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「どんっきほーてさんっちょぱんさーろーしなーんてあーんどぉれぇー!」
故郷遠い日本生まれの僕は、笑えも泣けもしないこのおどろおどろしい森が大分堪えていた。
どれくらいの時間が流れたのだろう?
こういう時、時間というものは大事だと気付く。
時間の目安があれば、もうこんだけ悩んだんだから自分でも折り合いがついているだろう。などと、諦めもつくのに。
その目安もなく、どう折り合いを付けていいのかすらわからない今の状況は、逃げるという行為を顕著に罰していた。
モリヤもさすがアナナキ世界。
一切、日の照りは変わらず、陽気な天気を維持している。
森の木々から漏れる、陽の光は今の僕にはなんの感慨も与えてはくれない。
どうにかしてこのモヤモヤした気持ちを晴らそうと、もう既に何十曲と歌っているのだが、なかなかベストソングが見つからない。
『俺ってそげん歌下手やったっか』
狭い獣道を挟んで対面の岩に座る、見慣れた存在。
「案外自分の評価なんて曖昧なもんですぜ」
『足もびっくりするぐらい短いやんけ!鏡って信用できんな!』
「わざわざ自分見に来てごちゃごちゃ文句垂れてんじゃねえよ!」
もう一人の自分の、自分評価に激しく苛立ちを覚えた僕は、もう帰れと思うばかりで何故にもう一人自分がいるのかと恐怖することも忘れていた。
恐らくこれはアレだ。
熊本くんナチュラルモンスター化現象のやつ!
ドッペルゲンガー体験!
『お前本当に落ち込んでんの?』
「はい?いつ落ち込んでるって話になったの?」
『なんか芋引いて逃げてきたっちゃないとや?わかるとぜ?自分やけん』
「まぁ、そうだけど。落ち込んでるかって言われるとまたこう、ねえ?」
『めんどくさっ!俺こげんめんどくさいと?』
「うるせーな!なんだ?熊本くんの言ってた話と全然違うぞ!?攻撃が精神攻撃なんだけどこいつ!」
『あぁ?なんや喧嘩したいとや?よかぞ?やっちゃあか?』
「誰!?コイツ!!全然知らないんだけどこんなやつ脳筋!」
『は?お前やろうが。どっからどう見ても俺がお前でお前が俺。お前思う故に俺あり』
「ワードのチョイスだけは一丁前にクリソツだな!」
『やろうが?んで?どげんしたいとや?喧嘩すっとや?せんとや?』
「せんわ!何を好き好んで自分と殴り合わないかんのじゃ!」
『はぁ、ここでも芋引きようぜコイツ。いつからそげんみすぼらしくなったっや?俺と離れるまではもうちっとは男らしかったと思っとったばってん』
「お前と離れる?いつお前みたいなのと俺が離れたって?」
『かーっ!そげん事も忘れとうとや?お前が凛殴った時やろうもん!』
ーーーっ!?
『なんや?なん驚きよんか。お前は16ん時、ババアに説教垂れられちかイライラしとって、わざわざ心配してきてくれた凛ば殴ったっちゃろうが!』
「知らん」
『あぁ!?なんの知らんかきさん!グーパンで!凛の肩ば殴ったろうもん!』
「知らん!」
『他にもあるぜ?ギンも蹴った、ババアにも茶碗投げつけた、ジジイにも掴みかかって投げ飛ばした』
「知らんって言いよろうが!!」
『お前はそげんクソな自分が嫌やけん俺ばこげんクソ薄ら寒い森ん中に閉じ込めて、のうのうとそげん時もあったねぐらいで生きてきたっちゃろうが!んで、今度は知らんてや!きさんあんま舐めとっと、ぼてくりまわすぞコラぁ!』
「知らん知らん知らん知らん知らん!」
『なんが家族の有り難みがわかった、や?なんがうちの家族が一番、や?気色悪りぃぞ。なんや僕って。急に一人称変えて、凛も気味悪がっとったろうが!痛え痛え。あー、痛え痛え。突き刺さるね!馬鹿キチガイ』
「キチガイっていうな」
『あ?お前も俺もキチガイやろうが。知恵足らずの、カンキチのくそキチガイが!』
「キチガイっていうな!!」
『凛に言われたろうが。"アンタみたいなキチガイ。出ていってくれ"って』
ーーー!!
僕はもう堪らず、もう一人の自分に向かって走り出し、掴みかかっていた。
『ふっ!あー弱い弱い。雑魚やないか。これで戦争とか行くつもりや?マジ足手まといになるけんここで死んどけ』
勢いよく掴んだ胸倉が、急に僕の下へと回り込み、視界が一回転する。
巴投げ。
僕は背中を腰高の岩の高さから勢いついて地面に打ち付けた。
息が止まる。
呼吸をしようにも、どう息をすればいいのかわからない。
『本ばっか読みようけんそげん雑魚いったい。なんや?本読んだらお前のキチガイは治るとや?知恵足らずち言われんくなっとや?癇癪は起こさんくなっとや?』
「っうっせぇったい!こんクソボケがぁ!」
頭に血が昇るのが解る。
どういう顔をすれば、相手が恐怖するかが解る。
舌の巻き方。声の張り方。拳の握り方。
相手をブチ殺せという、腹の底から猛り狂うほどの暴威。
『雑魚が。なんやそれ』
振りかぶって渾身の右拳を相手の顔面に振り下ろす。
が、軽くいなされ、足払いをくらう。
思い切り振りかぶった反動で、誰もいない空を切り、足ももたついた僕はなんの抵抗もなく顔面を地面に強打した。
「クソがぁ!殺すぞキサン!」
『殺せて言いよろうが!口だけや!きさん!』
「殺す!」
転けた低い体勢のまま、相手の下半身目掛けてタックルをかます。
しかし、それを読んでいたのか難なく膝をあてがわれ、体の中から拾ったグチャッという音が聞こえた。
『おいおい、鼻潰すなよ。それやなくても鼻低いっちゃけん』