4 血の香り
黒猫が唐突に段ボールから飛び出したのは、それから数分も経たない頃だった。
雨は少し弱まっていた。
猫は俺としばらく見つめ合っていたが、その視線を断ち切るように動き出した。
「おい、どこ行くんだよ」
猫は答えない。きっと答えられないし、答える権利もない。そいつはしっかりとした足取りで道の端を歩き進む。まるで目的地が決まっているみたいに。
俺は仕方ないからついて行くことにした。
黒猫の足取りは軽やかだ。食事をして幾分か元気になったようだ。そいつは俺の前で、塀に向かって華麗にジャンプして見せた。そしてそのまま路地裏へ消えてしまった。
俺は走って黒猫を追いかけた。傘からこぼれ落ちた水滴が顔を濡らした。
――馬鹿か俺は。何してるんだ。猫を追いかけたってどうにもならない。むしろいいじゃないか。あの黒猫には帰るべき場所がある。きっとそうだ。
それでも俺は足を止めなかった。もしかすると、捨てられた家へ戻っているのかもしれない。そう思うと余計に引き返すことはできなくなった。
黒猫は器用に障害物を避けながら駆けていく。時には植木と植木の間をすり抜けていく。庭を横切って俺を困惑させる。路地裏にはみ出た室外機を伝って走る。
俺はそいつのしっぽを目で捉えるのがやっとだった。でも不思議と見失うことはなかった。俺に合わせて少し加減して走っているようにさえ感じられた。
狭い路地裏を抜けていくと、開けた場所に出た。空き地だ。路地裏と反対側には、車が一台やっと通れるような道路があった。傍には政治家のポスターが貼られた立て札があった。あまりよく知らないその政治家は、雨に激しく打たれながらにこやかに笑っている。
猫はそんな空き地の真ん中にいた。
もう少し正確に言うと、死体の傍にいた。俺を見つめて何かを訴えるように、にゃあと鳴く。
「俺と同じ学校の制服……」
同じ高校の制服を着た女子生徒が、うつぶせで倒れていた。背中にナイフが深々と刺さっており、その周りは血で赤く染まっていた。
死体を実際に見たのは初めてだった。その時俺は、怖いというより、不思議に感じたと思う。死体は、背中に小型のナイフが突き立てられている事とセーラー服に血が付いていること以外、目立った損傷を受けている形跡はなかった。今にもむっくりと起き上がって、「どう、私の演技、上手かったでしょ?」なんて言ってきそうなほど、目の前の惨状には現実味がなかった。
殺人だ。
そう思ったのは、死体を見つけてからしばらく経った後だった。俺はひどく動揺していて、頭が目の前の出来事に追いついていなかった。
「警察へ電話しなきゃな……」
俺はバッグから携帯を取り出そうとして、自分の手が震えていることに気づいた。寒くもなく、恐ろしくもなかった。
何度か携帯を取り落としそうになりながら、震える手で、ゆっくりと番号をプッシュしていく。
永遠に続くような気さえするコール音。
「110番警視庁です。事件ですか、事故ですか……」
目の前を改めて見る。
面倒なことになったな、と今更に思った。
いつの間にか、黒猫はいなくなっていた。




