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「未だに気持ち悪いです」
酷い目眩や吐き気はおさまったものの、どこかまだ脳が揺れている奇妙な気分になっていた。
朱さんに治癒を施し、自分にも施す。
手合わせに勝ち負けはないと言え、戦闘不能になったのは確かである。
「すまんな。どこまでクリーチャーに通用するかはわからんが、脳があるのは疑いようもない事だ。戦闘不能に一瞬でもなればこっちのもんだからな。試してみたかったんだ」
「でも良く狙って出来ますね」
「当てる為の前段階で耳の後ろを叩くんだ。三半規管を攻撃して動きを鈍らせてからじゃないとさすがに難しいからな」
「あ、事前の蹴りはそれを狙ってたんですか」
「ああ、だがお前ときたらそんなの御構い無しに来るもんだから焦ったぜ。良く当てられたって自分でも感心する」
アンダー・ジ・イヤー。
三半規管を捉え、平衡感覚を狂わせるこれまたボクシング技術。
さすが朱さん。
格闘技術の豊富さに恐れ入った。
「さすがです。僕も刀の扱いを掴めましたし、本当ありがとうございます」
「そうだな。掴めばすぐにモノにするお前の順応性の高さにもびっくりだがな。なにか格闘技をしてたのか?」
「全くからっきしです。小説やら漫画の知識だけでしか格闘を知りません」
「それでこのレベルはクリーチャー過ぎるぞお前」
なんてことを。
化物と言われるならまだしも、そんな的確にモンスターで表さなくてもいいではないか。
「隊長もそうだし、クマモトもお前も、どうなってんだよ日本人」
「知里ちゃんは元々運動神経良かったみたいですよ。高校の時は水泳部だったそうですし、熊本くんは確か陸上部だったと思います」
言われてみればあの子達高校までは運動部所属だったな。
僕は勿論帰宅部だが。
「へぇ、そうなのか。だがどっちも格闘技ではないのが説得力無いな」
「そう言われればそうですね」
「センスってやはりあるんだろうな。俺は元々ひ弱で虐められてたから空手を習い始めたんだが、センスはどうにもならなくて努力し続けて今がある」
「虐められてたんですか!?」
意外な一面である。
朱さんが努力家なのはわかっていたが、そういう背景があったのか。
「ああ、俺は台湾人の父と香港生まれの母の間に生まれた子でな。台湾は未だに中国国内で微妙な立ち位置なんだ。それで虐められてたのもあるし、単に俺が軟弱だったのもある」
憂いなく笑っているが、結構根深い問題なのだろうと思う。
台湾は日本領だった事もあるし、未だに中国と上手く折り合いがいっていないのは知っていた。
チャイニーズタイペイと呼ばれる事を嫌っているらしいし、台湾自身中国から離れ、独立国として地位を築きたいのだろう。
「お父さんは中国に居るんですか?」
「そうだ。中国でも別枠視されている香港に住んでいる。中国は広い領土を持っているが各地にそういう問題がある。チベットやウイグル。台湾、香港と中国から独立したいと考える人たちは大勢いるんだ」
「そうなんですね。朱さんもそう考えているんですか?」
「いや、俺は中国人としての誇りを持っているし、しっかり反日感情もある。だが俺の反日ってのは蔑んでる認識ではない。負けたくない。好敵手みたいな印象だ」
まさか面と向かって反日だと言われるとは思っていなかった。
だが、僕にもそういう考えが正直な話少なからずある。
どうしても中国、韓国、北朝鮮などのアジア諸国と上手く関係が結べないのは、お互い様な認識のせいだろう。
「そうですね。僕もそういう感情はあるかもしれません」
「ディミ助の言ったように差別をする英雄なんてみっともないが、競い合う事は良いことだと思ってる。日本はアジアのトップ。それは認めたくないが実際そうだろう。だが中国も追いついてきているのは確かだ。しかし問題を解決せず経済成長を遂げてもいつかは瓦解するだろう。俺はディミ助のあの時の言葉に感銘を受けた。帰国した時のことを一人で考えて今からワクワクしている」
朱さんの印象がガラリと変わったのは、知里ちゃんが副隊長に任命した時から見えていたが、今のこの話をしている朱さんの顔を見ればそんな事がなくたって誰でもわかることだろう。
「僕や朱さん、ディミトリーは国が近い。そのせいで色々互いに思う所があるのは事実です。だから僕達が率先して協力しあえるんだってみんなに見せつけましょう」
「そうだな!だが多分俺は反感を買うだろう。日本人が隊長で俺が副隊長。中華思想の強い中国人ならば許されざる事だろうが、俺は隊長の下についてそんな風に思った事はない。あんな心も体も強い人にそんなちっぽけな理由で尊敬を欠くならば自分の事を嫌いになりそうだ」
そんな風に思ってくれているのか。
朱さんの人としての矜持も素晴らしいが、それをちっぽけだと言わしめる知里ちゃんにも頭が下がる。
「朱さんを蔑ろにする人がいれば知里ちゃんが許さないでしょう。もしかしたら国一つ滅びるかもしれませんよ」
僕の冗談にもならない発言に朱さんは目を丸くした後、見たこともない笑顔で腹を抱えて笑い始めた。
「ああ、だろうな!俺がシメられた時の事を思い出したぜ。あの人はそういう人だな」
僕もつられておかしくなり、二人してひとしきり笑い合った。
「いやあ久々笑った。楽しかったぞタチバナ。技術的にも精神的にも勉強になった、ありがとな」
「それはこっちのセリフですよ。あとついでにお願いがあります」
「ん?なんだ?」
「知里ちゃんはワガママで傍若無人を絵に描いたような人ですが、無茶して抱え込む癖があります。恋人の僕よりも同じ隊の朱さんやカメンガ君やディミトリーたちの方が長い時間を共にすると思います。だから支えてあげてください」
こう言ってはいるが、実際悔しく思う。
だがこれから戦争に向かうにあたって、隊が違うという事はそれだけ物理的にサポートが難しくなってくる。
あの魔王さまが簡単にやられる訳がないとは思うけれど、それでもやはり心配なのは変わらない。
「わかった。俺の誇りにかけて約束しよう。お前の嫁も弟子もまとめて面倒見てやる。ふっ。こんなこと言ってるのがバレたら殴られそうだがな」
「はははっ。恐ろしいですからね。ウチの嫁は」
「全くだ。どうにかしてくれ」
知里ちゃんの直轄である朱さんの苦労は計り知れない。
だがそれをあの強さで信頼に変えている。
朱さんが約束を違えるなんて想像もつかないし、僕は今の言葉だけで十分に信頼することができた。
「隊長もお前もクマモトもディミ助もカメンガも生きて国に帰ろう。他のみんなも勿論だが、俺たちで世界を変えるんだ」
「はい!楽しみですね!」
「ああ!今から眠れなくなるくらいワクワクするな!」
何十年、何百年と積み重なった歴史を僕たちが変えられるかもしれない。
それが実感出来て、僕も朱さん同様ワクワクしてきた。
僕たちはそれ以降も裏庭で会話を楽しみ、暇だと感じていた時間はあっという間に過ぎ去っていった。