08 元社畜とご褒美魚料理(Another)
「冒険者登録ってここですかー?」
ギルド長になる前――おれが現役だった頃から、いろいろな冒険者を見てきた。
夢を見て目を輝かせている奴、切羽詰まって死にそうな顔をしている奴、復讐心に満ちた表情の奴――。本当に、様々な冒険者が、いた。
でも、あの時の彼女ほど、どこか遠くを見ている奴に出会ったことは未だにない。
彼女の表情は今もおれの脳裏にこびりついている。
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最強の冒険者は誰か。人によって上げる名にはばらつきがあるが、それでも、おれの名前が上がることは珍しくない。
最年少で冒険者になった記録は他の奴に塗り替えられてしまったが、冒険者の最高ランクである特Aクラスに最短で駆け上がった記録と、最年少で特Aクラスになった記録は未だに破られていない。おれの、冒険者になった最年少記録を破った少年は今Aクラス。だが、あのくらいの年齢のときにおれはすでに特Aクラスだったので、もう抜かれる心配なない。
そのくらい、実力のある冒険者が、おれだった。とはいえ、もうそれなりにいい歳なので、第一線からは引いているが。まだまだ動けるが、命のやりとりをする戦闘は流石に少し気が引ける。
かといって、弱い魔物ばかりを相手にするのは、衰えた自分を見せつけられるどころか、過去の栄光にすがっていると思われそうだから、スパッと早めに引退をした。
冒険者としての生き方しか知らなかったおれは、引退後にギルド職員になった。別にわざわざ職員にならなくたって生きていけるだけのたくわえはあったが、ぼーっとしているのもつまらない。
女を漁るのも悪くはなかったが、あれは死ぬ思いをした任務の後に、生きていることを確認するための作業だったので、ハリのない生活を送っているのに女遊びをしても、どうにも楽しくない。女のあの柔らかい胸に飛び込んで『生きている』ということを確認するのが好きなのだ。
……まあ、単純に夜遊びは嫌いじゃないので、ひっかけて一晩遊ぶことも少なくなかったが。
冒険者に比べれば刺激が少ない仕事であったが、それなりに楽しく働けていた。まあ、書類仕事はどうにも苦手で、新人冒険者に冒険者としての生き方や戦闘指導をしているほうがよっぽど肌にあっているのは、仕方のないことだったが。
その日は――彼女がやってきたあの日は、珍しくおれが受付にいて、書類仕事をしている日だった。職員の都合が付かなくて、おれが受付仕事をしていると、彼女がやってきたのだ。
「戦うのは無理ですけど、薬草採集とかならできると思うんですよね。そういう、雑用みたいな仕事もここで受けられるって聞いたので、来ました」
彼女より、もっと悲壮感や絶望に満ちた表情をしているやつは、一杯見てきた。冒険者なんて、一発当てればでかいが基本は命の危険が常に伴う仕事だ。安全な仕事につけるのならそれに越したことはない。
そういった、安全な一般職につけず、泣くなく冒険者を選んだ野郎どもは大抵あっさり死んでしまうものだが。憧れないし妬み、復讐など、内容はともあれ強い感情を冒険者に対して持っている奴の方が生き残る。消去法で冒険者を選んだ奴は後がないから引き際を見誤る。そして、その割には他の冒険者よりも諦めが早い。
「……ああ、まあ、そういうのもあるが。稼ぎは討伐依頼の方がいいぜ?」
「いえ、そう言うのはちょっと。わたし、小型犬にも勝てないと思うので、戦うのは厳しいかと。生きるためのご飯と宿があれば十分です」
一応、遠回しに冒険者以外の道を選んだらどうだ、と言ってみたのだが、その真意に気が付かなかったのか、それとも気が付いた上で冒険者を選んだのか、分からない。女の視線はカウンターの上に落ちたまま。おれの目を見ることはない。
カウンターの上に置かれた女の手は、傷などなく、荒れていないのに酷く汚れていた。よく見れば、女の格好は妙に汚い。いや、冒険者どもに比べたら綺麗だとは思うんだが……。きっと、普段の女は、もっと身綺麗で清潔な格好をしているのだろうというのが分かる。汚い、と一言に言っても、それは蓄積されたものではなく、ついさっき、汚れてきたと言わんばかりのもの。
「――分かった。じゃあ、新規登録な」
おれはそれ以上観察するのも引き留めるのもやめ、冒険者登録の手続きを準備する。
「……討伐依頼を受けなくても、最初の駆け出し、特Eクラスには全タイプの依頼の講習があるから、討伐依頼や護衛依頼等の戦闘がある講習も受けておけよ。必須じゃねえが、特Eクラス以外が受けようとすると金がかかるから、無料のうちにうけておけ。放っておいても期間が過ぎれば自然とEクラスになるから気をつけろよ」
「そうですか……そうなんですね。分かりました、そうしておきます」
遠いどこかを見る彼女の目には、どこか諦めのようなものが混ざっていた。どうしようもない、仕方がない。そんな目。
他の奴らより切羽詰まったような顔に見えないのは、諦めることに慣れているように、見えたからだろうか。
何回持つだろうか。特EからEにクラスが上がるころに死んでたりしてな。
そんなことを考えながら、彼女の冒険者登録の受付作業をしたことを、覚えている。
まあ、彼女は今も元気に、したたかになっているようだが。
おれの予想は珍しくハズレたが……このハズレ方は最高だと言ってもいいな。
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「ありがとうございまーす」
食材と料理人、そしておそらくは奢るおれに対して礼を言う彼女。きゅう、と一杯目の酒を喉をならしながら豪快に飲む彼女に、おれはどうにも苦笑した。
勢いがいいというか、なんというか。
他国出身なのは知っているが、それにしたってこう勢いよく飲む人間を見たことがない。こいつ、実はドワーフ族だったりしないか? どっからどう見ても人間にしか見えないが……。ドワーフと人間のハーフか、そうじゃなくたって先祖のどこかには絶対いるだろ。
酒が弱い人間が多いこの国では、酒の弱い女程モテる傾向がある。いや、違うな。酒の強い女がモテない、というのが正しいか。
まあ、単に自分より酒が強いとプライドが刺激される、という器の小さい男が多い、ということでもあるのだが。
ま、かくいうおれも酒の弱い女の方が好きなんだが。
甘い酒を舐めるように飲んで、「酔っちゃった」としなだれるような女が好みなのである。おれは別に器が小さくないので、仮に酒がおれより強かったとしても気にしないのだが、弱い方が、こう、庇護欲みたいなものが刺激されてぐっと来るのである。
辛口の酒を、この国の男でもなかなか見ないような豪快さで飲む彼女とは正反対であるが、まあ、彼女のこれはこれで見ていて気持ちよくはあるが。スカッとする、とでも言えばいいのだろうか。
「んー! おいしい!」
箸で器用に魚の身をほぐし、つまむ彼女は満面の笑みを浮かべている。食事、というよりは完全に酒のつまみとして食べている煮魚は、かなり早いペースで骨になっていく。
それだけ気に入った、ということだろう。この店に連れてきたかいがあったな。
じっと彼女を見てばかりいるのもアレなので、おれも魚に手を付けた。おれが注文したのはペルルゼンという、沼に近いような湖に生息する淡水魚のバター焼き。結構汚い水でも平気で生きることが出来るので、しっかり処理をしないと生臭さと泥臭さで凄い後味になる魚だ。料理人の腕が試される食材の中でも、トップクラスに扱いが難しい。
が、流石と言うべきか。しっかりうまい。
ふっくらとした身が、口の中でふんわりとほどける。泥臭さなどみじんも感じず、バター独特の甘さと塩味が、魚の淡白でありながらしっかりとしたうまみと混ざり合っている。
おれ自身は肉料理が好きなので、魚料理は久々だったが、あいかわらずここの店の魚料理は美味い。
「初めて食べる味ですけど、おいしいです! 確かにこれ、めちゃくちゃ清酒に合いますね。塩煮も初めてですけど、魚も初めてかも」
「お前のやつは……ああ、タラレか。運がいい、海魚はそんなに使われないんだ」
この店はいろんな商会と契約して、常に魚介類が尽きないようにしている。ただ、割合的には海魚より川魚の方を売っている商会の方と多く契約しているので、必然的に川魚の方が多くなる。
一方で、タラレは海水魚。魚としては珍しい方ではないが、それは港町の飲食店に限った話。この辺ではそうそう見かけない。
「えっ、そうなんですか? やった! 運がいいですねえ」
「お前が一日で仕事を頑張ったから、ツキが回ってきたんだろ」
「そうでしょうか?」
そう言って、彼女は、くい、と清酒の入ったグラスを傾ける。
あれだけの量を一日でこなして、平然としていて、なおかつ自覚がない。全く、一体今までどんな生活をしてきたんだか。
「仕事の後の一杯が最高ってことは、ま、頑張ったんでしょうね、わたし」
……いや、待て。飲むペース早くないか? もうグラス一杯がほとんど空だぞ? さっき食べ始めたばかりじゃないか。
その割には箸使いがおぼつかない、と言うこともない。それなりに度数がある酒を頼んでいたと思うんだが……。本当にこれで人間なのか? やっぱりドワーフの血が入ってないか?
ちゃんと宿まで帰れるのか、というおれの心配をよそに、ついに彼女はグラスの中身を飲み干した。
「ぷはー! お酒もおいしい! いつもの冷やしシュワーやビールもいいけど、清酒もいいですよねえ! あー、気軽にこの店に来られるくらいの収入が欲しい……!」
そう言いながら、彼女は壁に掛けられたお品書きを睨むように見る。ああ、そう言えば、鑑定スキル持ちだったか。なら値段も分かるのか。
……まあ、確かに、おれからしたらそこまで高く感じない値段ではあるが、下から数えた方が早い低ランクの彼女ならば、そう簡単に来ることができる店ではないだろう。
「またギルドの仕事手伝ってくれるなら奢ってやってもいいぜ?」
そう言うと、「ぐぬぬ……」と彼女は少しうめいて考え込み始めた。頭の中で損得計算をしているのだろう。おれとしては、彼女はもう少し経験を積んだら、上位の冒険者を目指すのではなく、ギルド職員に転職してほしいと思っているのだが。
仕事が丁寧で、根性がある。一日であの量の在庫チェックをやりとげるとは、夢にも思っていなかった。
彼女がギルド職員になってくれたのなら、おれの書類仕事を押し付け――いや、仕事の負担がだいぶ減ることだろう。
最近、ギルド職員が何人も立て続けに辞めてしまい、結構ギルド内はバタバタしているからな。勝手が分かっている人間が一人入ってくれるだけでも全然違う。
最初に辞めた人間はただの嫁入りだったが、直近の二人は、仕事量の増加に耐えられなくなって辞職してしまった。今は何とかおれが残業を続けて場を持たせているが、時間稼ぎにしかならない。職員数が増えて、一人当たりの仕事量が減らない限りは、また新たにギルドから去ろうとする職員が出てきてしまうだろう。
新規募集は当然かけているのだが、タイミングが悪いのか、それとも冒険者業に夢中な脳筋しかいないのか、新しくギルド職員になりたいと言い出してくる奴はいない。まあ、今のタイミングで炊いたら、苦労するのは目に見えているからなあ……仕方がないと言えば仕方がない。
彼女からしても、今の様にローリスク・ローリターンのその日暮らしな冒険者生活より、安定して収入が入るギルド職員生活の方がいいと思うのだが。今のタイミングで入るのは、いきなり忙しくなるだろうから、それはそれで可哀想ではあるのだが……。
ま、それを決めるのは彼女次第だ。
あの日の顔がどうにも忘れられなくて、ちょいちょい様子を伺うことはあるが、基本はそこまで仲の良くない相手だ。知人以上、友人以下というか。他の冒険者よりは気にかけているが、多少、の領域を出ない程度。惚れた女でもないのに、必要以上に面倒を見る気はない。
「……とりあえず、もう一品、いいですか? 後、お酒も!」
悩んだ末に出てきた言葉に、おれは少し噴き出してしまった。
「このおれが奢るって言ったんだ。好きなだけ頼んで食えよ。……まあ、酒に関しては、自力で帰れる程度には考えて飲んでくれ。金は気にしなくていい」
そう言うと、彼女顔がぱっと明るくなる。
「わぁい、ありがとうございます! じゃあ、わたしもギルド長と同じやつも頼もうかな。バターのいい匂い、めっちゃするんですもん」
にこにこと店員を呼びつけて注文するその横顔を見て、あんな諦めを当たり前のものとして受け入れている表情より、こっちのほうがいいな、と思ったことは、否定しない。




