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はっきり言って、苦戦している。
アイツとはまた別の厄介さだ。
アナ・サラザール。
ミステリアスな雰囲気を常に醸し出している彼女は、戦闘とは無縁の印象だったが、見当違いもいいところだ。
長い青を含んだ黒髪を後ろで一つに束ね、担当のアナナキから二本のダガーナイフを受け取った彼女は、そのいつも垂れている柔和な印象を与えていた目を狂喜させていた。
初手、私から動き出す気は無かったものの、そんなのは御構い無しに速攻を仕掛けてきたアナ。
ナイフを逆手で持ち、アサシンのような構えからの突撃に一瞬怯んだ私を、なんなく足払いで崩し、すぐさま喉目掛けてナイフを振りおろしてくる。
まるで躊躇がない。
人間世界で彼女が何をして生きていたのか、考えるだけで怖気がたった。
なにより一番私を驚愕せしめたのは、その動作に気魄は関係していないのだ。
単純な身体能力と、躊躇のない決断力。
ナイフを使いこなす技術。
どれを取っても常人から逸脱しているように思えた。
だが、私もそれでやられてあげるほど優しくはない。
体勢は崩したが、アイツ基準になってしまった私の脳を、そうそう上回る結果には繋がらない。
払われた足をそのまま流し、倒れることを前提に無抵抗。
流れた体は難なく地面を迎えるが、そこに手をついて体を側転させる。
あまりにも呆気なく倒れる私に、一瞬訝しんだアナだが、好機を生かすべく仕留めにかかっていた。
側転の反動で宙に舞う足を使い、そのナイフを蹴り上げようとした。が、ついそこまで来ていたアナの体がピタリと止まっている。
空ぶった足はそのまま弧を描き、間合いを空けて着地し、すぐさま迎撃の構えを取る。
アナはその場に立ち止まり、追ってきていなかった。
あれだけの手練れが、好機を途中で諦めた?
私は予想していた事態を外し、肩透かしを食らった。
「なかなかやるじゃない。アナ」
「うふふ。今のは序の口よぉ」
ハッタリには聞こえない。
寧ろ気魄を用いての攻撃がまだ為されていないのだ。
序の口というより、準備運動程度のはず。
アナの戦闘力の一端を垣間見た私は、この目の前の女性を完全に強者と判断し、こちらからの攻撃の体勢を取る。
フェンシングスタイル。
剣先を相手に向け、片方の手はやや上げたまま、半身で肩幅以上に足を開く。
間合いは通常よりも短くなるが、そこは気魄の出番。
一歩が常人を凌駕する故の所業である。
私の構えを見たアナも、それに呼応するように低く体を下げ、右手のナイフだけ順手に持ち替えて構えた。
何故持ち替えた?
理由は思いつかないが、彼女の事だ。
なにか策があるはず。
一つ間が空いて、次くる一瞬に整える。
やはり手練れだ。
私の一呼吸置いた"外し"を理解し、予備動作なく動き始めたにも関わらず、それを難なく察して迎撃に入った。
レイピアの切先がアナの体に届くことはなく、脇を閉じた一番力の入る振りかぶりで、切先を直線から外す。
左手のナイフ。
逆手で握る方での迎撃。
ということは、順手。
そちらが攻撃を意味する事を私は察した。
レイピアを弾いた腰の回転を止め、今度は捻れた腰を戻す動作による右手のナイフから放たれる刺突。
余りにも鋭い喉を狙う一直線に、回避の動作が大きくなってしまった。
圧があるのだ。
刺殺す事を意図も簡単に判断している目の前の女性に恐怖を覚えてしまう。
それはアイツよりも鋭く、軽い。
アイツは平伏す相手を望んでいる。
それが戦闘でも顕著に表れていた。
よって、鈍く、重いのだ。
しかしアナはその正反対。
一突きで全てを終わらせ、それ以上は望まない軽さ。
それが私には何よりも恐ろしく感じた。
私自身、アイツと似ていることは自覚している。
鈍く痛めつけ、相手の意識に重く恐怖を植え付ける。
それは何故か。
殺すことが怖いからだ。
そんな私の恐怖を感じ取ったのか、アナは口の端を上げると、片方の目だけを見開き、まるで怯えを増長させるかのような行為を見せた。
いけない。飲まれる。
全身に走る粟立ちが、私に危機の察知を遅らせた。
あまりの恐怖に視野が狭まり、死角から迫ってきていた蹴りを顔面がもろに受けた。
痛い。
なにか、おかしい。
蹴りの鈍痛ではない。
ーーーっ!?
蹴りが突き刺さったのかと勘違いする刺し傷が、私の頬に深く刻まれていた。
暗器!?
テレビや映画などで、悪役がよく用いる武器。
アナの靴先から見えるギラリと光る刀身が、真っ赤に染まっている。
どうやらあの暗器によって、私の頬は口内まで貫通した穴を開け、血を吹き出しているらしい。
私は察した。
決定打はこの暗器による不意打ち。
ナイフを意識させた持ち替えの動作も、恐怖を助長させる仕草も、この戦闘で生じる全てを利用している。
「あらごめんなさいねぇ、本気じゃない相手にここまでする事はなかったかしらぁ?でも、あんまりお姉さんをナメてると、お次はその誰でも舐める淫乱な舌を切り落とすわよぉ?」
レイピアを持つ手が震えている。
人生で初めてここまでの恐怖を味わった。
頬が貫通?
首に貰っていたら、即死だ。
「あら、震えてるのぉ?なーに?つまんないのぉ。辞めよ辞めぇ」
私の戦意が失われている事を察したアナは、手に持った二つのナイフを地面に落とし、背中を向けた。
助かった。
ふと感じた安堵に、恥が音を立てて迫ってきた。
「くそっ」
その場で痛みも二の次に頭を垂れ、打ちのめされる私。
「デイジー!!」
金切り声が不意打ちで耳に届いた。
その声により、一瞬で安堵から恐怖が顔を出す。
あれ程の恐怖を孕んだアナが、私に呆れて戦闘を止める。
わけがない。
脳裏にアナの嗤う顔が思い起こされ、状況も把握できないまま、咄嗟に身を屈めた。
しかしその後、私がどうなったのかは、伝え聞くことでしか知る事を許してはくれなかった。