05 元社畜と特別なクッキー
薬草の詰まった麻袋を抱えながら、わたしはとある薬屋の前に立っていた。麻袋自体はそう重くない。両手で抱えるくらいの大きさではあるが、中身が草なので、少しの間くらいならば片手で持つこともできる。
しかし、わたしが今、扉の前で立ち止まっているのは、両手が塞がって扉が開けられないからではない。
「……閉店」
ドアノブにかかった木製のサインプレートに書かれた文字を鑑定して読むと、『閉店中』という翻訳結果になった。店がつぶれての閉店、というよりは営業時間外ということでの閉店だろう。ここが店を辞めてしまうという話は聞いたことがないし、そもそも辞めるのであれば薬草の採集を冒険者に依頼するわけがない。
たまにド直球の直訳をかまして、ちょっとおかしな感じになることがあるのだ、鑑定の翻訳は。普通は営業時間外、とか、準備中、とか訳すもんじゃない? 定休日、とかさ。
元の世界でも翻訳アプリでぶっ飛んだ結果がでることもあったし、そこは世界が変わっても同じなのかもしれない。
それにしても、指定された時間にやってきて、店がやっていないとは……。定休日だったのかな。
本日の依頼は薬草の配達だったのだが、店主がいないのならどうしようもない。
窓の方から中を覗いてみるが、人の気配はない。薄暗いので、完全に定休日だったのだろう。
「困ったな……裏庭にはいるかな?」
ここの薬屋に来るのは、実は一回目ではない。休みの日に当たったのは今日が初めてだけど。
採集依頼をメインにしているわたしにとってはお得意様でもあるのだ。割りはいいのに、何故だかいつも最後の方まで依頼書が壁に貼られ、誰にも手を付けられていないので、ありがたくわたしが依頼を引き受けている。
なので、店主が裏庭で土いじりをしているのを何度か見かけたこともあるのだ。多分、採集依頼を出していない薬草を自ら育てているんドアと思う。
でも、いつもならわたしが来たことに気が付いて、向こうから出て来てくれるのに。
もしかして、本当にいないのかな? なんてタイミングの悪い……。でもまあ、一応裏庭を確認するだけ確認してみるか。
「お邪魔します、お邪魔しますよー! 薬草、届けに来ましたー! セルファム草の到着でーす!」
どこかにいるかもしれない店主に向かって、わたしは大声を出す。不法侵入じゃないからね! という意味を込めて。
ここの店主は冒険者なので、侵入者には本当に容赦ない。最初にここへ配達に来たときも店は開いているのに店主はいなくて。どこか近くにいないかな、と辺りをうろうろ探していたら、泥棒と間違われて攻撃されそうになったのは、今では笑い話である。一応。
あのときは本当に殺されるかと思ったけど。小型犬にも余裕で負ける女だからね、わたしは。そんなんで、成人男性に勝てるわけがない。
「お邪魔しま――っとと……」
裏庭にたどり着くと、木陰に座っている依頼主――薬師さんが座っているのが見えた。うーん、ありゃ寝てるな。
「失礼しまーす……」
わたしはこっそりと裏庭に入る。わたしが裏庭に入るのを、いい顔しない薬師さんだが、今回ばかりは仕方ないだろう。
薬師さんのところまでくれば、彼がすっかり寝入っているのが見えた。顔が整っているものの、いつも気難しい表情をしていて怖い印象を与える彼だったが、流石に寝ているときは穏やかだ。
しかし、木陰とはいえ、よくこんな外で熟睡できるものである。冒険者を続けているとそうなるのだろうか? わたしがこれだけ騒いでも寝ているということは、相当ぐっすりに違いない。あえて無視をしている、とかでなければ。
わたしはこの世界に迷い込んで、初日こそ、テントも地面に敷くものすらないマジの野宿をしたものだが、それ以降は二度と野営準備のない、ただの野宿なんてするものか、と決めている。Eクラス冒険者の報酬金なんて微々たるもので、宿と食事にお金を割いてしまうと嗜好品なんて一切買えなくなってしまうが。
でも、事前準備があるとないのとでは全然違う。初めて冒険者として外で野営をしたとき、野宿したときの記憶が蘇って嫌だと思ったのだが、テントと寝袋があるだけで睡眠の質と回復量は比べ物にならなかったのだ。
どれだけお金が減っても、可能な限りベッドで寝たいし、それが無理ならテントと寝袋が欲しい。
そう考えると、この人、結構図太かったりするのかな……。そうは見えなかったけど。
「薬師さん、薬師さん。薬草を持ってきましたよ。起きてください」
「ん、んん……」
もぞ、と彼が動くが、まだ覚醒には至ってないようだ。
肩を揺らして起こしたい気持ちはあったが、この人は現役の冒険者。しかもクラスはわたしより上。
どう考えても、腕を掴まれてそのまま地面に押し付けられて捕縛される未来しか見えないんだよな~。元より気難しい人だし。
「薬師さん!」
根気強く、何度も呼びかけると、ようやく彼の頭が覚め始めたようだった。
「うるさい……」
「うるさいって……。ほら、お望みのセルファム草ですよ」
薬草の袋は重たくないが、けして腕が疲れないというわけではない。しかし、セルファム草は絶対土の上に置くな、と言われているので、地面に下ろすわけにもいかない。
地面の上に置くと、あっという間に根付いてしまうのだ。タイムプラスの映像でも見ているかのような速度で根が伸びるのを初めて見たときは、異世界ってすごい、と感動した。
加えて、根が凄く長いので、根付かれると引っこ抜くのが大変だ。採集するときは根元を切るように採ってきて、根は残っていないが、セルファム草にはそんなこと関係ない。
「セルファム……んん……ふあ。店の鍵、開けてあるからそっち置いてきて。オレ、顔洗ってくる」
起き上がり、薬師さんが背伸びをすると、ゴキ、と盛大に関節が鳴る音がした。どれだけここで寝ていたんだろう。
……あ、寝ぐせ。
ぴょん、と分かりやすく跳ねた髪を、つい見てしまう。あまりにもまじまじと見過ぎたのか、薬師さんがその辺りの髪を抑えた。鏡がなくとも、わたしの視線で寝ぐせがあることを察したのだろう。
「……何見てんだ、早く行けよ鈍間」
起きてすぐこれか……この人、本当に口悪いよなあ。多分、照れ隠しだとは思うんだけど。耳、ちょっと赤いし。
「ああ、もう! 見るな、さっさと消えろ!」
「はいはい、分かりましたよ」
わたしはそそくさと裏庭を後にする。ここで突っ立ってても、余計どやされるだけだ。
■■■
薬師さんの言う通り、扉はクローズの木札がかかっているだけで実際には鍵が開いていた。不用心だな……。レジのお金とか盗まれたらどうするつもりだったんだろう。ちょっと休憩したら店に戻るつもりで、そのまま寝入っちゃったんだろうか。
中に入ってどこに袋を置くか迷っていると、ふと、陳列された薬の中にクッキーが混ざっていることに気が付いた。シンプルな、丸いだけのクッキーはビンに詰められていて、未開封を表すものなのか、それともラッピングの一種のつもりなのか、色のついた紐で縛られていた。
「あれ、クッキー?」
これも何かの薬なのかな? 子供向けの口直し用飴を置いている、なんて話は薬師さんから聞いたことがあったが、クッキーのようなお菓子も置いているとは知らなかった。
見た目がクッキーなだけで、栄養補助食とか、そういったものかもしれない。元いたところにも、似たようなものはあった。形状は全然違うけど。
「そういえば最近甘い物食べてないなあ」
甘いものは嫌いではないが、お酒の方がもっと好きだ。宿とお酒とご飯にお金を使ったらわたしの所持金は大体底をつく。
お酒を諦めてまで甘いものを欲するわけではないが、たまには食べたくなってしまうのも事実だ。まあ、ご飯どきになると酒に目が移ってしまうのだが。
だから、何か甘いものを食べようかな、と店に入っても、気が付けばお酒とそれに合いそうな食事を注文してしまっている。
この国は美食の国だからか、特別、何かの食材が高くつくということはない。
そりゃあ品質にはピンからキリまであるので、質のいい高級品は存在する。は平民なんかには手の届かないお貴族様御用達のものなんかもあるのだが、その品目が手に入らないことはない。
胡椒や塩、砂糖なんかの調味料類もそれは同じだ。だから決して甘味が高級品、というわけではないのだが。
なので、特別、甘味だけが手の届かないような金額、というわけでもないんだけど……。まあ、つい、ね。
それにしたって、薬屋に置いてあるというのはなんだか浮いて見えた。これじゃお菓子屋さんよね。
「何見てんだ」
「うひゃあ!」
背後から急に話しかけられて、わたしは思わず飛び上がりそうなほど驚いた。
振り返ると、薬師さんが、眉間にしわを寄せて、ちょっと不機嫌そうな表情で立っていた。いつもの薬師さんの顔だ。寝ぐせも治っている。
見慣れた彼を認識したはずなのに、ばくばくと未だに心臓が高速で動いているのが分かる。驚かせないでくれ。早まった心臓は急には収まらない。
「ど、どこに薬草置こうか迷ってたらこれが目に入って……おいしいのかなって」
素直にそう言うと、薬師さんの表情がさらに険しくなる。険しく、というか露骨に不機嫌そう、というか。いや、いつも不機嫌そうな表情をしている人ではあるけれど。
「……食べたきゃ買えばいいだろ」
投げやりにそう言う薬師さん。まあそりゃそうか。棚に並んでいるっていうことは売り物だもんね。
久々にクッキーを見たら食べたくなってきたな……。
以前、一度だけこの国のお菓子を口にしたことがあるけど、それもかなりおいしかった。しっとり、ふんわりとしたパウンドケーキ。プレーンなのにクリームやフルーツなど添え物がなくても、十二分においしい一品だった。
だから、クッキーもきっとおいしいだろう。サクッとしていて、口の中でほどよく崩れるクッキー……。
……駄目だ、完全に甘いものの気分になってしまった。
「じゃあ一つください」
そう言うと、さっきまで面倒そうにしていた薬師さんが、今度は驚いたような、素っ頓狂な声をあげた。
「買うのか!?」
「いや、薬師さんが食べたきゃ買えって言ったんじゃないですか」
よく分からん人だな、とわたしは首を傾げた。たまにこういうところがある人なのだ、薬師さんは。情緒不安定というか、言ってることがすぐ変わるというか。
「あ……もしかして、薬師さんがこのクッキーを焼いたとか?」
それならばこの慌てようも納得できる。知り合いに手作りのお菓子を食べられるのがちょっと恥ずかしいんだろう。しかも目の前で。友人とかならまた話は別なんだろうけど。
わたしと薬師さんって、友達という関係性はなんだか合わない気がするし。赤の他人、と言うにはさみしくなってしまう程度に仲がいいと勝手に思ってはいるが、友人というよりは仕事関係の人、という印象の方が強いかもしれない。
そんな相手に自分の作ったものを食べられるというのは……。わたしは気にしないけど、薬師さんは気にしそうだなあ。
「まあ……店にあるモンは全部オレが作ってるからな。オレの店なんだから当然だろ」
あれ?なんか反応的に、別に手作りクッキーをわたしが食べること自体には照れを感じていないっぽい? オレがクッキーを作っちゃ悪いかよ、みたいな態度は感じるけど。
だったら何が問題なんだろう……?
まあいいか。食べたきゃ買えって言いだしたのは向こうなんだから。
ここまで来たら、味が気になって仕方ない、というものだ。お菓子は科学、とよく言ったものだけど、薬屋を営む人間が下手ということもないだろう。計量はお手の物だろうし。
「クッキー一つと……あ、ところでこれどこに置きます?」
すっかりクッキーに夢中になってしまったが、そもそも薬草の配達に来ていたんだった。袋が軽いから、持ちっぱなしでまだ納品していないことをすっかり忘れていた。
「あー、もー、知るか! その辺に置け!」
何が気に食わなかったのか、薬師さんはすっかりキレモードだ。まあ、別にこの人が急に怒り出すのは今に始まったことじゃない。というかむしろ、いつものことだと言っても過言ではない。
わたしと同じか少し上くらいだと思うけど、頑固なおじいちゃんみたいだ。薬師さんの具体的な年齢、知らないけど。……わたしのこと、たまに小娘って言うくらいだから、やっぱり年上か?
「よい、しょっと……」
わたしは麻袋をカウンターに置き、クッキーを買うために財布を取りだした。




