ねてしまうと思うので。




