07 元社畜とご褒美魚料理
「これは……ええと、もう少しあった方がいいのかな……。こっちは……うん、まだ発注しなくても大丈夫でしょ」
わたしは手に持ったバインダーに挟まれた書類と、棚に陳列された薬を交互に見て確認し、数を書き込んでいく。
本日のお仕事はギルド内にある薬品や素材の在庫チェックである。倉庫内に置かれている薬品や素材の数を確認し、もし使えないようなものがあれば廃棄。そしてその数も数える。ただそれだけの簡単なお仕事だ。量はヤバいけど。
お仕事、と言っても、ギルドを通して発注された依頼ではなく、ギルド長から頼まれたもので、仕事というよりはお手伝いだった。報酬らしい報酬もないし。
とはいえ、今日、壁に張り出されていた依頼はどれもこれも討伐系のものが多く、わたしが普段受ける依頼の系統のものは割に合わないものが多かった。ちょっとコスパが悪いというか、労力に対して報酬が見合っていないと言うか。
休みにするでも良かったんだけど、ちょっと悩んだ末、こっちをやることにしたのだ。
危険がなく、仕事内容的には簡単で。報酬はギルド長がご飯を好きなだけ奢ってくれるそうなので。まあ、今日食べる分には困らないので、こっちでもいいかな、と。
今は文字しか判別できない鑑定魔法だが、回数をこなせば上達できるし、そうしたら文字いがいの他のものも分かるようになる、って言われればねえ……?
文字の他に品質が分かるようになるのが、ひそかに掲げている現在の目標である。品質が分かると、採集系の依頼に便利なのだ。
わたしは薬を鑑定にかけながら、在庫チェックをしていく。
倉庫はかなり広い。薬品の棚だけでいくつもある。その薬品を一つひとつ鑑定にかけていたからか、最初は名前しか分からなかった薬品も、今ではざっくりとした種類が分かるようになった。まあ、ささやかなものなので、具体的に何に効く、とかではなく、塗り薬なのか、飲む薬なのか、という程度しか分からないけれど。
薬を鑑定して名前を確認して、定数に合わせて足りない分を書類に書き込んでいく。
それだけの簡単な仕事だが、それなりに疲れてきた。
転移特典なのか、それともそもそも鑑定魔法は魔力をそこまで使わないのかは知らないけれど、鑑定魔法を連続して使うこと自体にはそこまで疲れはない。ただ、普通に立ち仕事だし、文字とにらめっこしていると、体は疲れる。鑑定魔法を何度も続けて使用すること自体、慣れていないし。
流れ作業と化してきた在庫チェックを行いながら、わたしはギルド長に何を奢ってもらうか考え始める。慣れてきたので、ちょっと意識が暇になり始めたのだ。
店の指定はなかったから、折角ならギルド併設の食堂ではなく、外の、しかもなかなか食べに行けないような店に連れて行って貰おう。ドレスコードがあるようなお高い店は嫌だが、わたしが行くなら財布と慎重な審議を重ねないといけないようなお店がいい。
ギルド長は一線から引いたとはいえ、最強と名高い冒険者だったらしいので、わたしのような小娘一人に、ちょっと高い店でご飯を奢るくらい、どうってことないだろう。あと、ギルド長の給料がどんなものかは知らないが『長』と名が付き、管理職にいるのならそれなりに給料はいいはず。
まあ、奢られる立場であまり高すぎる店をねだるのもあんまり品がないような気がして嫌なので、『可愛いおねだり』の範囲内だけど高め、というギリギリのラインを攻めていこう。
社会に出たての頃は上司にご飯をおごってもらうのとか、気が引けてなんだか苦手だったけれど、今はもう、そんなことも気にならなくなった。わたしも年を取ったのか……。
会社に後輩が増え、奢る側になって分かるけれど、「今日はわたしが全額持つよ!」と言った以上、あんまり遠慮ばかりされてもさみしいものだ。
お酒が美味しいのは必須条件として……。うーん、今日はなんの気分かな。
最近はお肉が多かったからなー。ステーキとか焼肉はナシにしよ。こってりよりはあっさり系のほうがいいかも。
となると野菜とか……いや、奢ってもらうなら、もうちょっと食べ応えあるものがいいな。野菜だって調理法次第では満腹になれるけど、こう……タンパク質を取れるものがいい。
そういえば……こっちに来てから、あんまり魚を食べていないような。
この世界には魔法があって、保存も完備なので、海や湖、川と言った水辺が遠いこの街でも魚は普通に食べることが出来る。
ただ、運搬する際に保存の魔法が必須だし、海からこの街に魚を運ぶ際に通る道に魚を好む魔物、アンバーキャットが出没することがあり、護衛の冒険者が必須。
自由に食べられるには食べられるのだが、運搬コストが高めなので、自然と魚料理自体も高めになってしまう。
食べられないわけじゃないけど、日常的に食べるには少し財布が心もとない……そんなポジションなのである。
「よーし、魚料理が美味しいとこに連れてってもらおう」
魚だったら漬けまぐろとか、煮魚とか、ちょっと濃い目の味付けの魚が好きだ。ご飯で食べるのなら塩焼きの魚がいいけど、お酒と合せるのなら断然醤油。お酒のときはがっつり魚が食べたい! というよりは、ちまちま、ちびちびと魚をつついて、お酒を楽しみたいのである。
こっちの世界の魚料理ってどんなんだろう。醤油はあんまり見かけないから、やっぱり塩焼きかムニエルみたいなバターが効いた感じだろうか。味噌煮は期待できないけれど、もう口が魚の味を求めているので、この際魚料理なら何でもいいや。
そんなことを考えながら作業していると、わたしの舌はすっかり魚の気分になっていた。
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「終わっ……たー!」
わたしはぐぐぐ、と伸びをした。肩甲骨の辺りが、パキ、と軽い音を立てる。関節がなる感触が気持ちいい。
最初のうちは、どこに連れて行ってもらおう、とか、魚料理食べたい、とか、そんな気持ちだけでモチベーションを保てていたのだが、薬の棚が終わったあたりから、どんどんと『無心』というのにふさわしい状態になっていった。
このだだっぴろい倉庫は、一人で在庫チェックするには人手不足という他なかった。せめて、もう一人か二人は欲しい。まあ、やれる人が誰もいないから、わたしのところに話が回ってきたんだろうけど。ギルド職員は職員で忙しいみたいだし、最近ちょっと人数減ったっぽいしなー。
いつも見る人がいないので、「最近休みが続いてるんですか?」と聞いたら、「辞めちゃったんですよぉ」と言われたことが、二度、三度ある。わたしが冒険者になってから、知っているだけで四人も辞めている。その割には新しい人は見かけなかった。
ギルド職員も大変なんだな……。
「――おわ! やば、外、真っ暗じゃん!」
室内にいて、明かりもついていたので全然気が付かなかったが、ふと外を見れば日が落ちて、すっかり暗くなってしまっていた。昼過ぎからぶっ通しで作業してきたが、もう少し休憩をいれてもよかったんじゃないか? と思わないでもない。
頻繁に休憩を入れていたらその分進みが遅くなるが、ここまで時間がかかってしまうのなら、別にそこまで気にしなくてよかったかも、という気にもなってくる。ギルド長からは仕事、もといお手伝いを頼まれはしたが、「何時までに終わらせてくれ」とは言われていない。
ぷっつりと集中力を切らしてしまったからか、すぐに報告に行く気にも慣れず、少し休んでいくか、と思っていると、倉庫の扉が開かれた。
「うお、まだいたのか」
噂をすればなんとやら。いや、噂はしていないけど。ギルド長の登場だ。
一線を引いている、というだけあって、全盛期からは少し歳を取っているようだが、それでも十分若々しく見える人だ。体格がよく、筋肉と肌のハリがいいからだろうか? 年上好きの女子に好かれそうな見た目をしている。まあ、はっきり言えばイケオジ、というやつなのだろう。
性格は気さくで、冒険者時代の女癖の悪さが抜けない、という話ではあるけれど、声をかけやすく、会話をしていて楽しいのもまた事実。
わたしは恋愛に興味があんまり持てないから自衛はできているけれど、確かに他人から好かれるだけの魅力がある人である、とは思う。ここまでくれば女好きの一面も、彼の魅力の一つでしかないんだろう。その事実を分かった上で、遊びとして付き合うなら、これ以上ない優良物件に思える。その代わり、本気になったら地獄沼、って感じ。
「まだいた、ってなんですか。はいこれ、在庫チェック、終わりましたよ」
「てっきり、明かりをつけっぱなしで帰ったのかと……って、終わったって言ったか?」
彼は驚いたようにぺらぺらと書類をめくって確認し、一通り目を通すと、「本当に終わってる……」と目を丸くしていた。いや、終わったって言ったじゃん。
「今日中に終わらしてもらうつもりじゃなかったんだが。二、三日で終わればいいほうだと思ってんだよ。一週間以上かかるようなら、流石に催促をしようとは思ってたけどよ」
「……」
いつまでに終わらせてくれ、という言葉がなかったのは、終わったら報告してくれればいい、という意味だったのか。
もうこの世界に迷い込んで半年経つというのに、社畜根性が抜けていないのか。我ながら呆れるというか、なんというか。
「そうならそうと言ってくださいよ、先に! そうしたらもう少しゆっくり作業したのに……」
「いや、この広さだぞ? 一人にまかせて、たった一日で終わると思わないだろ」
……ううん、あんまり反論出来ない。わたしもこの広さを一人では無謀過ぎないか、と思ったくらいだし。
逆に良く終わったものだ。この仕事を知っているギルド長が二、三日かかる、と思ったのなら、本来はそのくらいかかるはずだったのだろうし。一日あたりの実働時間まではどのくらいの想定だったのかは知らないけど。
でも、結果として一日で終わっているから……冒険者の依頼と並行してやらせるつもりだったのかな? それならご飯の奢りだけではちょっと釣り合わないような気もするけど……。
あっ、かかった日数分の夕食を準備してくれるつもりだったとか!? 好きなだけ奢ってやる、って言ってたし……。それなら一日で終わらせたのは本当に失敗だったな……。
「ま、早く終わる分には助かるから、いいんだけどな。……ありがとよ」
そう言ってギルド長はごく自然にわたしの頭を撫でた。うーん、流れが自然すぎて、手慣れている。
そのせいなのか、それとも顔がいいせいなのか、あまり嫌悪感は感じない。元より、髪のセットに頓着していない、というのもあるかもしれないが。
赤の他人だったらわたしだって嫌だけれど、ギルド長くらいの知り合いレベルならまあいっか、となる不思議。
「一日で終わらせたんですから、ちゃんとご飯、奢ってくださいね!」
わたしがそう言えば、ギルド長はにかっと笑った。
「わーってる、忘れてねえって。何が食いたい?」
「魚料理!」
「魚か……いい店知ってるぜ。煮魚がうまい」
「ほう、煮魚……」
わたしの言葉に、ギルド長はすぐに行き先を決めたようだ。きっと、行きつけの店が何種類もあるに違いない。
「具体的な魚の種類はその日の仕入れによって変わるから何とも言えんが、白身魚の塩煮が最高でな。あっさりとしているが、魚のうまみが十二分に味わえる。そうだな……おれはあまり合わせたことないが、ドワーフ共は口をそろえて清酒が合うと言うぞ」
塩煮か……食べたことないな。煮魚と言えば、味噌か醤油で今日まで生きてきた。塩と言えば煮るのではなく焼きのイメージだ。
でも、ギルド長の語り口からして、きっとおいしいのだろう。その味を思い出しているのか、ギルド長の口角は上がりっぱなし。聞いているだけでよだれが口の中にあふれてくる。絶対食べたい。
それに、魚本来の味を楽しむのであれば、絶対に新鮮だろうし。それなりに御高いお店のはず。
そして、お酒好きの種族であるドワーフ族が、清酒と合う、というのならば、それはもう、間違いない!
「ほら、行く準備済ませておけ。あそこは人気だからな。早く行くぞ」
「了解です!」
「おれは先にこの書類だけ執務室に置いてくるわ」と先に倉庫を出るギルド長を見送る。あの様子なら、きっとすぐ戻ってくるだろう。わたしも軽く身支度をしておかないと。
それにしても、塩煮か……楽しみだな。
いやー、このときばかりは苦手な食べ物がほとんどない性格でよかったと思うね。未知の味への不安が全くない。
わたしはわくわくとしながら、ギルド長と出かける準備をするべく、わたしも倉庫を後にするのだった。




