男か女か
僕達は第二隊の心配を他所に、自室へと戻ってきていた。
心配といっても、これといって目に見えておかしい訳でもなく、体調不良でもないので、無用なのだが、ポワンポワンした浮遊感はまだ続いていた。
「師匠?」
僕の完全にオフった様子を心配気に見つめるディミトリー。
「大丈夫だって。それよりディミトリーには何もないの?」
「僕には何も?頭の中でオラァオラァって師匠が言ってるだけです」
それはそれでだと思うのだが。
「どう?なんか掴めそう?」
「んー、自分じゃわかんないですけど、師匠の気魄に抵抗が無くなっている気はします」
「へー、抵抗があったとは、そりゃすまなんだ」
「え!?違う!違います!そんなんじゃなくて!頭の中で聴こえてる師匠の怒ってる声が柔らかくなってるって意味です」
「ふーん」
「し、師匠?」
「んぁ?あれ?なんでディミトリー寄りかかってんの?可愛いなお前」
「う、うー。もぉ、っん」
「え?可愛いなにこれ」
「うぅー」
「だめだこいつ可愛すぎる」
「もー、ぁうん」
「ーーーーー」
「師匠ぉ?ぁ、ん」
「おい、立花。なんだこの状況」
ーーーは!!
突然現れた熊本くんの声に正気を取り戻した僕は、自分の今の状況を把握し、焦った。
なに!!?
なんでディミトリーが僕の膝の上に乗ってるの!?
しかも!ベッドの上で二人きりで!?
「どぅえ!!?ディミトリー!ちょっと!手を離してくれ!」
どう考えても色欲満載の僕を僕は察し、ディミトリーと繋いでいた手を離脱する。
ほぇ?と顔を真っ赤にしていたディミトリーが、僕のベッドの端に横たわる。
「ちょっと先輩?ヤバない?ヤバ過ぎやしない?」
入り口で呆気にとられていた熊本くんが、そう言いながら自分のベッドに座って僕を見ていた。
「ヤバイぞ熊本くん。これはヤバイ。ヤバ過ぎる」
「師匠?」
横たわったまま、火照ったような顔でこちらを見て心配そうにしているディミトリー。
「ディミくん!座りなさい!先輩ちょっとこっちのベッドに!」
熊本くんの指示に素直に従い、僕は熊本くんの横に座りなおす。
ディミトリーも起き上がり、こっちを見て座りなおした。
「これは洒落にならんっス。あわやの展開ですよ!?先輩は勿論の事ですが、ディミくん!?君もだよ!?」
「ほぇ?」
「君は男だろ!?」
「ーーーーーっ!?」
熊本くんの怒気強めな声に、ディミトリーはホワンとした顔を急に強張らせた。
「え?え?僕、え?」
何が何だかわかっていない様子のディミトリー。
「ディミくん。君は男だろ?なんで先輩の事を異性として見てるんだ?」
「ーーーーー」
「く、熊本くん?」
「先輩。ちょっとこれはヤバ過ぎっス。一旦アナナキっちさん呼んできて下さい」
「いや!ダメ!言わないで!?」
熊本くんの冷静な指示に、対面から懇願するようなディミトリーの叫びが上がる。
「信頼の置ける人です!ディミくん!悪いようにはしません!!先輩!呼んできて!」
それでもエリームを呼んでこいという熊本くんに、僕も頭が混乱しているが、急いでエリームを探しに外へ出た。
なんだなんだなんだ?
なにが起きた?
「エリーム」
「はい、エリームです」
「うおっ!?」
部屋を出て、混乱からか小声で呟いただけにもかかわらず、直ぐさま現れてきたエリームに、尻もちをついて驚いた。
「緊急事態だ!」
「おや?読心できないくらい乱れてますね。なにかありましたか?」
「僕とディミトリーが変でヤバイ!熊本くんがエリーム呼んでる!」
「大体把握しました。すろーすろー。落ち着くのですタチバナ様」
ちゃんと伝えることすら出来ない僕の言葉を理解したエリームは、まず僕を落ち着ける事を優先してくれた。
「すろーすろーすろー。落ち着いた気もせんではない」
「そんなまどろっこしい言い方してるなら元通りですね。部屋ですか?」
「ああ。行こう」
出て直ぐにエリームと会った為、帰宅は早かった。
僕のベッドにうつ伏せで顔を隠しているディミトリーと、珍しく神妙な顔をした熊本くんが自分のベッドから僕ら二人を見てきた。
「リムさんや。これはちとヤバイ事になりやしたぜ?」
「と、言いますと?」
エリームと呼べない僕達は、今時点リムさんなるあだ名をつけ呼び合うようにした模様。
熊本くんが枕元にズレてくれたので、僕ら二人も熊本くんのベッドに腰掛けた。
「僕がこの部屋に帰ってきたら、先輩とディミくんがあわやの状況でした。普通ならこの先輩の頭を弾き飛ばすだけで済む話なんでしょうが、そうもいかんのだよリムさんや」
「まさかお互いがその気に?」
「違うって!そんなんじゃない!」
僕達の会話を聞いているディミトリーから、顔を上げずの反論が上がる。
だが、その後に続く言葉はない様子。
「先輩は昨晩からチベットまで浮遊したりして煩悩を消し去ってました。ディミくんにもそんな風な様子は見られなかったから僕は安心してたんですが、さすがにさっきの状況は、"どっちも"その気にしか見えなかったっス」
「兄さん!!やめて!そんなんじゃない!」
「タチバナ様としては?」
「お恥ずかしい話、可愛いって言った意味がどっちの感情だったか定かじゃないな。むしろ、膝の上に乗せてたってのが、ヤバイかなって。男と男がって考えると、やっぱおかしい。だって熊本くんやリムを膝の上に乗せるか?って言われたら絶対しねーもんな」
「そう、そこなんっスよ。今の発言の逆の立場でも、先輩の膝の上に乗ろうとは思わないんです。いくら仲が良くても。またゲイの方ってなると話は別ですが、そうじゃない。アニメとかなら美少年を膝に乗せて可愛がるシーンとかありますけど、これは現実っス。どう見ても異様」
熊本くんの言っている事は、僕達のサークルでも議題に挙がった件である。
アニメや漫画、ラノベその他フィクション作品に出てくる登場人物を各々現実の世界に置き換えた時、あらゆる点が異様。
今言ったような可愛がる行為についてもそうだが、過度な演出はフィクションにのみ許されるものであり、幼女の姿をした女の子を追いかけ回して噛み付いたり、抱きしめたり。
主人公に好意がある女の子を過度に抱きしめたり、愛でたり。
妹の歯を自室のベッドに寝かせて磨き、色欲に駆られたり。
それは架空であるから通用する、その架空の常識であり、現実世界で行えば一発実刑なものなどありふれている。
「ディミくんの存在はアニメキャラに近い。ですが、実際にこの世界を生きている人間です。見た目とても可愛らしい女の子だけれど心は男の子。しかし現実的に見るならば体は女性。それだけなんです。いくら弟子だと言っても可愛がる限度を超えています。ディミくんが男の子だと認識している先輩は一般的な男性。女性の体に接近すれば欲情しないわけがない。しないならば不能若しくはアニメ、漫画の世界の方です」
「兄さん!なんでそんなひどいこというの?僕は男だよ!なんでそんな!変な事言うの!?」
「じゃあその師匠に頭撫でられて、膝に置かれて、あんなに顔近づけて、異性好きの男なら気持ち悪くていくら師匠でもたいがいにせぇって頭叩くレベルっス。でもディミくんは顔を赤らめて、僕でもわかる女子の顔をしてた」
「ーーーーーーーー」
ディミトリーが女になっていた。
僕はそう考えると、とても自分がしていた行いが知里ちゃんを裏切る行為だったように感じ、いつものようにこの議論の中へ入って行って自分の考えを発表する気にはなれなかった。
「ディミトリー様。何歳の頃からご自分が男であると気付き始めましたか?」
「ーーーえ?」
「女であるご自分が男だと感じたのはお幾つの時でしたか?」
「12歳」
「今ディミトリー様は16歳ですね?その自分の異変に気付いてまだ4年です。私達ではわからない苦悩があった事は想像出来ますが、長い人生の中のまだ4年です。言ってることはわかりますか?」
「わからない!僕は男なの!さっきのは師匠がかっこよくて自分もこういう風になりたいって思って見惚れてたっていうか!」
「本当に?本当にそうですか?タチバナ様とキスがしたい、タチバナ様に抱きしめて貰いたいタチバナ様に」
「やめてって!!なんで!?なんでそんな穢らわしいことを言うの!?そんなの!酷い!私はずっと悩んでるの!男になりたいのになれないの!なんで!?酷い!!」
ディミトリーはベッドのシーツを掴み、千切れるほど乱暴に上へ下へとどうしようもない怒りを表している。
「男になりたい。だけど体は女のまま。体もどうにかして男になりたいけど年齢が許さない。そんな時に現れた自分自身に好意を持ってくれる男性。一緒にいたい、もっと話たい。それが念願叶って四六時中手を繋ぐことになった。その男性は自分を男として見ようとしてくれているが、無理をしている。この人に女を見せたらどうなるんだろう。好きになってくれるのだろうか?それならば私は男でも女でもなく、この人の好きな性別になればいいのではないか?確かめたい、自分が本当に男なのか。本当は女で、男なんだと感じたのが気の迷いだっただけじゃないのか。そうなれば自分はもう何も悩む事は無くなるんじゃないか?」
「ぅうっぅぅっっぅう」
先程からずっと握っていたシーツで顔を覆って泣くディミトリー。
「これは難しい問題です。気魄の付与をし続けた弊害とも取れるし、ディミトリー様本来の悩みから発生した状態とも取れる。なんならその二つが重なって起きたとも考えられます。今、ディミトリー様の心を抉るような発言をしてしまいました。申し訳御座いません。ですが、この件はディミトリー様本人がしっかりと嘘偽りなく認識しない事には解決などあり得ないのです。一旦付与の修行は中止です。あまりにも過酷すぎる」
「僕は、、ごめんディミトリー」
なんと言っていいかわからない。
「タチバナ様もこれは仕方のない事です。そう自分を責めてはなりません。責められるべき人間などこの件に関しては一人も居ません。この件はこの4人以外には他言無用。タチバナ様はチサト様に対して何かしら思うところはあるでしょうが、ここはディミトリー様の事を第一にして、心にしまっておいてください」