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迫って来ていたバータルが、見事に後方に弾かれ吹っ飛んでいた。
自分自信何をしたのか一瞬わからなくなっていたが、ジンワリと痛む膝が、状況を説明してくれた。
中腰で突っ込んでくるバータルの顔面を僕の右膝が迎撃したのだろう。
バータルが背中から地面に倒れた。
今しかない!
僕はこの好機を逃すまいと瞬時にバータルへと走り寄り、右の拳に青い気魄を纏わせる。
なんの考えもなく、ただ全身全霊でその拳を地面と同化したバータルに叩き込む。
くの字に曲がったバータルの体。
腹部にこれ以上ない程のクリティカルヒットを食らわせた僕は、バータルに突き刺さる右拳一本が支えとなって、全体重をそこに乗せていた。
やばいっ!
見た目完全に勝利したかのような光景だったはずだが、僕の感じた恐怖はそれどころじゃなかった。
苦悶の表情を浮かべながらも、僕を両目見開いて捉えるその青い瞳。
一切の敗北の色が混ざっていないその瞳は、僕の右拳をがっしりと両手で掴む力と、しっかり合致した力強さを持っていた。
空中に浮いた状態の僕は、その危険の対処として右足をバータルの顔面に踏み降ろす事を選択。
しかし元々この状況を予測していたバータルの優勢は変わらず、がっちり掴まれた腕をそのまま僕の前方に薙ぐようにして振り払う。
背面から勢いよく地面に叩きつけられた僕。
だが、これで終わりではないことが、僕の右手首を引き絞る力で理解できた。
ふわっと浮いた感覚とともに、強い遠心力を感じたかと思うと、すぐさま現れる地面との邂逅。
意識が薄くなっていくのがわかる。
二往復ほど地面と逢瀬を重ねた僕は、このままでは死ぬと判断し、一瞬見えたバータルの凶悪な顔を捉える。
バラバラに力の入らない脚が空中に流れた頃合いを見計らって、無気力だった左脚をそのバータルの顔面に投げ出した。
丁度良い位置に顔があったのか、僕の踵がバータルの顔の側面を穿った。
瞬間的な衝撃に、僕の右手首を掴む力が弱まる。
それを待っていた僕は、迫り来る地面に敢えて自分から体を投げ出し、肩、背中の順に落下しそのまま衝撃を殺し一回転。
捻れた腕をそのままにする馬鹿はおらず、バータルの腕からやっと解放された僕は、転がった勢いのままもう一歩後方に飛び退き、距離をとった。
頭の中がわんわんと煩い。
目の焦点が合っていないのか、前方のバータルをしっかりと捉えることが出来ていない。
そのぼんやりと見えるバータルは、一つの赤い炎のように全身から気魄を漲らせている。
くそッ!悪魔め。
不意に怒りがこみ上げてきた。
負けたくない。
思いっきりぶっ飛ばしたい。
圧倒的な力で捩伏せたい。
その欲望だけが、ぐるぐると回っているかのような脳内でハッキリと判別できた。
ゆっくり歩いてきていたバータルが不意に脚を止めた。
僕はただ棒立ちでバータルを見ているだけだった。
「はじ…て…だ」
あ?
なんか喋ってる。
この時初めて、耳がうまく機能を果たしていないことを知った。
もう、いいよ煩え。
戦ってる時にペチャクチャ喋ってんじゃねえよ。
僕はもう何もかも終わりにしたかった。
頭は痛い、肩は痛い、腹は痛い、脚は痛い。
どこもかしこも感覚を辿ると、その先には痛みがあった。
嗚呼、腹が立つ。
今飛びかかられたら、なんの反応も出来ず蹂躙されるだろう。
考えるのもめんどくせぇ。
僕は棒立ちの状態からゆっくりとバータルの方へと歩き出していた。
それに伴い、バータルもゆっくりと此方へ歩いてきている様子だ。
走ってきて殴れば、それで終わるのに。
まだ時間を掛けたいのか?
腹の底から湧き上がる怒りが、食道から喉へ逆流してきて、口から漏れる。
「来いやゴラァ」
なんの考えもない発言。
だが、何かがフッとそれによって切れた。
ーーーーーーーーーーーー
「止まれ!ムネ!」
「ムネノリ!止まれ!!」
「ダーリン!?ちょっ!ダーリン!!」
うるさいなあ。
「止めろ!!チサト!バータル!」
「わかってるよ!」
「ムネノリ!頼む!止まれ!」
あ?僕はこうして止まってーーー?
段々と目の前の光景が、色を帯びて広がっていく。
先程までいた真っ暗な世界のせいか、やけに眩しく感じた。
ーーーえ?
目の前に現れた知里ちゃん。
あれ?こんな身長高かったっけ?
などと、場違いな事を思い浮かべていると、それが飛び上がって僕に拳を叩きつけようとする魔王さまだと気付いた。
「ヒェッ!?ーーーくぼぉ!!」
戦慄が走ったのも束の間。
感覚も戻り切れていない頭が、大きく震動し、体に驚くほどの浮遊感と疾走感が走る。
「ゲロンッロン!!」
徐々に落下していくような感覚からの、容赦ない衝撃。
冷たいモノが顔の側面を覆った。
「ダーリン!!大丈夫!?」
地面の揺れる音とともに、元凶が声をかけてきていた。
死んだ?僕、死んだ?
『あら、宗則。どうしたの?』
ハッ!!
あやうい!!
死んだばあちゃんが見えた!!!
ふと、白い部屋の中、卓袱台の横に座って、茶を啜っていた一昨年死んだばあちゃんとの久々の邂逅に、僕は正気を取り戻した。
治癒!治癒!治癒!
微かに動く右腕で、自分の体に触れる。
徐々にだが、暖かい感覚がその触れた場所から感じられる。
あぁ、僕は何てとこを触ってたんだ。
こりゃ股間じゃないか。
そばにいる知里ちゃんにバレていまいか心配になりながら、少し位置を上へズラし、腹の上から治癒を施す。
ゆっくりゆっくり、自分の感覚が生き返っていく。
なるほど、冷たいと感じていた僕の顔面に当たっているものは、、土か。
自分の体が、頭から地面にめり込んでいるのを察知して、当初萎えた付与という能力に心から感謝していた。