17 元社畜とお祭り騒ぎな食べ歩き
「――いや、オレは大丈夫なんで。もう子供じゃないですし」
聞き覚えのある声に、わたしは思わず足を止めた。知っている声のはずなのに、記憶にあるのとは全然違う穏やかな声音に、わたしはその声の持ち主を探す。
賑やかに人が行きかう中で、彼を――薬師さんを見つけた。
誰かと一緒にいる。誰と一緒かは分からないが――彼が笑っている。厭味ったらしい笑い方ではなく、心の底から、楽しそう、と言う風に微笑んでいて。
あんな風に笑えるんだ、と驚いたわたしは、歩き出そうとしたものの、近くににあった屋台の側に置かれていたゴミ箱に気が付かず、激突した。
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満身創痍になりながら帰ってきた街はいつもの雰囲気とは違った。満身創痍、と言っても怪我をした、とかではない。採集依頼のあった薬草がなかなか見つからず夜遅くになってしまったものの、野宿は絶対に嫌だと寝ずに帰ってきたのである。地べたに何を敷くでもなく、ただ寝そべるだけの睡眠なんぞカス。取ったところでたいして回復はしない。それくらいならまだ歩きっぱなしの方がいい。
めちゃくちゃ眠い徹夜明けの体に、明るく楽しそうな喧騒が染みる。
昨日、街を出るときに、屋台の骨組みがちらほら並んでいるから何かあるのかな、と思っていたのだが、今日が祭りだったのか。
「おっ、嬢ちゃん。今帰りかい? 腹減ってないか? いいモンあるぞ~」
近くの屋台のおじさんに声をかけられ、わたしはふらふらとそちらへ向かう。徹夜明けで思考能力が落ちているのもあるし、何よりお腹が空いたのも事実。
「肉串一本どうだい?」
「……もらいます」
お祭り価格なのか、相場よりちょっぴり高い肉串だったが、まあいいや。払えない金額じゃないし、こういうのって、場の雰囲気込みでの値段なのだから。たとえ安く同じものを提供されたところで、祭りのときじゃないと味わえないものってあると思うのだ。
「毎度あり」と渡された肉串を、お金と交換する。焼き鳥……じゃないな、豚バラ肉の串焼きかな? なんかちょっと、前の世界での居酒屋でよく見たサイズより全然大きいけど。
それにしても、めっちゃいい匂いするな、これ……。肉とタレが焼けるときの香りって、なんでこんなにおいしそうなんだろうな……。
「んじゃ、ありがとうございます」
ぱくり、と食べた肉は見た目よりも全然柔らかい。肉汁がたっぷりたのに、しつこい脂っこさはなく、タレと肉汁が口に広がるのが最高だ。ほどよくとついた炭火の匂いとタレの香ばしさが鼻を抜けていく。
これはあれだ……。ビールとか飲みたくなるやつだ……。
酒が売っている屋台がないかとあたりを見回してみるが、当然のようにない。元にいた世界なら普通に売っていただろうが、ここは異世界の酒が弱い人間ばかりがいる国。需要と供給の問題か……。
とはいえ、今は徹夜明けの体。流石にこの状態で、食べ歩きしながら酒を飲むのもどうかと思うので、なくて逆によかったかも。ベッドのすぐそばで飲んで、いつでも寝られる状態なら話は別だけど。この後冒険者ギルドに薬草を納品しにいかないといけないし、先に休息を取るとしても宿までは距離がある。
酒はもうちょっとお預けだな。
「そういえば、今日は何のお祭りなんですか?」
そう言って、わたしは次の肉の塊に歯を立てる。
「嬢ちゃん、今年が初めてか? 今日は感謝祭だよ」
屋台のおじさんの説明によれば、この時期、丁度、いろんな作物の収穫が終わったり、ほとんどの仕事がひと段落する時期らしい。当然、今日まではものすごく忙しい日々を過ごすわけで、ようやく仕事が終わったので子供と遊ぶ時間を設けよう、というのが始まりらしい。
だから、祭りに参加して遊ぶのは親子や家族連れが多いのだとか。確かに、周りを見てみると、親子連れとかが多いように見える。
なるほど、つい昨日くらいまでが決算期だったか……。
わたしも仕事を放り投げてこっちにくる形になってしまったけど、引継ぎとか大丈夫かなあ。
そのうち帰れるでしょ、とか考えて、もう一年が経とうとしている。正確には十か月とちょっとくらい? もし、元の世界と同じ時間の流れだったら、行方不明扱いになっているだろうし、仕事も退職手続きが済んでいるかもしれない。
……そう考えると、こっちの世界に定住してしまうのもありかもな……。老後のことはちょっと不安だけど、それは元の世界にいたって変わらんし。
「ま、独り身でも祭りは祭りだ。友達や恋人がいるなら誘ってもいいし、一人でもいい。いろんな屋台が出てるから、見て回るだけでも楽しいだろ」
わたしがこの祭りを知らなかったからか、独身だと判断されてしまった。よっぽどこの祭りはここに根付いていて、子供にとって大切な祭りらしい。
ま、独身恋人なしは事実だしな。
とはいえ、友達と言ってもなあ。少年はしばらく長期の依頼に行くと言っていたし……。一人で回ろうかなあ。
徹夜が無理な年齢にはなってきたけれど、ギルドに向かう道すがら、ちょっと屋台を見て行くくらいはまだできる。
「――お、あれおいしそう」
さっき肉串を食べたばかりなのに、今度はソーセージの串焼きに目が行ってしまう。ご飯を食べていないからか、甘味よりはがっつり食べられるものを腹と舌が求めている。
「おばさん、一本くださいな」
「毎度! マトゥルソースかマスタードソースはつけるかい?」
「マスタード、お願いします!」
マトゥルソースはケチャップのこと。マトゥルがわたしがトマトモドキと呼んでいるトマトに似ている果物のことなのだが、トマトとマトゥルってちょっと語感が近いからか、どうにもパッと出てこないんだよね。
おばさんにもらったソーセージの串焼きは、大きいものが一本串にささっているもので、ハーブが練ってありそうな色をしていたから、あえてケチャップをなしにしてもらう。
「いただ……っとと、ありがとうございます」
徹夜明けで気が抜けているのか、普通にいただきますと言いそうになってしまった。
ぱり、とソーセージに噛みつくと、肉汁とハーブの味が口に広がる。皮の張りがちょうどいいの、最高。厚すぎると噛み切るのが大変だし、かといって、パリッと張ってないソーセージは、なんかこう、ものすごく損した気分になる。
さっきの肉串は肉とタレの組み合わせが最高だったけれど、こっちは肉のうまみが強い。マスタードがピリッとしていて、肉臭さがくどくなり過ぎないのもいい。あと個人的にマスタードはあらびきの粒マスタードの方が好きだから嬉しいな、これ。
屋台飯は衛生面を考えたらアレなんだろうけど、それを分かった上で抗えない魅力がある。
「とはいえ、三連続肉はな……」
肉串にソーセージ、と二連続で肉を食べたからか、少しお腹が落ち着いてきた。まだまだ食べられるけれど、空腹で死にそう! ってことはない。
というのもあるけれど、流石に口の中がちょっと油でべとべとしてきた。肉串もソーセージの串焼きも、どっちもおいしかったんだけどね。肉が続くと口内は肉汁まみれ、ということで。
さっぱりしたものが食べたいなあ。カットフルーツとか売ってないかな。いや、屋台で生ものは危険か? なんて思っていたら――ふと、見知った声を聞き、わたしは足を止めたのだった。
不機嫌じゃない、穏やかな薬師さん。
今まで一度だって見たことがないそんな彼の様子に、わたしは屋台の近くのごみ箱に体を思い切りぶつけてしまい、ゴミ箱を倒して中を散乱させてしまった。
一瞬のうちに血の気が引き、先ほどまでうすぼんやりと常に横にいた睡魔がどこかへとすっ飛んで行った。
「わ、わー! ごめんなさい、片付けます!」
薬師さんの方を見ていて、周囲への視界が狭くなっていたらしい。徹夜で注意力が散漫になっていた、というのもあるかも。
わたわたしながらゴミを戻す。不幸中の幸いと言うべきか、中のゴミは、ほとんどが紙ごみだった。素手で触っても、べとべとに汚れるということはない。いや、この後すぐ手を洗うけど……。
わたしが倒したゴミ箱のすぐ横にはドーナツを売っている屋台。なるほど、紙に挟んでドーナツを売ってたのか……。
ごみを拾っていると、ふ、とあたりが暗くなる。急に陰ったのかな、と上を見上げれば、剣士さんがいた。
休みだったのか、珍しく鎧を着ていない。鎧を着ていないとだいぶ細く見える。初めて私服を見たかもしれない。こう見ると、ちょっとだけ体格のいい優男、って感じだ。
にっこりと笑う剣士さんの雰囲気は、いつものように穏やかではあったが、ちょっとだけ、いつも以上に上機嫌な気がする。何かいいことあったのかな?
「大丈夫か? 拾うのを手伝おう」
「あ、ありがとうございます。でも、わたしが汚しちゃったので……」
汚いから、と断ろうとしたら――。
「そいつがいいって言ってるんですから、ほっときゃいいんですよ」
――剣士さんの後ろから、薬師さんがやってきた。
まさかの人物に、わたしは一瞬固まる。
薬師さんは一人。誰か他の人といるようには見えない。でも、この口ぶり。
……と、言うことは……、え、さっき笑ってたのって、剣士さんに向けてってことだったの……? 実は誰か恋人と一緒に来ていた、とかではなく……?
「……なんだよ、その顔」
いつも見たことのある、不機嫌そうな薬師さん。わたしが知っている、表情そのものだ。
「あ、いや……」
「すまない、少し口は悪いが、性格まで悪い人間じゃないんだ」
「それは知ってますけど……」
今のは、まじまじと顔を見たわたしが悪い。それは分かるのだが……。
――と、薬師さんが、たし、と足を動かした。
「おい、拾うならさっさと拾えよ。ゴミ、飛んでくぞ」
風に吹かれて飛んで行ってしまいそうだったゴミを、足で踏んづけて、どこかに行かないようにしてくれたらしい。そして、薬師さんはそのままそれを拾い、くしゃっと丸めると、ゴミ箱へと投げ捨てた。
「ほらな」
小声で剣士さんが言う。手伝う気はないけれど、足で踏んだゴミはわたしに拾わせる気がないということだ。分かりにくい優しさというかなんというか。
わたしは「そうですね」と小さく笑い、パパっと残りのゴミを片付ける。どこかで手を洗いたいな……。
「手を洗うなら、向こうに共用井戸がある。結局俺は拾うのを手伝えなかったし、俺が水を汲もう」
「え、あ……。ええと、それじゃお願いします」
悪いな、と思ったけれど、共用の井戸じゃ、あれだけのゴミを触った手でいじるのも良くないだろう。ここは剣士さんに甘えておこう。
「君も、それでいいか?」
「別に、俺はいいですけど……」
……敬語を使う薬師さん、凄い新鮮、というか……敬語使えるんだ……。ギルド長にもタメ口で話していたから、てっきり全人類相手にこういう話し方なのだとばかり思っていた。
「ええと……二人は……お、お知り合いで?」
あまり人のことを詮索するのはよくないだろうな、と思いながらも、気になり過ぎて、井戸に向かいながら聞いてしまう。
剣士さんは特に隠すつもりもないらしく、「ああ」とあっさりうなずいた。
「俺は彼の祖父の友人でな。彼の先々代からあの薬屋には世話になっているんだ。今でもあの薬を頼っているし、時折、ご飯を共に食べる仲、というやつだろうか。なんだ、君たちも知り合いだったのか?」
「なるほど……。あ、そうです。いつも薬師さんにはお世話になっていて……」
薬師さんの出す依頼って、薬草の採集依頼ばかりだし、安全で割高だからとても助かるんだよね。
それにしても、薬師さんの祖父の知り合いか。それならば、敬語を使うのも分かる。
「なんだよ、言いたいことがあるなら言え」
わたしの反応が気に入らなかったらしい薬師さんは、わたしを睨みながら言う。「こら」と剣士さんがたしなめるも、あまり効果はない。
黙っていても、適当にごまかしても、薬師さんには通用しないだろうなあ、と思い、素直に「敬語を使っているのが珍しくて」と言う。
「敬語……。なんだ、そっちか……」
わたしに聞かせるつもりはなかったのだろう、ぼそりとつぶやかれた独り言。聞こえてしまったけれど。
そっち、って、どっち? 今の話を聞いて、他に思うことはある? 薬師さんっておじいちゃんっこだったんですか? とかそういう話?
薬師さんの中では今の話題は決着がついたようで、それ以上何も言ってこない。話を戻してもまた機嫌が悪くなるだけだろうからそっとしておこう。もしかしたら、触れられたくないことなのかもしれないし。
「ああ、ついた。あれだ」
剣士さんが指さすのは、手押しポンプのある井戸。家や施設の中には水道があるものの、こういった外にはこういう場所しかない。
剣士さんに水を出してもらって、手を洗う。
水が随分と冷たく、目がさえてきた。さっき、ゴミ箱を倒したことで眠気が多少飛んだ、というのもあるかも。
うーん、これなら、せっかくだしもうちょっと屋台を見て回ろうかな?




