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「ありがとう。ダーリンさん。私の大好きなチサトちゃんが今救われました」
は?僕は今、傷付けたのに?
「もう私は要りませんね。デイジーちゃん、ちょっと夜食食べにいこー?」
え?だれ?
「はぁ、太る太るっていう割にはよく食べるわよね。じゃあちょっとイザベルに付き合ってくるから」
そう言って二人は、そそくさと部屋から出て行った。
部屋の空気が変わる。
さっきまで吸う空気が生暖かったのに、今はそこから外に出たような気分になった。
「宗則さん」
僕の手はどれだけ冷たくなっていたのだろう。
毛布に入っていた手を握る知里ちゃんの手が、異常に暖かく感じる。
「私の事、教えて?」
「え?」
「私はどんな風に変わってて、それをなんていうのか教えて?」
不意に過る窒息感。
いや、嫌悪感かもしれない。
だけど、それを口に出せる気がする。
今まで頑なに動かなかった口が、今なら動かせる気がした。
「空気が読めない」
「うん」
「ア、アスペルガー症候群」
「ありがとう」
なんで、こんなにもスッと言えるのだろう。
こんなにも最悪の言葉を、なんで僕は平気な顔して言えるのだろう。
自分の彼女に、君はアスペルガー症候群だ!なんて、どこの世界にそんな酷い事を言える人間が居るのだろう。
「宗則さん。私知ってたよ?」
「ーーー!?」
「一紀がね。イジメられてた理由。私のせいなの。私がね、一紀の高校の女の子と話してて、その子にバカにされているのも知らずにね、私は友達だと思っててずっと仲良くしてるつもりだったんだけどね?本当は一紀をイジメるネタを探しに私と話してたの。だから私、知ってたよ?病院も行ったし、お母さんとも話し合ったし、一紀にも謝った。あの子はいい子で凄い子だから私に黙ってイジメを受けてたの。だから、私は自分がバカで変わってておかしいのは知ってたよ」
止まらない。
喉が浮くのが、止まらない。
涙が零れて、止まらない。
鼻水が垂れて、止まらない。
僕は知里ちゃんが、その事を知っていることも知っていたはずだ。
だけど、怖くて聞けなかった。
僕は自分の彼女が、アスペルガー症候群だなんて、知りたくなかったんだ。
「宗則さんがね?必死で私がそうじゃないって思っててくれてるのも知ってたよ?だけどね?辛くてね。怖くてね。苦しいの。宗則さんがそれを言ったとき終わりなんだと思ってた。だから、こうして言ってくれて、それでも宗則さんが今手を握ってくれているのがね。嬉しくて堪らないの」
馬鹿だ。
全てお見通しじゃないか。
僕は今わかったっていうのに、知里ちゃんはもう既にわかってたなんて。
どれだけ彼女を苦しませれば、気がすむんだ?
「責めないで、お願い。もうお願いだから宗則さんも私に頼って?馬鹿で変でおかしい私だけれど、あなたの彼女なの。だからさっきみたいな顔をさせたくないの。あんな顔は宗則さんじゃないの。今まで私を守ってきてくれた分、これからは私にもあなたを守らせてください。お願いします」
もう泣いていない知里ちゃんの顔は、2年間、僕が見続けてきた中で一番可愛かった。
変わってるけど可愛い彼女。
凛の言う通りだ。
何一つ間違ってない。
何を僕は見てきていたんだろう。
むしろ、何も見てきていなかったのだろう。
僕は今、めちゃくちゃ彼女の事が好きになった。
「僕は」
「うん」
「僕はキチガイだ」
「うん」
「尾崎もびっくりするくらいの事をいっぱいしてきた」
「うん」
「母さんにも、父さんにも、凛にもギンにも、僕は手をあげるほどのキチガイだ。僕はそれが、、こわい!こわくてしかたがない!」
「うん」
「いつ、君に手をあげてしまうのか僕でもわからなくて、こわくてこわくて仕方がなかった!僕は多動性障害をもっている」
「うん」
「いつもみんなからキチガイだって言われて、あいつを怒らせたら殺されるぞって言われて、友達も恋人もいっつもどこか違うところにいた」
「うん」
「だけど!君だけは、君だけにはずっとそばにいてほしい!絶対手をあげないって誓いたい!誓わせてほしい!」
「う、ん!」
「大好きだから!こんなに、近くに来てくれた君だから!絶対に、傷付けたくない!僕の家族と君の家族と、楽しく仲良く過ごしたい!君と凛が一緒にいるのが、僕はとても嬉しい、、見ているだけで、、僕が幸せになれるんだぁ、だ、だから僕を、僕を普通にしてくれぇ!その輪の中に僕も入れてくれぇ!おねがいだから、僕をたすけてくれぇ」
「絶対に助けます。絶対の絶対の絶対に助けます。もうキツイから離れてくれって言われても私はバカだからそれをわからない。だからキツくても辛くても悲しくてももう今助けてくれって言われたから、死ぬまで絶対助けます!」
僕はこんなにもクソメソに泣いているのに、彼女をこんなにも泣かせているのに、なんでこんなに幸せなのだろう。
なんで、こんなに愛おしいんだろう。
愛おしすぎて、力を込めて抱きしめたい。
その力の込め方が、キチガイだって言われるなら、僕はキチガイでもいいとさえ思える。
だから今は力の限り、僕は大好きな彼女を抱きしめた。
短く声が漏れた。
知里ちゃんも僕の事を思いっきり抱き締めてくれている。
胸が締め付けられた。
でも、これはとても心地良い。
ただ全力で僕は抱きしめられているのだ。
何かとてつもなく熱いモノが、肚の中で蠢いている。
「ディミトリーやイヴァンはこの先を見てる」
この衝動を抑えきれない。
抑えたくもない。そんな気分になっていた。
「ん?」
「英雄になって、この戦争の先の未来を見てる。だから僕もアイツらに負けないくらいの大きな夢を見たい」
「うん」
「僕はキザったらしいのが嫌いで、真面目くさった恥ずかしい事が嫌いで、歯の浮くようなセリフなんてもうこの先一生言わないかもしれないけど、なんか今なら調子乗って言えそうな気がする」
「うん!」
「僕がこの戦争を終わらせて、英雄になって堂々と日本に帰ったら」
「うん!!」
「千景さん。僕の家族になってください」
「え、ちょっと待って」
ーーーへ?
「あれ?福山雅治に見える。かっこよー!?かっこよ過ぎて惚れ直すどころか、悩殺寸前なんだけれども!!?」
ーーーは?
「言質取ったからね?一生付きまとうからね?」
「怖い怖い怖い」
「知里千景は、立花宗則を愛しています!」
「急に出てきたね!浅倉さん!甲子園には観戦でしか連れて行けないよ!?」
さっきまで抱きしめていた体は、物凄いバネによって弾かれ、ベッドの上に魔王立ちする知里ちゃん。
「おーーし!!祝言じゃーーー!!」
雄々しいわ!
雄叫びをやめい!
いくら泣いても、いくら終わりだと思っても、絶対に最後は笑わせてくれる。
僕の"馬鹿"みたいに可愛くて、"変"だと言われるくらい一途で、面白"おかしい"事をして、いつも僕を笑顔にしてくれる大好きな彼女と、僕は周りから"キチガイ"みたいに騒がしいと言われるくらい、笑いの絶えない家庭を築いていこうと決めた。