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「異議を申し立てる場面ではないですが、どうぞ」
熊本くんに許可をもらい、発言に至るアナナキンヌ。
「今のやり取りを聞く限り、一見和解したように思えますが、問題はそんな浅いものではなくもっと根深い!人間にとっては長い歴史の末に生まれた醜悪な文化が表面上とはいえ口について出た事が最も問題視すべき事柄です!私は人間研究をこの長い生涯続けてきました。生物的な全て、精神的な全て、文化、宗教、思想それらが引き起こす戦争。凡ゆる人間に関する研究の成果、私はまだ人間のことを理解しきっているとは思っていません。が、この人種差別においては結論が出ています!引き起こされる要因は嫉妬。そして恐怖です。肌の色の違う人種に、自分よりも能力が上かも知れないと恐怖し、自分と違う要素を持っている相手に嫉妬しているのです」
先程までの弁護士然とした茶番な姿から、一変していつものアナナキンヌに変わっていく。
「シュウ様の発言は私も納得しました。それは素直な反省であり、可愛げすら感じます。ですが、使った言葉があまりにも非道。例えば私達が人間に向かってアナナキの劣等種だと言い放ったとする。どう思いますか?それを咎められ、ごめんなさいつい口に出してしまったと謝罪しても、その言葉を忘れる事はないでしょう?」
アナナキンヌの発言に、誰も口を開けなくなっていた。
言いたいことが理解出来たからだろう。
「カメンガ様の発言も、カメンガ様の一つの思いではあるでしょうが、それを全てと捉えるのは愚考。カメンガ様の頭にはきっちりと差別された記憶が残り続け、そのフィルターでシュウ様を見るはずです。チサト様の過剰な暴力が何を意味するか、もう一度良く考えて下さい」
そう言ってアナナキンヌは静かに座った。
横にいる知里ちゃんの驚いた顔を察するに、多分あの子はそんな事まで考えていたわけではないとわかる。
だが、果てしなく馬鹿なわけではない。
シュウさんの発言の重みを直感的にそれは絶対ダメだろ!と思ったのだろうと推測される。
それは今のアナナキンヌの言葉に繋がるし、それだけの怒りを持って制裁した知里ちゃんの行いは間違ってはいても、理解は出来る。
他のことなら、知里ちゃんもそこまではしないとわかっているからだろう。
「僕もそう思います」
この場で初めて聞く声。
ディミトリーが真剣な表情で立っていた。
「シュウさんの言った事は取り返しがつかない。もう同じ隊で一緒に戦争なんて行きたくない。だって命を賭けて戦うのに自分の事をそんな風に見ている人間をどう信用しろって言うんですか?これから表面上仲良くしたってどうせみんなから怒られるからって理由でそうしているなら無理です。カメンガさんもはっきり言わないとダメです!」
ディミトリーの顔は薄ピンク色になり、その怒りを露わにしていた。
今まで黙っていたが、腹に怒りを隠してただけだったようだ。
「アナナキンヌさんの言ったように、もし僕が、黙れ中国人。ロシアの犬が!そう言ったらどう思いますか?」
怒気。
ディミトリーの中には壮絶な怒気があった。
決壊したその怒気は、止まる事なく朱さんに降り注ぐ。
ロシアと中国の関係。
隣国であり、広大な土地を持ち、多数の国民を有する類似点。
それだけではない、僕には到底計ることの出来ない国民同士の感情があるのだろう。
「どう思いますか?」
口を噤んで下を向いていた朱さんに、尚も食って掛かるディミトリー。
「腹が立つ」
こちらを向くこともなく、掠れるような声でそう呟いた。
「じゃあ姐御があの時、これだから日本人は中国人が嫌いなんだって言ったらどう思いますか!?」
日本人が日本以外のアジア人に向ける目は冷たい。
中国、韓国、北朝鮮。
親日と呼ばれる台湾以外、僕たち日本人は友好的な見方をするものはあまりいない。
「とても腹が立つ」
しかし、それは他国も同じではないだろうか。
「だったら自分でそうならないようにしなきゃダメでしょ!僕たちはなんて呼ばれてここに居るんですか!?」
ディミトリーの怒声は高く、金切り声のように響き渡る。
これは朱さんだけに言われている言葉ではないと、この場にいる全員が判断した。
「英雄」
カメンガくんがそれに呼応するように、小さく呟く。
「そうです。英雄です!身に余る敬称です!ーーー知ってる人も居ますが、僕は女の子です!だけど男だと思っています!それで色んな差別を受けてきました!そんな差別を受ける僕がおかしいんだと思ってました!女なのに男になりたいなんて気持ち悪いからみんなが差別する!僕が悪いんだと思って生てきました!だけどそんな気持ち悪い僕をアナナキさんたちは英雄と呼んで、この地球を守る壮大な役目に選んでくれた!英雄ですよ?英雄!そんな英雄が肌の色くらいでごちゃごちゃ言ってんじゃねー!恥を知れ!本当にっ!恥を知れぇ!!」
ディミトリーの咆哮。
強く固く握り締められた拳は、両の膝を叩いて悔しさを。
傍目からもわかる頬に浮かんだ筋肉は、歯をくいしばって耐える怒りを。
赤く充血した目に薄っすらと浮かんだ涙は悲しみを。
自分の内面の隠していたい事も曝け出し、名ばかりの英雄である僕達に対する怒りをぶつけてきた。
ずっと思っていた事なのだろう。
英雄と呼ばれ、嫌な奴はいない。
それをただ喜んで終わっていた僕には、そのディミトリーの発言が痛いほど胸に刺さった。
「英雄だって人間だ。英雄だって間違いは犯す。それは英雄同士の中でしか見せちゃいけない!英雄は英雄じゃない人に英雄ってカッコいいって思ってもらわなきゃダメなんです!今この裁判はその為の裁判です!ここでなあなあにして、いざ戦争が終わった時、なんだ能力をもらっただけの人間じゃないか。そんな風に思われる英雄がもしいたならば!僕はそいつを絶対に許さないぞ!僕達が貰った英雄っていう名前がどれだけ人間に大きな影響を与えるか!よく考えろ!」
胸が締め付けられる。
ディミトリーの考えていることがわかった気がする。
この子は、この戦争の先に夢を見ている。
戦争に勝ち、地球を守る。
そんな事は当たり前で、その先に待っている自分に与えられた英雄としての役目を、この子は思い描いているのだ。
それは恐らく、自分と同じ悩みを持つ人が抱く劣等感を払拭すること。
それは恐らく、英雄同士での国際的な繋がりを世界に見せつけること。
それは恐らく、アナナキと人間が手を取って勝ち取った平穏を示すこと。
物語に出てくる英雄。
それをこの子は実現したいのだ。
戦争も差別も国際的な蟠りも争いも罵り合いも、全て自分とその仲間が解決出来ると思っている。
「よく言った小僧!!なんだお前めちゃくちゃ良い男だな!」
不意に後ろから野太い声が聞こえたかと思うと、イヴァンがディミトリーの頭をぐしゃぐしゃに撫で付けていた。
「なんだ辛気臭ぇ顔ばっかりだな。わざわざこんな大層な真似して話す内容か?今この小さな英雄が言った事が全てだろう」
この場にいる誰もが感じていたことを、あっさりと言ってのけるイヴァン。
「チサト!お前はもう謝ったのか?英雄のクセに謝る事も出来ねえのか?シュウ!てめぇも焼き入れられて縮こまってんじゃねえ!みっともねぇ!カメンガ!何もかもに屈するな!世界で戦ってたんだろうが!小僧みたいに胸を張れ!俺は久々に感動したぞ、ディミトリー。まるでなっちゃいねぇ俺たちよりも英雄らしい!英雄どころかお前は勇者だな!」
この問題の関係者達に叱咤するイヴァンの姿は、何か覇気を纏ったかのような存在感があり、この場に居た誰もが心底から縮み上がっていた。
その後すぐに覇気をしまったイヴァンは、自分の子どもを可愛がるようにディミトリーへ慈愛を帯びた目をやり、その小さな頭をこれでもかっというほど撫で付ける。
「肌の色も目の色も生まれも育ちも考え方も伝え方もみんなそりゃ別々で当たり前だ。だが、今この勇者が言った通り、俺らは人間を代表する英雄だ。英雄はどんな時もカッコつけなくちゃならない。今後、見窄らしい真似した奴がいたら俺が許さねぇ。そん時はチサトどころじゃねぇ事は肝に銘じとけ。いいか!!」
「「はい!!」」
覇気を抑えていても伝わる迫力。
イヴァン・シルヴァ。
第一隊隊長の名に恥じぬその姿に、僕は体中が熱くなるのを感じた。
未だにガシガシと頭をなで付けられているディミトリー。
さっきまでその小さな体から、全員が気圧されるほどの怒気を放っていたディミトリーだったが、イヴァンの登場により気が緩んだのか、急に涙が溢れ出し、イヴァンの胸に顔を埋め泣き喚いている。
ディミトリーの咆哮と、イヴァンの登場により、さっきまでの茶番は泡と化し、各々が胸に突きつけられた怒気を噛み締める。
その中でも一番、鋭利な怒気を向けられた朱さんは、俯いていた顔を上げ、目には涙を浮かべてはいるが、しっかりと胸を張って座っていた。
「みんな、すまん!!取り返しのつかない事を言った!撤回出来ないのならば、挽回する!今後みんなに中国人代表の英雄と認めてもらえるように日々努めるつもりだ!カメンガ。だけどもう一度謝らせてほしい。本当につまらない事を言った。すまない!」
胡座のまま、胸を張り、両手を膝につけ深々とカメンガくんに頭を下げる朱さん。
「気持ちはわかりました。自分も世界の人に認められるコンゴ共和国代表の英雄になるつもりです。その時は互いに肩を並べて我々は英雄であるのだと胸を張りましょう」
カメンガの目にも薄っすら涙が見えているが、零しはしなかった。
「みんな、ごめん!!でもいけないことしたら私は多分またぶっ飛ばす!だからみんなも私がいけないことしたら遠慮なくぶっ飛ばしてくれ!」
なかなかぶっ飛んだ謝罪だが、まあ知里ちゃんだから良いだろう。
みんなも笑ってるし。
「それでは!今回の英雄会議をこれにて閉廷します!きりーつ!れい!」
熊本くんの締めの挨拶に、途中から来たイヴァンも乗っかって従う。
英雄会議と名称を変更するその小賢しさが、熊本くんらしくて口元が緩んだ。