04 元社畜とあったかソース煮込み(Another)
「エルフの剣士さんなんですか! すごいですねえ」
珍しい、と言わんばかりの表情でありながら、そこに一切の嫌悪感を抱かせない女性は、迷子の冒険者だった。
長いこと生きてきたが、俺の職業を聞いて、そんな風に言う冒険者は、たった一人だけ。
■■■
俺には憧れがあった。吟遊詩人が語るような、剣士の英雄に、なりたかったのだ。
いいや、過去形じゃないな。今でもなりたいと思っているし、理想の剣士になるべく、努力している。
しかし、俺はエルフだ。
他種族とのハーフでない、純粋なエルフ。それは、つまり、剣士という職に就くには、最も適正から遠い位置にいる種族ということだった。
エルフは魔法の才能がある。いや、才能というのは語弊があるかもしれない。他種族からよくそう言われるので、俺のような、他種族とかかわることが多いエルフは、『才能』と称してしまうが、エルフが魔法を得意とするのは性質とか、体質とか、そういった、もっと本能に近いものだ。
人間がエラでなく肺で呼吸するように、生まれながらにして備わっているものなのだ。
そして、その代わりに、筋肉が付きにくい体質を持つ。
もちろん、一切つかないわけではなかったが、通常の何倍も、いや、何十倍も時間を要する。中には、本当に余分な筋肉が一切つかない奴もいた。幸いにも、俺はそうではなかったが。
不幸中の幸いなのは、たとえ筋肉が付きにくく剣士に向いていない体だとしても、寿命が長いことだった。他より時間がかかって成果を得られるのだとしても、他より有している時間が多いのだから、問題ない。
俺はそう思っていた。――俺は。
周りのエルフは、剣士を目指す俺を馬鹿にしてきた。
まあ、分からなくもない。エルフは魔法特化なのだから、わざわざ苦労して不慣れな分野に行くこともない。魔法師として冒険者ギルドに登録すれば、パーティーに入ってくれと引っ張りだこだっただろう。クラスだって、駆け上がる様に特Aクラスになれることは想像に難くない。
それでも俺は、剣士になりたかった。
おかげで、冒険者を始めてもう百年以上経つが、いまだにパーティーを組んだことはないし、下から数えて三番目のDクラスだ。一番下が、駆け出し冒険者に与えられる特Eクラスという特別階級なことを考えると、実質下から二番目。これは百年と少しの冒険者歴を持っている者としては、異常に遅いランクだ。
Bクラスで次に進めない奴は多いが、Dクラスでもたついているようでは、冒険者をやめた方がいいと口をそろえて忠告されるような、そんな悲惨な状態だ。
それでも、俺は剣士でいたかった。
――そう、思っていたけれど。
それは、ある日の依頼だった。
Dクラス向けの討伐依頼。アンバーキャットの下位種であるトロムキャットを討伐するというもの。数が多いから冒険者に回されたが、一、二匹相手なら一般人でも倒すことができる。
そんな魔物相手に、俺はそうとう手こずった。最終的には、全て倒しきったものの、流石の俺でも、この程度の魔物相手にもまともに戦えないのかと、久々に心が折れそうだった。
いつもだったら、反省点を洗いだして、次の鍛錬に繋げよう、と思うのだが、依頼を受注したときに、他のパーティーに所属していたエルフの冒険者に馬鹿にされたのが大きかったのだと思う。
普段なら気にしない罵倒も、いくらうまくいかなくともめげなくとも、二つ重なると流石に心にダメージがくる。追い打ちをかけるように、空腹で腹が鳴り、暗くなり始めた空を見て、ふと、『俺も、俺の生き方を馬鹿にしたエルフたちのように魔法師か復魔師になっていれば、もっと早く依頼を終わらせてとっくに帰ることができたのだろうか』と考えてしまったことが、きっとトドメだ。
情けなくも、疲労に座り込んでから立ち上がることができなくなった俺が地べたに座り込んでいると、がさっと茂みが揺れた。
今しがた、俺にはもう無理なのか、と思っていた剣を咄嗟に握る。
「ま、迷子になってしまったんです!」
茂みから出てきたのは、どこをどう歩いてきたのか、大量の葉っぱと土汚れをつけた女冒険者だった。
「うう……すぐ終わるはずだったのに。今日、野営するつもりなんてなかったから、なんにも準備がないんです。もうただの野宿は本当に嫌で、嫌で……」
「だ、大丈夫だ。今から帰れば陽が落ち切る前には帰れる!」
半泣きになっている彼女を、なんとかなだめながら俺は、彼女と共に街へと向かう。先ほどまで、もう立ち上がるのも嫌だ、と思っていたのに、すんなりと腰は浮いた。
少し歩くと、彼女が「ぐぅッ」とうめき声を上げる。
「どこか痛むのか?」
「いえ……思った以上に、自分が見当違いなところをぐるぐる回っていたことに気がついて、情けなくなっていました」
……そういえば、この軽く舗装された道をまっすぐいけば、もう街だったか。
「まあでも、こういう日もありますよね。うん、あるある。嫌なことがあったなら、さっさとご飯を食べて寝るに限りますね」
そういう彼女の横顔は、落ち込んでいる様子なんて、全くなくて。
先ほど、自分が心折れそうになっていたのとは、まるで正反対だ。
その横顔と、自己紹介のとき、剣士であることを認めてくれたその言葉が、再び俺を立ち上がらせてくれる一因になったことを、今、目の前に座ってキャカロルのソース煮込みをおいしそうに頬張っている、彼女はきっと知らないだろう。
彼女の方は俺のことを覚えてなんて、いないんだろうから。
今回、偶然にも依頼が重なったにも関わらず、前回のことを話すこともなく、覚えている素振りもなかった。
Dクラスの俺とEクラスだという彼女が、クラスが近いにも関わらず、あれから、意外にも冒険者ギルドで顔を合わせたり、同じ共同依頼を受けることがなかった。
自己紹介をしたときの言葉を信じるなら、採収依頼の受注を主にしているらしい彼女と、討伐依頼ばかりを受ける俺。依頼の種類によって張り出される依頼書の更新時間が違うため、それぞれメインにしている依頼の種類が違うと、顔を合わせることが少ないというのは当たり前といえば当たり前なのだが……。
以前会ったことを忘れられていることににさみしさを覚えてしまうのは、彼女が俺のことを肯定してくれた唯一の人物だからだろうか。
■■■
「そういえば、エルフってお肉食べても大丈夫なんですか?」
レディ・ワインを飲み、彼女は不思議なことを尋ねてきた。
「普通に食べるが……急にどうしたんだ?」
「いえ、わたしの国では、エルフって菜食主義のイメージが強いので」
そういえば、彼女は他国出身だったか。おかげで、一緒の席に着いたときに酒を頼んだ時は、とても驚かされた。
一応、以前にも一度会っているとはいえ、覚えている様子は見られないし、そうでなくともそこまで深い仲ではないのに、急に告白されたのかと思って焦った。
明らかに告白するような態度ではないし、単純に酒を飲みたかっただけなんだろう。このテンションで告白する人間はそう多くないと思う。
それにしても、菜食主義とは、いったいどこからそんな話が伝わったのやら。
「菜食主義のエルフなんて、聞いたことないが……」
「えっ、そうなんですか!?」
よっぽど菜食主義のイメージが強いのか、彼女は驚いたように声をあげた。
「エルフは基本的に狩猟民族だからな。当然、肉も食べる。とはいえ、種を狩りつくさないよう、あまり頻繁に狩りへ行くことはないし、人間の様に家畜として食べるために獣を育てることはないから、人間よりは食べる頻度が少ないと言えば少ないか」
剣士に憧れ、冒険者になるために人の街にやって来る前、俺はエルフ族だけが住む里に住んでいたが、そこでは山の獣や魔物を狩って普通に食していた。人間の料理のバリエーションの多さには驚いたが、決して肉料理がエルフの中で存在しなかったわけではない。俺自身も、弓を持って狩ったことが何度もある。
そう説明すると、彼女はいまだ信じられないようだったが、一応は納得してくれた。
菜食主義も何も、今、目の前で俺がキャカロルを食べているだろうに。
「そんな風に伝わっているなんて、君は一体どこの出身なんだ?」
「え!」と彼女が驚いたように声を上げる。よほど驚いたのが、ガチャ、と、彼女は持っていたスプーンを皿に当ててしまい、大きな音が立った。
「えーっと……東の方、ですかねえ」
目線を泳がせながら彼女は言う。
彼女の過去を詮索するつもりはなかったが、彼女にとっては聞かれたくないことだったらしい。冒険者になれている以上、不法入国をした、というわけではないだろうが……よほど探りを入れられるのが嫌なのか、それとも、所在を知られたくないのか。
あまり深く考えずにした質問だったが、やらかしたのは明白だ。
「すまない、過去を聞き出そうというつもりではなかったんだ」
俺が素直に謝ると、彼女は「大丈夫ですよ」と言ってくれる。まだ少し慌てた様子は抜けないので、全然、本当に大丈夫だとは思えないのだが。
それにしても、東の方か……。この国の東、となると、海しかない。その先にある国のことか。
海を超えるとなると、なかなか情報は出回ってこない。旅好きの長命種なら、きっと海も渡って、彼女の出身国にも行ったことがあるのだろうが、生憎俺はこの国から出たことがない。生まれ育った里も、人の街からは離れているものの、一応、分類的にはこの国に含まれる。
……いや、彼女の詮索はやめておこう。本人が望まないのならば、俺があれこれ考えるのは不躾過ぎる。
訳アリで冒険者になる人間も多いのだから。
「……本当に、大丈夫ですよ?」
俺はよほど落ち込んだ顔をしていたのだろうか。彼女が心配そうに俺を見てくる。
「いや、俺が悪かったことには代わりはない。他国に来て冒険者になったのならば、それなりに事情もあっただろう」
二度しか会っていない俺に話すのは抵抗があるだろう――という言葉は、なんとか飲み込んだ。彼女は覚えていないのだから、こう言ってしまえば、覚えていないことを責めているように聞こえてしまうだろう。
「んー……まあ、そこまで深刻な事情があるわけでも……いやどうなんだろう……。わたしはあまり気にしてないんですけど、他人からしたらそうじゃないかもしれませんね」
なんともないことのように彼女は言う。
「でもまあ、そんなに気にしてしまうというのならば、ここを奢ってもらうことでチャラ、ということで」
彼女の提案に、俺は喜んでのった。変なわだかまりを残したままにするくらいなら、一食分奢るくらい、どうってことはない。
「ありがたくご馳走になりまーす」
笑った彼女が、くっ、とグラスに注がれたレディ・ワインを飲み干す。ボトルで注文していた彼女は、自分で二杯目を注ぎ始めた。……よくあれだけ飲めるな。俺なら、きっと、一杯目のグラスの半分程度で限界が来る。
「それにしても……」
早速注いだ二杯目のワインの半分を一気に飲んだ彼女が、話題を変えてくる。
「意外とエルフのこと、知らないことばかりなんですねえ。耳も割と普通だし」
「耳……?」
突拍子もない言葉に、俺は思わず彼女の耳を見てしまった。小さくて丸い耳は、酒に酔っているのか、それとも、外の寒さがまだ残っているのか、ほんのりと赤い。
「エルフの耳って、とんがってるのかとばかり」
彼女は指先で、「こんな感じ」と彼女自身の耳の周りの空気をなぞり、おおよその形を伝えようとしてくる。
それを見る限り、彼女の中のエルフは随分と耳が長い。それはもはやラビネア(うさぎ)じゃないのか?
俺はなんとなく自分の耳を触った。
確かにエルフは人間に比べると若干耳が大きい様にも思えるが、どう伝わったらそんな耳になるというんだ。やはり、海を渡る情報は、それほどまでに歪むというのか?
不思議に思いながらも、俺は思ったことをそのまま口に出す。
「それは何とも……寝返りが打ちにくそうだな」
思わずそう言うと、彼女は一瞬きょとん、として、ぱっと破顔した。
「あはは、そうですね。言われてみれば、大変そう」
楽しそうに笑うその顔に、思わず見入ってしまえば、何かに気が付いたらしい彼女が照れくさそうに、レディ・ワインを口にした。
「そんなに見ないでくださいよぉ」
そう言われて、まじまじと彼女の顔を見てしまっていたことに気が付く。照れ笑いで誤魔化されるほど、彼女を見ていたとは。全然気が付かなかった。
彼女を見ていると、不思議な気持ちになるな、と思いつつ、キャカロルのソース煮込みを口へと運ぶ。
楽しそうに酒を飲む、彼女の笑顔を盗み見ながら。




